第1話 戴冠式

 跪くケルベロスは魔女に絶対なる忠誠を誓っていた。


 この方のために我らのできること。少ないかもしれないが、必ずや主を護る。そう意気込んでいた。


「…えー。…取り敢えず顔上げて自己紹介してもらおうかな。」


「は!」

 

 眷属たちは顔を上げた。


 そして、ケルベロスから自己紹介を始めた。


「お初にお目にかかります。御主人様。私の種族はケルベロス。地獄にて天への門を守る部族の長をしておりました。門番で培った技術や力の全てを御主人様に捧げます。」

 

 次に大きな翼の天使が話す。


「初めまして、我が主。私の種族は天使。それが堕ちて気付けば長をしていました。光をもたらす者として、そして、使いの長として持てる全てで貴方様のお役に立ちましょう。」


 終わって少しの間の後、全身鎧の少女が話し始めた。


「初めまして、主様ぁ…。ぼくはサキュバスの長をしていましたぁ…。主様のために頑張りますぅ…。」


 ふん!と聞こえてきそうな気迫とともに軍服でスク水の少女が話し始めた。


「我は竜人(ドラゴノイド)の総統でありました!非力なこの身なれど主様にお使えできること!有り難く思います!力こそパワー!パワーこそ力!我の力、主様に捧げます!」


 彼女の紹介の後、ぽよぽよとスライムの女が話し始めた。


「私はスライム。私の冠は主様にこそ相応しきもの。ですが、それは種族的に外せぬもの。それだけはご容赦下さい。私の持つ全ての力を捧げましょう。」


 一通りの自己紹介が終わった。


 すると、思いも寄らぬ言葉が返ってきた。


「名前を聞きたいんだが、いいか?」


 …分からなかった。非才の身であるとはいえ、ケルベロスは主の言葉の意味が分からなかった。他の者も同様の反応をしていた。


 力ある支配者である彼女が我らに名前があると判断したのだ。我らは眷属で名前を持たない。それは道具として生を受け、道具として死ぬためだ。名前なんて持ってしまうと余計な情をかけてしまう。それを知っているはずの我が主は我らに対して情をかけてもいいと言っている。優しく慈悲深い。心が海のようにお広いようだ。


 だが、主の危険を思えることができる眷属ならば、ここで持たぬ名前を名乗ることを不退転の気持ちで否定しなければ!


「お待ち下さい!我らが名を持つということは御主人様に負担をかけてしまいます!どうか!ご容赦を!」


 …主は不満そうにしながらも、他の眷属たちの様子も見て納得してくれたようだ。


 一段落をつけた後に、ケルベロスは主の名前を聞こうとした。強く、そして麗しい彼女の名前だ。きっと私たちの主に相応しい名前だ。


「御主人様、お名前を伺ってもよろしいでしょうか。」


 期待に胸を大きくする彼女たちを魔女は裏切る。


「いいや、俺に名前はない。お前たちと同じだ。」


 笑顔でこちらを見る魔女に恐怖を抱いた。いや、自分自身の失態に重ねて見えたのだ。


 私たちは情や何だと考えていた。だが、この方は違った。そんな常識じゃ通じないお方だ。そして、上の者は名前がないと、下の者の位にわざわざ並んだのだ。上の者に良いことがないのに。これは慈悲ではない。眷属として、それ以上に残酷なものだった。


 眷属たちはその恐怖を以て、忠誠が更に鋭く増した。あるいは、それは尊敬の念でもあった。


 主の厳しさは海よりもお深いらしい。


 そんなことを思っていると主が話し始めた。


「そうだな。俺だけならまだしもこんなに人数が増えたんだ。拠点を作ろう。」


「家でございますか?」


「あぁ。家だ。」


「承知しました。」


 このお方が家なんてものを作ることはないだろう。つまり、城のことを家と言っているのだ。


「取り敢えずの小屋でも作ってくれ。」


「承知しました。」


 小屋は私たちの魔法で作れる最上級のものを。


 そう思っていると、主は驚いた声を上げ、魔法を放った。


「創造される日暮れ《クリエイション・サンセット》!」


 青い空が昇り、故郷の地獄の空を思い出す暗い橙色の夕の顔が降りてきた。そして、魔法は遠くに城のような輪郭を形作ったその刹那、城になった。気付くと、主の頭には粘液女の冠よりは小さな王冠がちょこんと座っていた。主の冠こそ大きくあるべきだと憤慨しそうになったが、口をつぐんだ。…それにしても、凄い魔法だった。


