立冬の朝、朝日の下で

 高校二年の春、桜の木の下で僕は魔女に出会った。

 比喩で使われるような謎めいた女の先輩でも、小悪魔的な後輩でもない。その名の通り、魔法を使う女性。

 そこから僕の運命は変わったと言っても過言では無い。

 出会った直後はちょっとした――彼女に言わせればだが。僕にとってはとてもやばい事だった――魔法に関する出来事に巻き込まれ、夏休みには僕らの街で唯一の駅から遠出をした。そこでも、彼女をつけ回す魔法使いとさながら映画みたいな闘いを繰り広げた。そして、それが少し落ち着き秋が訪れたと思ったら、学校で起こった幾つもの事件に遭遇した。安楽椅子探偵よろしく、彼女は喫茶店で、イチゴがたっぷりの乗ったパフェを口に運びながら、その事件達を解き明かし、改めて彼女の凄さを知った。

 約半年一緒に過ごして分かったことがあった。彼女は魔女と恐れられているけれど、とても甘いもの好きで、色とりどりのものが好きで、代々受け継いだホリゾンブルーの瞳が好きで、代々受け継いだ魔法が好きで、それを喋る時はとても饒舌になるような普通で普通な女の子。それが僕の今の印象だった。

 でも問題というか、気になることもあった。

 秋の事件以降彼女の様子が少し変なのだ。

 気のせいだと言えばそれまでなのだが。

 

 ※※※

 

『明日は立冬ですが、その名とおり寒い一日になるでしょう』

 左耳のワイヤレスイヤホンから流れるラジオの天気予報は寒さを伝えていた。その後すぐにポップな音楽が流れ、有名人がタイトル名を叫ぶ。

 いつもはそのまま流されるようにラジオを聴くのだが、彼女のことが気になり、今日はそんな気分にはなれなかった。

 ブレザーの胸ポケットからスマホを取りだし、ラジオのアプリを強制的に閉じる。そのままワイヤレスイヤホンも流れ作業で外し、ため息をひとつ。

 目の前にあるのは立派なお屋敷と門構え。ヨーロッパ風のその建築物は、ドラマでもよく見るような重厚感の建物だった。僕の語彙力では上手いこと説明出来ないのが悔しいくらい、とにかく凄い。

 いつものように門をくぐり、お屋敷の中へ入り込む。不用心なのだが、ここは街の外れ。誰も来ないし、そもそも街の人達はここに住む魔女を怖がり近づくことさえない。

 学校が終わった放課後。

 部活に入っていない僕にとっては悠々自適で、この時間でなければ彼女には会えない。

 お屋敷の玄関ホールを抜けて、広間へと向かう。広間は相も変わらず広い。来る度にサッカーとか野球ができるんじゃないかと思う。ただ、活気が無い。彼女一人しか住んでいないので仕方ないとは思うのだけれど。

 広間をさらに抜けると、中庭がある。

 中庭はすっかり落葉した木々が静かに佇んでいた。その中でもいちばん大きい木の下に彼女は居た。

 いつもの黒い服に金髪の長髪が緩く揺れる。彼女は木を見上げていた。ただ気だるげだ。

 秋の件もあって心配もしていたが、ここまでとは。

 彼女の名前を呼ぶが、振り返りもしない。それから何度も名前を呼ぶが、反応がない。まるで、自分の名前を認識していないような。

 それから幾度目かでようやく彼女の身体がピクっと反応した。不思議な様子で振り返った彼女に愕然とした。

 元々白くフランス人形のような白さを持っていた肌はさらに白さを増し生気が感じられず、大きい瞳も薄い青のはずなのに、紅く染め上がっていた。

「やあ」

 風の吹く音にかき消されてしまいそうなぐらいの小さな声だった。いつもの相手をぶっ飛ばす、というような覇気が無い。

 驚きすぎて声が出ないとはこの事だろう。

 彼女からとにかく話を聞かなければならない。そう思った。

 

 ※※※

 

