第3話
残間はタイムベルトを使って遥か昔にタイムスリップした。
和歌浦で最も著名な景勝は玉津島である。当時の玉津島は海上に浮かぶ小島であった。そして、潮の干満で陸と続いたり離れたりする景観を呈していたという。その神聖さから丹生より稚日女尊、息長足姫尊(神功皇后)らを勧請し、玉津島神社が設けられた。また、玉津島の西側に発達した砂嘴は、片男波も今よりずっと内側に入り込んでいたものと推測されており、赤人の句のとおり、葦などの水生植物が生い茂る湿地帯であった。
この和歌浦は都に近いことも相俟って多くの文人、貴族らに愛されてきたが、とりわけ聖武天皇はこの和歌浦を気に入り、何度も行幸している。また、この風致を維持するために、守戸と呼ばれる監視役を配置させた。
また、平安の頃には康保年間に、神霊の勧請を受けて天満宮が建設された。これは菅原道真左遷の際に、風避けの際に和歌浦に立ち寄ったことが縁となっている。
江戸幕府が開府されると、和歌山は御三家である紀州徳川家の城下町として賑わうこととなった。その際に建てられたのが紀州東照宮である。初代紀州藩主の徳川頼宣は祭神に実父である東照大権現(徳川家康)を勧請し、正式に東照宮から遷宮を行ったものである。その例祭、和歌祭は今日に至るまで和歌浦を代表する祭礼として脈々と伝わっている。
また、和歌浦のシンボルにもなっている不老橋は、第13代藩主徳川慶福の治世に第10代藩主徳川治寶の命によって、東照宮御旅所の移築に際して建造された石造の橋梁であり、肥後出身の石工が建造に関わっている。また、このころ建てられたものとして、望海用の櫓として親しまれる観海閣(第2室戸台風で流出、現在はコンクリート製の復元)などがある。
闇に叫べ! 18 和歌山殺人事件 鷹山トシキ @1982
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