 時空間魔法に眷属一同驚いていると、主は困ったように言った。


「やっぱり家の件は無しだ。」


 ケルベロスは心底ほっとした。これを小屋だと言われた暁には、それ以上の城を建てなければならない。それは、まるで世界を征服して主の城を作らねばならないほどに。


 いや、主はそれを望んでいるのではないか?ケルベロスにはそう思えた。主にはそれが相応しい。世界も直にそれを望むだろう。


 そう思っていると、主が話し始めた。


「忘れてるかもしれないが、ここは元々は村だった。形が残ってる人だけでいい。弔ってやってほしい。」


 主は眷属以外にもお優しいらしい。ただ、私は悔しかった。それが私だけに向けられれば良いのに。そう思ってしまった。


 ただ、主の命令は絶対だ。私達にはゴミのような死体の群れだが、弔えと言われたら弔う。もし、死ねと言われたら喜んで死のう。忠誠とはそういうことだ。


「は!」


 揃った声が響いた後、行動は開始された。



―――――――



 ものの数分で弔いが終わった。


 死体の数が少なかったのもあったが眷属一人ひとりが優秀なのが大きかった。


 まず、ケルベロスが指揮を執り、スライムと竜人が死体を運び出す。それを応援する鎧の塊と、儀式をしている天使。そして、俺が手を合わせる。


 手を合わせてる最中に、大きい鎧着たやつがなんで応援する側なんだよとは思った。あと、堕天してそうな天使なのにそんな聖なる儀式が出来るんだなとも思った。心のなかでツッコんでいたお陰か、アルミルドの悲しみが影を潜めた部分は感謝している。


 …やっぱり呼びにくいな。皆が名前教えてくれなかったのは悲しかった。負担負担って名前を覚えるの苦手だけど五人くらい覚えれるわ!とも思ったが、本当の名前を知ることで何かあるのかもしれない。


 でも、呼びにくいのであとで軽いあだ名とか付けよう。割と緩い感じで。


 あと、皆が俺に忠誠を誓っているように見えた。初対面なのに忠誠とかないよな。と思ったが、召喚による主従関係的なものがあるのだろう。弱い俺に従ってもらうのは少し心苦しいが、少しでも皆が誇らしいと思える主になろう。そう思った。


 家の件は皆が住める場所を作りたかったという理由の他に、俺が皆の能力を知れるように使ってもらおうとしたというのがあった。咄嗟に出たお願いだったが、存外良かった。もしかしたら、皆の使う力のうち、俺でも使える力があるのかもしれない。そう思ったからだ。本当は、跪かれている緊張感に耐えられなかっただけなのだが、どちらも俺が城を建ててしまい、お釈迦になった。しかも、その時から頭に冠が乗っていた。帽子とか前世であんまり被らなかったからなー。どうなんだろう。


 そのとき、唐突にまぶたが重くなった。…眠気か。…そろそろ休みたい。いつの間にか豪華な椅子に座らされてることにはもうツッコまないことにした。話を終わらせて早く城の件を終わらせたい。ついでに休憩したい。


 そんなことを考えていると、城を召喚したときから気になっていた集団が近付いてきた。彼らは旗を持つ者。剣や盾を持つ者。馬に乗る者。弓を持つ者。杖を持つ者。演奏する者。馬車からなる大きな軍隊だった。


