彼女のいる構図

@takap4106

彼女のいる構図

 早朝、4時。3月も中旬となったある日のこと。

 僕たちは互いにカメラと三脚を準備して、二人きりで集合した。

 彼女は寝坊したのか、珍しく毛糸の帽子をかぶっている。


「君、痩せたね」

「そうかも。今日、久しぶりに鏡を見たんだ」


 僕は自分の頬を撫でながら言った。

 以前よりこけた僕を、両親は憐れむように見ていたけれど、彼女は僕に向けた笑顔を崩さなかった。


「移動長いけど、大丈夫そ?」

「誘われたとき、急に食欲が出たんだ。朝ご飯にタコ焼きを食べてきたよ」

「私の好物じゃん。高校の帰りによく寄ったね」


 たしかに、そうだったかもしれない。


「クマもすごいね、タクシーでは寝てなよ」

「それが出来たら苦労しないんだよ」


 それもそうか、と彼女は頷いて歩き始めた。


「いこ」




 まだ太陽が顔をのぞかせていない時間に僕たちが向かったのは、とある展望台。

 山の上にあるから、登山や散歩好きでない限りはタクシーで向かう人が多い。


 僕たちは運転手に行き先を告げると、視線を窓の向こうに向けた。まるで目をそらすように。

 僕は、窓の曇りを手で拭った。

 

 しばらく二人とも黙っていたが、山を登り始めた頃、彼女が落ち着いた声で言った。


「今日、霧があるね」

「ある」

「見えると思う?」

「誘われた時から、なぜか見える確信があったよ」


 彼女は、何それ、と笑った。でも本当にそう思う。

 きっと彼女のことだ。たくさん調べて、今日という日を選んで僕を誘ったんだろう。だから期待できると思う。

 彼女は自信満々な僕を笑った。


「君、私の言うことはやたら信じるよね」

「高校3年間でよくわかったんだよ。こういう人は信用できるって」

「ふーん。でもさ。私とさ、一緒に勉強、したのにさ」


 雪解けした水が凍るように、空気がピリッと鳴った気がした。彼女は続ける。


「落ちたじゃん。大学」


 タクシーのエンジン音が大きくなる。傾斜が急な道に入ったのだ。

 確かに、僕は大学受験に失敗した。

 彼女と同じ大学を目指していたのだが、見事に彼女だけが合格した。


 決して、無理な挑戦ではなかったはずだけど、どうやら、僕には届かない場所だったらしい。


 彼女が数十秒の沈黙を経て、さらに続けた。


「私、何度も君は合格するって言ったのに」

「責任を感じてるの?」

「そうだよ。私はなんて、無責任なことを言ったんだろうって」

「確かに、珍しく予報が外れたね」


 彼女はうつむいていた。黒い髪が、僕から彼女の表情を隠す。

 僕は頭をかいた。何を言っていいのかわからなかった。悩みに悩んで、結局考えたことを口にする。


「仕方なかった、としか。出来ることは全部やったから」


 彼女は黙って聞いていた。


「それでだめなら、仕方ない、うん。仕方ないよ」


 彼女は、やはり黙って聞いていた。


「うーん、まあ、滑り止めもあるし、ね」

「君、慰めてるつもり?」


 ようやく開いた彼女の口からは、ひどく不機嫌な言葉が出てきた。僕は少し驚いて、彼女から目をそらしてしまった。確かに、いつの間にか彼女を慰めるような発言になっていたかもしれない。


