恵方巻きって両面から食べる構造してないからね?!

SEN

私の恵方

「はい」


 私の友達、福原ふくはらめぐみはそう言ってぶっきらぼうに恵方巻きを手渡そうとしてきた。


「えっ、なに?」


 二月三日。ニュースでは恵方巻きは素材値上がりで利益が出ないと嘆かれる節分。大学の講義を終えて、いつも通り私、鬼頭きとう華方かほの部屋でゴロゴロしていた時の出来事だった。


「なにって、恵方巻きだよ」


 彼女はキョトンとした顔で、肩にかかる長い黒髪を揺らした。


「脈絡なさすぎんでしょ」

「脈絡はあるよ。今日は節分じゃん」

「無言でスマホいじってた私に唐突に剥き出しの恵方巻きを見せるのは脈絡とは言いません」


 さっきまで私達の間には節分のせの字も無かったはずだ。ニュースで流れてはいるけど、なら今日節分だよねの一言くらいあって良いでしょう。


「まーまー。これもまた一興ということで」

「どこがよ。まったく……」


 体を起こして彼女と向き合う。二人の間には恵方巻き。いや、どういう状況よ。


「なに、食べるの?」

「それ以外ないでしょ」


 何を言っているんだというこいつの顔にイラッときた。こっちはまだ状況が飲み込めてないんだっつーの。


「ならもう一つ出しなさいよ。これがアンタの分か私の分か知らないけど」

「ないよ」

「……は?」

「私が持ってる恵方巻きはこれ一つ」


 なにを言っているんだこの子は。とうとう数も数えられなくなったのか、それとも二進数の世界から来た異世界人なのか?


「どっちか食べらんないじゃん」

「分ければ食べられるよ」

「あぁ、そういう?」


 ダイエット中なのか、それとも金欠なのか。ともかく彼女はこの普通の大きさの恵方巻きを私と分け合う気らしい。少しずつこの状況に適応し始めた私は、彼女の要求を受け入れて片手を出した。


「食べるなら早く食べよ。ほら、半分ちょうだい」

「そうだね。はい」


 そう言って彼女は私に恵方巻きの片面を向けた。具材は卵とかんぴょうときゅうりとシイタケ。オーソドックスな恵方巻きのようだ……ってそうじゃない!


「おかしいでしょ」

「ん?」


 彼女の綺麗な黒髪がまた揺れる。さっきから何を言っているんだと言わんばかりに。それはこっちのセリフだとその無駄に綺麗な顔をぶっ飛ばしてやりたい。


「二人で食べるなら分けなさいよ」

「だから、分けてあげてるじゃん」

「半分に割りなさいって言ってんの!」

「やだ。福が逃げそうじゃん」

「だからって両面食いはおかしいでしょ!恵方巻きはそういう構造してないから!」


 恵方巻きはポッキーではない。これは自明である。この二つの要素からベン図を作ったとしても、共通部分は棒状である事と食べ物であるという事くらい。とても代用できる代物ではない。


「そもそも割ったら福が逃げるとか言ってるけど、両面食いしたら片方恵方向けないじゃん」

「安心して。恵方を向く権利は華方にあげるから」


 ダメだ。頭に恵方巻きが寄生しているのかと思うくらい話が通じない。何が彼女をここまで突き動かしているのだろうか。仕方がないのでこの暴走を一旦止めるために言う通りにすることにした。


「今年の恵方ってどこ?」

「南南東。ちょうどテレビがある方だね」


 言われた通りテレビの方に体を向けると、彼女はテレビを消してから私の前に腰を据えた。依然恵方巻きを私に向けながら。


「なんでテレビ消すのよ」

「テレビ見ながら食べるのはお行儀悪いよ」

「アンタもいつもしてるでしょーが」


 なんだか今日の恵は変だ。いや、いつも少し変なとこはあるけど、今日は輪をかけておかしい。こういうイベントに力を入れるタイプでもないし。


「ってか、本当にいいの?」

「なにが」

「いやさ、せっかく恵方巻き買ってきてくれたのに恵方向けなくて良いのかなって……」


 お互いに向き合って恵方巻きの両端を持ってもう準備万端。けれど一応確認。今日の恵は何を言い出すのか分からないから、後で駄々をこねられないよう。


「別にいいよ。そもそも、そんなの神様が勝手に決めただけじゃん」


 彼女と視線が交わる。彼女の宝石のような黒い瞳には私が映っていて、私を捕らえて離そうとしなかった。


「私にとっての恵方は、華方のいる方角」


 その声は弾けてしまいそうな熱を帯びていた。さっきまでのおとぼけ言動が嘘のようで、自然と私の心臓の鼓動が速くなる。彼女の頬も紅潮していて、甘い雰囲気が漂い始めた。


「好きだよ、華方」


 恵はそう言うと同時に恵方巻きに齧り付き、その勢いで前に押された恵方巻きが私の口内に侵入した。これで私たちは喋る権利を剥奪されてしまった。彼女から告白の意図を説明されないまま。