 詳細は彼女自身も上手いこと言えないのか、しどろもどろだったけれど、つまりは、彼女は名前を封印してしまった、とのことだった。

 名前を封印する、つまり、魔法使いとして死を意味する、と、いつぞや彼女は語っていた。名前を封印するということを使用して、あの夏の事件は解決したのだ。

 それが彼女に降り掛かるとは思いもしなかった。

 そもそも、彼女自身、先祖代々から受け継いだ名前と、瞳と同じ色のホリゾンブルーの魔法を気に入っていた。それなのに、どうしてと、頭の中で疑問符が飛び交う。

「どうして……?」

 言葉にも出ていたらしい。僕は自分のことを頭で色々整理してから話すタイプだと自負している。その僕が思っていることをなんにも考えずそのまま出てしまったのだ。

「なんでだろうね」

 彼女が浮かべた物悲しそうな笑顔と、どこか他人事のようなそのセリフが僕の心をエグる。彼女とは出会って数ヶ月しか経っていない。ほとんど知らないと言っても過言では無いだろう。それでも、そんなの彼女らしくないと、胸を張って言える気がする。

 行こう、とその言葉と共に、彼女の手を引き、お屋敷を出る。

 明らかに混乱している声が届くが、そんなの無視をした。

 彼女には彼女らしく、悪い言い方をするのであれば、偉そうなぐらいが彼女らしいのだ。それを取り戻すために、名前を取り戻す。そのために、彼女を手を引いた。

 初めて握った彼女の手は、それを拒否するかのように冷たい印象だった。

 

 ※※※

 

 最初に訪れた場所は、彼女と初めて出会った場所。それは僕の通う高校の近くの桜並木。

 今は葉が落ちてしまって寂しい限りだが、春になると道路端に並んだ桜がベビーピンクのような彩やかな色を放つ、とても綺麗な場所。

 そんな中彼女と出会ったのだ。

 そして、その後あの伝説となる事件が起こった。

 事件の詳細については語ることはしないけど、その事件も含めて僕の人生において衝撃的なことで、はっきりと記憶に焼き付いていた。

 魔法使いが存在するんだという驚き、と、魔法の凄さに平常心を失った。

 その事を身振り手振りを交えて、必死に彼女に伝えるけれど、反応は薄い。

 でも、「そうか、きみと逢ったのここだったか」と呟いたのが耳に届く。

 少し嬉しくなって、また彼女の手を引いた。

 

 ※※※

 

 次に訪れたのは、この街唯一の駅。

 この駅はカナリーイエローと呼ばれる黄色で統一されたかなり変わっている駅だった。もともとはアイビーグリーンを使用したもので、自然との調和がテーマだったらしい。だが、街の人口が低下してきたことをきっかけに、目立つようなシンボルを作ることが決まった。新たに作る予算も無い中で、色を変える程度なら、と、この駅が黄色になったのだ。

 通る度に苦笑するような気持ちになるけれど、夏休み、彼女と旅行を始めた場所でもある。

 旅行といっても、彼女の別荘に行くというものだったけれど、その列車から別荘に行くまで、そして、別荘で、魔法協会の魔法使いと激闘を繰り広げた。

 簡潔にいうと、彼女は無敵だった、ということだ。敵の攻撃を鮮やかに躱し、幾度の攻撃も当たることがなく、勝利を収めたのだ。

 とにかく彼女は強くて春からより頼もしさが倍増した。

 僕はあの夏の出来事を、彼女に語った。途中から興奮して自分でも何を言っているのか分からないぐらいなのだけれど。

「強かったんだね、私」

 少しだけ微笑んだ彼女に僕は嬉しくなって笑った。

 

 ※※※

 

 そして、最後に訪れたのは、『蒼空そら』というカフェだった。このカフェはシーズンごとに、テーマが変わる仕様になっていて、秋のあの事件達が起こる時に来た時は、二十四節気と色をテーマにしていた。

 あの時、僕はカフェオレを注文して、彼女は立春をテーマにした、苺たっぷりのパフェを食べていたのを思い出す。

 秋のあの事件達は、つい最近まで起こっていた。

 春をアクション、夏をファンタジー、とジャンル分けをするならば、秋は日常ミステリと呼べるだろう。しかも、安楽椅子探偵だから、余計に彼女の凄さが際立った。

 あの時と同じメニューであれば、もしかしたら、と思い、注文してみるけれど、彼女の手はなかなか上がらない。

 何かに気づいたように、「そうか。一緒に居たかったんだ」と言って彼女は明らかに無理をしてる笑顔を僕に向けてきた。

 その笑顔は泣きそうで、泣きそうで、泣きそうで。

 