 しかし、彼らの見た目は驚くほど普通の人間のようだった。通常、軍隊とは武器を持つ者問わず筋肉自慢の男集団が重々しく歩いている様子が想像できる。それが、男女で黒い鎧を着て武器を持ち、ただのピクニックに行くような軽い足取りだった。それでいて、行進は揃い、緊張感のある威圧のオーラを纏っている。


 眷属たちは、武器を持った軍勢を前に不思議なほど敵対心を持たず、そして身構えなかった。ただ俺に向けて、片膝を落としているだけだった。


 軍隊は、目の前で行進を止めると、馬車から二人の少女が降りてきた。少女の一人は黒髪、もう片方は銀髪で、自身の髪と対を成す髪色の服を着ていた。顔は似ていて、髪と月を象る装飾具は左右対称で、二人が月の明かりと影を表すように見えた。


 その彼女らが目の前に来て跪いた。そして、黒髪の少女が話し始めた。


「お初にお目にかかります。夜の王。我ら、夜の軍勢ナイトメア馳せ参じました。」


 まだ俺何もやってないのに登場人物多くないか。


「夜を統べる貴方様の願い。承りました。」


 …何も言ってないんだが。


「その冠、我らの王を意味するものです。どうか配下の末席に加えていただけないでしょうか。」


 …もういい。自棄だ。


「わかった。配下に加え入れよう。あと、これから話をするから聞いといてくれ。」


 二人は頷いた。


「まずは皆に名を付けていいか?」


 俺の言葉に眷属たちは固まった。


「もちろん、あだ名みたいなもんだ。それで個人をどうこうするわけじゃない。俺からの愛称みたいなやつだ。気に入ったなら皆で使ってもいい。」


 ケルベロスが尻尾と顔を少し上げ、聞いた。


「よろしいのでしょうか。御主人様に負担が――」


「負担なんてない。俺は守りたいものを守りたいだけだ。」


 ケルベロスは顔を上げたまま、目の端から粒を落とした。


「皆、名付けていいか?」


 聞く魔女に異を唱える者は居なかった。


 ケルベロスは種族の名から取って「ベロ」。鎖の天使は鎖から「チェイン」。鎧のサキュバスは鎧のアーマーから「アム」。スク水軍服竜人は軍のミリタリーから「ミリ」。王冠スライムは冠のクラウンから「クラウ」。と名付けた。


 居合わせた二人のうち、黒髪を「アカリ」、銀髪に「カゲリ」と名付けた。


 あんなこと言っておきながら、命名のセンスが無いことを名付けてから思い出した。だが、ベロやアム、ミリは感動で泣いているように見えた。アカリやカゲリもだった。


 これで今俺のできることは全てやったと思う。後のことは明日以降にさせてもらおう。…俺は疲れた。頑張った。


 その時、プシューと音を立てて俺は崩れていった。薄れる目には心配する皆の顔が見えた。



――――――



 ミリと他の眷属たちは主を丁重に城へ運び込んでいた。門前まで行くと開かれ、そこにはメイドたちが出張っていた。さっきの軍隊といい、このメイドたちといい、見ただけで強いとわかる。私たちほどではないが。一般人からしたら何の変哲もない軍隊とメイドだろう。奥に明らかな力を秘めている。そんな者たちを召喚できる主のなんと凄いこと。ミリは身体を震わせ、吐く息が甘く音に漏れた。


 並んでいるど真ん中にいるのがメイド長だろう。並のメイドではない。服に隠れているが、胸も大きそうだった。彼女に主を運び込んだのは天使のチェインだった。彼女と彼に少しの恨みを向けながら、長い廊下と階段を行く。その間、眷属、メイドたちが後ろに連れ立って歩いた。アカリとカゲリもそこに並んだ。


 部屋に着くと、そこは黒と白と金で装飾された格調高い部屋だった。城に入った当初から豪奢なのは分かっていた。それが、一級の彫刻師が彫ったであろう柱や扉、彫刻に、金細工や宝石を多く使っている。それにも関わらず、その格調高さを高く保っていた。


