第46話

 暁は驚いて稲穂の簪を引き抜くと「この指に止まれ!」と叫んだ。


 灰色の空を白い小鳥は優雅にひらひらと飛んで行く。雪を頂いた木々の間を縫って行くので、その姿は風景に溶け込むようで暁は見失いそうになる度に何度も稲穂を振った。


 しかし小鳥は手ごわく、暁の手にはいっこうに下りて来ず、ついには門を出て通りの向こうへ飛び去ってしまった。


 ――ロックフェラーのツリー? それはロックフェラーセンターのクリスマスツリーのこと?――。


 小鳥を追いかけて走って行くことはできない。ここからなら116丁目から地下鉄に乗れば、47-50丁目駅まではすぐだ。なんでこんな時に魔法が使えないんだろう。暁はイライラしながらも魔法というものがこの世界で使えない以上それを滑稽だとしか思えなくて、笑い飛ばしたくて自然と頬が緩んだ。今だってこうして地下鉄に乗る為に走るしかないのだから。


 それでも暁は自分が無意味なことをしているとは思わなかった。鷹住の神々に追い出されてから、暁はまるで自分の居場所を探すような旅をしている気持ちだった。それがどこなのかはまだ分からない。ただ、自分の未熟さと甘さだけが嫌と言うほど思い知らされたただけで、旅はまだ続くのだと思えた。


 ロックフェラーセンターは今の時期は特に人が多くて、スケートリンクにも人がたくさんいて、芋洗いのような中で氷の上を滑っている。ツリーの点灯の時間ではないとはいえ、ホリデーシーズンの買い物を楽しむ人や観光客でいっぱいだった。


 暁はきょろきょろしながら、人ごみの中をエドワードの姿を探した。電灯がついていなくても、ツリーの飾りの煌びやかさは伝わってきて、暁はツリーを見上げて溜息を漏らした。


 その時、ツリーの上を白い小鳥がひらひら飛んでいるのが目に入った。


 追跡の小鳥! 暁はお団子頭から稲穂を抜いて、小鳥めがけて腕を振り上げようとして、しかし慌てて手を引っ込めた。魔法は使ってはいけないんだったと今更思い出して。


 魔法じゃなければ一体どうやってエドワードを探すというのだろう。彼の電話番号など知らないし、そもそもスマートフォンなんて持ってるんだろうか。それさえも知らない。


 実用的な魔法って、他になかっただろうか。誰にも知られずに密やかに仕える魔法。暁は立ち止って眉間にしわを寄せ、しばし考え込んだ。


 そしてはっとして自分が手に嵌めている手袋を凝視すると、両手で口元を覆って息を吹きかけるようにして呟いた。


「我を導け、主のもとへ」


 声に、言葉に力を宿す。言霊の力。暁が慣れ親しんできて、何も考えずに無造作に使ってきた力だった。が、今の暁には使い方が分かる気がした。本当に必要な時に、大切に、心をこめてつかうのが「力」なのだ。


 手袋は一瞬きゅっと引き締まったかと思うと、暁の手を引くようにぐんぐん人ごみの中を突き進み始めた。


 暁の体はスケートリンクの柵に押し付けられるようにして止まり、両手だけがぐいぐいと空中を泳ぐようにもがくので、暴れる腕を力づくで胸の前に押しつけ、


「どこよ……」


 と呟いた。


 ツリーまで来いと言われても。あの真下には行けないようになっている。暁は両手が引っ張る方向に目をこらした。


 するとプロメテウス像の前から、黒いチェスターコートを着た男の子がすうっとこちらへまっすぐに滑ってくるのが目に入った。


 誰もがニット帽やマフラーでがっちりとした装備をしているのに対し、彼は本当にスマートな姿でなめらかにこちらに向かってくる。


「エドワード」


 暁はほっとしたように彼の名を呼んだ。


「ツリーまで来いって、これじゃあスケートリンクって言ってくれた方が正しいじゃないの」


「悪かったな」


「……あの、成績見たよ。一位、おめでとう。そうじゃないかと思ったよ」


「……まあな。俺が一位になるのは決まってたからな」


 エドワードがつんとそっぽを向いた。


 暁はちょっと驚きはしたが、彼の意地悪で高慢な態度にはもう慣れてしまって「よかったね」と、あっさりと返した。


「それで、ええと、なんの用?」


 今になって呼びつけられたことを思い出し、暁は尋ねた。


「……まだ礼を言ってなかったから」


「お礼? なんの?」


「……学長の拘束の魔法を解いてくれただろう」


「……ああ、あれ……」


「何度も解除しようとやってみたんだけど、傷を増やすばかりで大変だったんだ」


「……役に立って良かったよ」


 暁は肩をすくめてちょっと笑った。お礼をと言う割には彼はすんなりと「ありがとう」は言わないらしく、試験の時に発表した暁の魔法について言及し、吸水ポリマーなら紙オムツではなくても他にもあるんじゃないのかとか、片手落ちみたいに言われてたけど紙オムツなら一度吸った水分を漏らさないわけだからその性質を生かせばよかったんじゃないのかなどと妙に真面目な顔で言い募った。