 彼女は小さく息をついて言った。


「私にとって、一番当たってほしい予報だった」


 言葉の意味を、僕は素直に受け取った。

 心臓の音が大きくなって、まだ静かになっていく。


 僕だってそうだよ、こんなときに、外れるのかって。

 思えば、唯一の外れかもしれない。

 でも、彼女の予報的中率を下げてしまったのは、まぐれもなく僕だ。


「僕は、本番に弱いからね」

「嘘。君、試験が終わったとき、自信満々な顔してたし」

「ねえ、もしかしてさ、泣いてる?」


 震える彼女の声を聴いて、僕は意外に思って、彼女を見た。


「……悪い?」


 僕の方をやっと向いた彼女は、目を赤くしていた。

 はなをすすり、頬にまた涙がつたう。


 僕は目を丸くして驚いた。彼女が泣いている顔を見るのは初めてだった。




 タクシーを降りて、薄い霧の中を歩き始める。彼女はまだ、はなをすすっていた。


「あーあ」


 タクシーの音が聞こえなくなったころ、彼女が大きな声を出した。


「大学、蹴ってやろうか!」

「……やめときなよ」


 僕は半分呆れて言った。だが、彼女は僕の方を振り向いて、不機嫌そうに言う。


「君、本気じゃないと思ってるでしょ」

「さすがに、そうかもしれない」

「へえー、ついに君からの信用を私は失ったわけだ!」

「そういうわけでは」


 彼女は踵を返し、唐突に足を速める。僕も速足で彼女を追った。


 次第に、また二人で並んで歩き始める。


 なんだか今日、僕たちの距離は、遠くなったり近くなったりする。彼女は怒ったり泣いたりする。僕も、悲しんだり、急に冷静になったりする。


「浪人とかは考えなかった?」

「うちの親にそんなお金はないよ」

「お金があってもしなかったでしょ」

「……わからないよ、それは」


 だんだん、道は整備されてないところに入っていく。

 湿った枯れ葉がかさかさと音をたてた。

 風が吹いては、彼女の髪を揺らす。息も白い、気温は摂氏だろう。


 手袋をつけた手をポケットに入れていると、隣を歩く彼女が僕の腕に組みついてきた。


 驚いて、思わず足が止まる。

 彼女の方を見ても、僕と目を合わせる気はなさそうだった。

 極めて冷静に、僕は口を動かした。


「あの、なに?」

「君、立っていても寒いだけだよ」

「あ、はい」


 寒いだけ、といいながら、わずかに垣間見えた彼女の顔は赤かった。

 僕も、さっきより断然、今の方が温かい。

 



 しばらく進むと、明るい光が少しだけ、木と木の間から差し込み始めた。

 そして、木造の展望台も、五十メートルほど先に見える。彼女はまだ、僕の手にくっついて離れない。


 こういうことに慣れていないせいか、少し歩きにくいのだが、さすがにそれを伝えてしまうほど僕も空気が読めないわけではない。

 だけど、何を言っていいのか、もう全然わからない。彼女の息遣いが、わずかに聞こえてくるだけだ。



 展望台まで、残り五メートル。彼女が足を止めた。


「君、私は今日、ある予報をしてたんだよ」

「へえ、なんのことだろう」

「一つは、今から見える景色について。そしてもう一つは、君について」

「僕?」

「できれば、二つとも当たってほしいな」


 なんのことだろう、と首をかしげていると、彼女は僕に引っ付いたまま、肩で僕を押した。


 行こう、ということらしい。




 展望台へ上る。もう、太陽は登り始めていた。

 そして、彼女の一つ目の予報は当たっていることを、確認した。


「見えたね」

「わかってたよ」

「まあね。今日は、外れてもらったら困るから」


 僕たちの目の前に人がっているのは、雪も降っていないのに、真っ白い絨毯が敷かれた世界。そして、その中にポツンと、人知らぬ孤島のように、城が立っているのが見える。


 彼女が、確認するように口を開く。


「雲海」


 雲の海。

 昔の人はなんてぴったりの言葉で、この景色を表現したのだろう。

 太陽の光が差し込み始めた今、雲の白さは際立つ。


 僕たちは浜辺で海を眺めるようにして、雲海を眺めていた。

 