 主の部屋を抜けるとそれより小さな寝室に出た。部屋には大きなベッドがあり、主の小さな身体を大きく包み込めるほどの大きさだった。そこに主を寝かせた。


「随分お疲れのようですね。」


 メイド長が主を寝かせつけた。ミリは突然眠る主の姿には驚いたが、その主に驚かずに城を案内する胆力を持つメイド長にも驚かされた。


「皆様は、ホールでお待ち下さい。」


 メイド長の声で配下たちはホールに集まった。


「…それにしても、御主人様はお美しく、才もお有りだったわ。」


 ベロが沈黙を割いた。ベロにとっては主の安心を勝手に声が漏らしたのだった。それに皆が頷く。


「ああ、主様は稀代の魔法使いだ!まさか、時空間魔法が使えるなんて!」


 チェインが応えた。皆が強く頷く。


「ええぇ…。あのぉ…。それって、どれくらい凄いんですかぁ…。」


 アムが続く。


「もちろん、とてつもなく凄いわよ。むしろ、凄いなんてもんじゃ測り切れないの。そもそも普通に使えるような魔法じゃないもの。それを私たち二人と城とメイドたちを追加で召喚出来るなんて。正直、この世界に主様の力を超える者はいないわ。雑魚ばっかりよ。」


 アカリが応えた。カゲリはもじもじしている。


「我は名前が嬉しかったぞ!」


 ミリは興奮を隠しきれなかった。その興奮は伝播して皆が強く頷く。


「非才である私たちは精進して、主様のお役に立てるよう頑張りましょう!」


クラウの言葉に皆強く激しく頷いた。


そのとき、はっとした表情で冷や汗を流すベロがいた。


「そういえば、私たちに名前があるのに、御主人様に名前が無いことを失念していたわ。」


 その言葉に皆、青ざめた。


「配下の私たちにとっては御主人様に名を名乗ってもらわなくてはならないわ。…でも、御主人様はそれを分かっておいでのはず。…どういう理由があるのか、私たちで考えてみましょう。」


 眷属たちはその夜、七人の長い長い会議を始めるのだった。



―――――――



 遡ること少し前。青い空を闇が覆ったことで、人並み外れた国と形容される我が国。アウロラでも同じく混乱が生じ、政治機能に支障をきたしていた。


 戦士長のヴァンブルド・タートナスは王の守護から離れ、民衆の鎮圧の任務を任されている。彼は、国と王を守りたい一心でここまで成り上がり、貴族の金になびかなかった。貴族の面を泥で汚した代償として酷く長く険しい道を一人で超える必要があった。しかし、その道もヴァンブルドにとっては少しの道だった。貴族は認めざるを得なかった。彼の戦士長としての即位を。だが、認められているのは戦士としての腕だけであり、奴隷上がりと冷笑されている。


 そんな彼だが、鎮圧を続けている中、にわかには信じがたいものを聞いた。突然の日暮れを新しい魔女の出現だと持て囃す声を聞いたのだ。奴隷や一般人にとっては魔女伝説は身近で信仰の対象だった。ヴァンブルドもその例に漏れなかった。


 この国は魔女のお陰で繁栄した。いいや、世界全体がそうだ。というのも、魔女の魔法を解析し、科学という力を急速に身に着けたからだった。魔法は使える者が少ない故に、科学で底上げが出来たということだ。風の噂に外国の部隊に魔女と呼ばれているものがあるそうだ。それも憶測で言えば、魔女の功績によるものだろう。


 ただ、今回の件は科学で説明がつかないと思えた。ヴァンブルドは科学に詳しくない。だが、あんな御業を科学で説明したくない。彼の信仰心がそう言ったのだ。


 ヴァンブルドは王に信頼され、此度の任務で小さな噂程度でも国民の要望や意見を持ち帰ることを追加で任されていた。


「皆、私は持ち場を離れ、王に報告をする!引き続き任務を全うしてくれ!」


 「は!」


 ヴァンブルドは揃った部下の声を背に、我が主に小さな朗報を届けに行くのだった。

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奇科学に熱せられた花畑で魔女は嗤う kashiyu @ka_shi_yu

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