「まあ、そうだね」


「……なんだよ?」


「別に……。冬休みはおうちに帰るの?」


「……」


「お母さん、病気なんでしょう? 帰った方がいいよ。新しい魔法、見せてあげなよ。ラジオメーターで光を集めるなんて素敵だったから、お母さんも喜ぶんじゃない?」


「……そうだな」


「……また余計なこと言っちゃったかな……?」


「いや、そうじゃない」


 エドワードはポケットに入れていた手を出した。


 すると暁の手は、いや、暁の手袋は主を見つけたと言わんばかりに素早く彼の手を両手で包みこんだ。即ち、暁の手がエドワードの両手を捕まえた。


「なに?」


 エドワードは眉間に皺を寄せて怪訝な顔をした。


 暁は慌てて、


「ごめん。どこにいるのか探すために、手袋に魔法をかけたんだった」


 と、エドワードの手を捕まえている手袋に向って口を寄せ「静まれ」と囁いた。


 暁を操るようだった手袋から力が抜け、暁は手をほどいた。


「特別賞、おめでとう」


 DJブースから軽快な音楽が流れる中、エドワードの背後をスケート靴で滑走する人たちが通り過ぎる。暁の背後もまた多くの観光客が通り過ぎて行く。


「退学にならなくてよかったな」


「……うん」


「これで来年も一緒だ」


「……」


 それは告白めいた囁きのようだった。暁はちょっと面喰ってエドワードの顔を見て、急に恥ずかしくて視線を逸らした。


 ライバルとして。そういう意味だろう、たぶん。知らないけど。クラスメイトなのだから、そりゃあ来年も一緒に授業を受け、進級する。それだけのことだ。


 何か言おうとした次の瞬間、まだそんなに暗くなっていないというのに唐突にツリーの照明が一斉に点灯し大きな歓声があがった。


 暁も思わず「わあ……」と溜息と共に声を漏らした。色とりどりの明かりが一斉にまたたくのは奇跡のようでもあった。もちろん電気の力だと分かってはいるけれど、輝きが眩しくて、あんまり綺麗で、暁は奇妙なことに神の力を感じていた。人の力で行われているにも関わらず、幸福で温かな光で涙が出そうだった。


 だから、思わず興奮気味に言った。


「すごいね! ライトがつく瞬間って本当にすごい! ねえ、魔法みたいじゃない?」


 暁の言葉にエドワードは一瞬きょとんとしたが、すぐにふっと笑みをこぼした。


「魔法だよ」


「えっ? 本当?」


 点灯の時刻じゃないのに照明をつけたってこと? 魔法で? 暁はそう返そうとした。が、エドワードの腕が暁の首元をかすめるように伸びたかと思うと、手が後頭部を捕まえるようにして暁を引き寄せた。


「メリークリスマス」


 エドワードの唇が暁の額に触れた。


「……えっ……」


 暁は驚きのあまり言葉を失ってしまった。――魔法なの? それとも冗談なの? 今のはキスなの? それとも何かもっと別な魔法の儀式? メリークリスマスって、魔道の者にクリスマスは関係ないんじゃなかったっけ?――


 暁はどれも、一言も言えなかった。エドワードの手がとんと軽く暁の肩を叩くと、そのまま彼はスケート靴を履いている以上の力で氷上を音もなくバックして行った。

 暁はそっと額に手を触れた。――魔法だったのかも、しれない――。なんとなくそう思った。


 エドワードが人ごみに紛れてしまうと暁はお団子に挿した稲穂を確かめるように手を触れたみた。固く冷たい感触がそこには確かにあった。暁は自分が守られているのだと思った。追い出されはしたものの、いつも神々の力に守られているからこうしてどうにかやっていられる。


 ――だから。だからもう卑屈になるまい。追い出されたことを思い悩むことはやめよう。彼らが求めた正しい道を、探せばいいのだから。エドワードもまた、そうであればいい――。暁は心からそう思った。


 スケートリンクの柵から体を引き離すと、暁は地下鉄の駅を通りすぎて6番街を歩き始めた。旅はまだ続くのだと考えながら。セントラルパークが見えて来ると、暁はそこが今では自分にとって鷹住の山のように感じることに我ながら驚いていた。

                            

                                                了

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久遠寺暁(くおんじ あきら)の魔法留学 三村小稲 @maki-novel

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