 雲海は、雨の日の後などに見えやすい。

 彼女はそうした情報を事前に調査して、今日を選んだのだろう。


「撮ろうか」

「せっかくだし、そうしよう」

「……いったん離れてもらえる?」


 彼女はゆっくり僕から体を離した。そして、カメラを取り出して構える。

 カシャリ、と聞きなれた心地よい音が鳴った。


 僕も追うようにカメラを構える。彼女とおそろいのカメラだ。

 カシャリ。


 彼女が僕のカメラをのぞき込む。


「いい感じ?」

「う、うん」


 近いな、やけに近い。

 いや、前からこの距離感か。



 何度かそれからもシャッターをたいて、二人とも息をつく。

 すると、彼女がまた僕の腕に触れて言った。


「君、写真撮らない?」

「もしかして、ツーショット?」

「そ」


 僕は心音が大きくなるのを感じながら了承した。

 三脚を取り出して、雲海をバックにできるよう、設置する。

 彼女はそんな僕を、目を細めて眺めていた。


「ねえ」

「ん?」


 彼女が言う。


「私、君が好きだよ」


 手が止まる。止めなきゃいけないと思って、僕は止まる。

 彼女をみると、頬を赤く染めながら、満面の笑みでこちらを見つめていた。

 細めた瞼の向こうから、やけに明るい瞳が僕を覗いている。

 まるで、雲海に立つ天使さまのようで、僕は息をのんだ。


「君は、知ってたかもしれないけどね」

「……いや」

「嘘だね。知らないなんて言わせないんだから」


 彼女は僕に向かって歩き始める。

 僕は後ずさりしそうになる足に、必死で力を込めて耐えた。

 唇は寒さのせいではないが、震えていたと思う。

 彼女はそんな僕から一瞬も目をそらさない。僕も目をそらせない。


「ほんとは、同じ大学に行けることが分かったら告白してくれるかなって、予報してた」

「まあ、それは、当たりかも」

「でしょう? まじめな君のことだから、そんなことだろうと思って待ってた」


 でも、と彼女が口を閉じる。


 そして、また開かれる。


「……でも、私の予報は外れた」


 悲しい事実を告げているのに、彼女の声はどこか期待を込めているようだった。

 僕は、今日の彼女の予報、あと一つが分かった気がした。


「だから、今日こそは当てたいんだね」

「そう。今日こそは、当ててみせる」

「へえ、どうやって当てるんだろう?」

「お膳立ては十分だと思うんだけど」


 僕は、声が震えるのを自覚しながら言った。


「大学は違うよ」


 彼女は呆れたように肩をすくめる。


「いいよ」


 僕は続ける。


「県外の大学だから、会えるのは年に数回になるかも」

「いい。待ってるし」


 彼女は僕をじっと見つめる。


「君は、きっと今日はお別れの儀式だと思ってたと思う。でも、そんなことさせない」

「……そうだね、出来そうにないな」


 彼女は、予報の的中を確信したようで、さきほどよりも赤く頬を染める。


 僕はその両頬を手で包みこんで、言った。


「僕も、好きだ。ずっと一緒にいたい」

「……へへ」


 彼女は身をひるがえす。

 そして、雲海の前で立ち止まって、僕にて招きをしてきた。

 僕は、十秒のタイマーをセットし、彼女のもとへ速足で向かう。


「あはは!」


 彼女は笑って、隣に立つ僕の腕に抱きついた。

 胸の中で、何かがとめどなくあふれだす。

 そして、僕が彼女の方を見た瞬間、シャッター音が鳴った。


「あ、僕、変な顔してたと思う!」

「どれどれ!」


 彼女が走り出して、カメラの写真をのぞき込む。そして、また大声で笑う。


「君らしい。いや、私たちらしいよ!」

「なんだそりゃ。もう一回! 撮りなおさせて!」

「め。この写真を私にも送るように」


 残念ながら、僕の願いはこの天使に聞き届けられなかったようだ。



 

 帰りのタクシーで、僕はいつの間にか眠ってしまっていた。

 彼女の肩の上で、穏やかな顔をしていたらしい。

 こんなに深く眠ったのは、久しぶりだ。

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