 こんなの絶対おかしい。告白された直後に、その相手と向き合って両面から恵方巻きを食べてるなんて。今すぐにでも食べるのをやめて問い詰めてやりたい。けれどそれだと福が逃げてしまう。私はまんまと日本の伝統を利用した彼女の罠にハマってしまったわけだ。


 どうしようかと、口内に含まれた恵方巻きの味も分からないくらい冷静さを失った頭で考える。そして弾き出された答えは、早く恵方巻きを食べ終えて告白の返事をすると言う事だ。


 彼女からの告白を受け止めて、返事を考えるまでは、恵方巻きを食べる時間で事足りる。もしかしたらそういう配慮があった告白だったのかも。


 目の前の彼女と同様、一口ずつ食べ進む。


 静寂に包まれた部屋の中で聞こえるのは、私たちの呼吸音と咀嚼音。そして、今にも飛び出してきそうな心臓の鼓動音。


 視線の先には懸命に恵方巻きを食べる彼女。それに淫猥さを感じて、恵方巻きの起源を思い出す。諸説あるらしいけど、なんだかそう考えてしまうのも無理はないと、昔の人に少しばかり共感した。


 食べ進めていくうちに自然と恵方巻きを支える手も前に進む。そして、自然と手が重なり合った。ドキリとして反射的に視線を前に向けると彼女と目が合った。どうやら同じ事を考えていたようだ。


 そのまま彼女は恵方巻きを食べ進める。恵方の先にいる歳徳神に背を向けて、私に熱い視線を注ぎながら。なんて罰当たりな人間なんだろう。


 でも、きっとそれは私も同じだ。体は恵方に向いていても、その先の歳徳神なんて見ていない。私の視線は全て、彼女の瞳の中に吸い込まれてしまうから。


 呼吸音も咀嚼音も、そして心臓の鼓動もハッキリと聞こえてくる。恵方巻きはお弁当に入っている太巻きくらいの長さになっていて、もはや手で支える必要は無くなっていた。


 自由になった手は行き場所を求め、自然と目の前の相手の手のひらに落ち着いた。絡められた手から彼女の熱が伝わり、私の熱も彼女に伝わる。


 そして、私達は最後の一口を同時に敢行し、唇が触れ合った。


 もう食べ終えたのだから離してもいいのに、恵は私の手を握りしめたまま唇を触れ合わせ続ける。こんな罠に嵌めた糾弾をしてもいいのに、私は黙ったまま彼女を受け入れてしまっていた。


 恵方巻きを食べてそのままキスだなんて、こんなキスは嫌だランキングでも上位に入るだろう。ましてや、ファーストキスがこれだなんて。でも、私の中には多幸感が溢れていて、口の中に少し残っている恵方巻きなんて気にならなかった。


 長い長いキスを終え、唇を離した彼女は不安そうに私を見つめた。


「その、返事は……」


 悪戯がバレた子どもみたいな弱々しい声。そんなに不安になるなら、こんなトンチキな事しなきゃいいのに。けれどそんな姿も恵らしくて、愛おしさが溢れてくる。


「私も恵のことが好きだよ」


 有り余るほど考える時間があったから、スラスラと返事を言えた。そして返事を聞いた彼女の顔はパァッと明るくなり、勢いそのまま私に抱きついた。


「よ、よかったぁ」

「はいはい」


 想い実った嬉しさと、万事無事に終えられた安心感で肩の力が抜けた彼女を優しく撫でてあげる。そしてしばらく抱き合った後、何故こんな告白をしたのか聞いてみた。


「その、ずっと前から好きで、いつか告白したいって思ってたんだけど、どうすればいいのか分かんなくて」

「……それで思いついたのがアレ?」

「はい……」


 恵方巻きを向けながら私を振り回した傍若無人な彼女はどこへやら。手で顔を覆って悶々としている。


「本当にどうすればいいのか分かんなくて、それで今日コレを見かけて、これだ!って……いやこれだ!じゃないよ本当に……」


 過去の自分を叱りつける彼女は、かつてないほどまともな感性をしていた。


 いつもはどこか適当で変なところがあるのに、私への告白は真剣に考えてくれていたようだ。その上で、変な結論に飛んじゃうくらい私の事が好きだなんて。なんていじらしくて、可愛いのだろう。


「恵のそういうとこ、私は好きだよ」


 私の気持ちを素直に伝えると彼女の頬はさらに赤くなって、まるでリンゴみたいだった。


 そんなわけで私は恵と恋人になった。胸の中で幸せが溢れてふわふわした気持ちになるけど、明日は気をつけないと。


 きっと南南東にいる神様はご立腹だろうから。

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恵方巻きって両面から食べる構造してないからね?! SEN @arurun115

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