 

 ※※※

 

 魔法使いに関わるものは不幸になる。

 それはよく魔法使い界隈で言われる噂話。

 私は率先して人と交流しようとは思わなかったし、不気味がって交流をはかろうとする者もいなかった。不便とは思わなかったし、そういうもんだと思っていた。

 だけれども、今年の夏に起こった事件(彼曰く令和の魔法使い大戦)では、彼が重点的に狙われ、噂話が現実になった。

 なんとなく、彼はリアクションが面白いし、子犬のような可愛さもある。だから、色んなところに連れていきたくなった。別荘にも招待した。

 あの夏、彼を必死に守った。なんであんなに必至だったのか。当時は全然分からなかった。

 ただ、夏が終わり、秋のカフェで一緒に過ごしていくうちに、私は気づいてしまった。

 彼のことが凄く気になっている、と。彼のことを考える度に心臓が大きく動くのがわかる。生きてきて初めての経験で、どうすれば良いのか分からない。

 長生きしている魔法使いの友人に渋々ながら相談すると、「それは恋だね」と一蹴された。ニヤニヤと変な笑みを浮かべて。

 意識してからは彼のことを直視出来なくなってしまった。そして、それと同時に頭を抱えた。

 私が魔法使いをしている以上、あの夏の事件のようなことが間違いなく起こる。それで無くても、【蒼の魔法使い】と称されるために色々狙われているのだ。もしかしたら私が居ない時に彼を狙うかもしれない。もしかしたら彼を守りきれないかもしれない。もしかしたら魔法が暴発して彼に怪我をしてしまうかもしれない。もしかしたら――――。

 もしかしたら、が頭の中でループする。今はもう彼を喪うことが怖い。

 三日三晩眠れぬ夜を過し、一つの結論に達した。そう、魔法使いを辞めれば良いのだ。そうすれば彼が狙われることがないし、喪うこともない。私がこんな思いもしなくても良いのだ。

 名前を封印する、それだけで魔法使いは魔法使いではなくなる。魔力を込めることが出来なくなるのだ。それはきっと魔法使いならやってはいけないことなのだろう。

 これまで培ってきた全てを捨てることになる。これまでの努力も何もかも。未練はある。あるけれど。

 ただ、それで彼を護るなら。それで安心に一緒に過ごせるなら。何ら惜しいことは無い。

 

 ※※※

 

「そうか」

 私はこの瞬間あの時の想いを思い出していた。目の前におかれたパフェがある意味トリガーになったのだ。

 彼には何も言うまい。そう決めていた。心配を掛けたくなかった。なのに、身体がそれを拒否するかのように口がなめらかに、想いをぶちまけてしまった。こんな時に、魔法が使えればと後悔をした。

 一通り聴き終えた彼は真剣な眼差しで頷いた。

 そして、「ごめんね」と謝ってきたのだ。

 違う、違うんだ。これは私が――――。

「でもさ」と彼は続ける。

「僕はあなたと一緒にいたいんです。名前を呼べないと不便だしね?」

 そう言う彼は笑顔だった。

 理屈はよく分からない。よく分からないけれど、何故か心が満たされていく。そして、何故か嬉しくなった。

 

 ※※※

 

 まもなく夜が明ける。朝日が昇るタイミングを見計らって、僕は高台に彼女を案内した。

 ここは朝日が昇る様子と街並みをよく見えるの取っておきの場所。

 どうしても彼女とここに来たかったのだ。

 朝日が昇る。

 空が夜から淡いホリゾンブルーに変わる。それは彼女の瞳と同じ色。

 彼女と向き合い、僕は口を開いた。

「僕は一緒に居たいんです。あなたにとってそれは迷惑かもしれないけれど、僕は一緒に居たいんです。」

 だから。

「僕はあなたのことが、大好きです。だから、一緒に、ずっと一緒に居たいです」

 そして、彼女の手を握った。

 彼女の瞳はもう紅く無く、元々のホリゾンブルーの色に、そして、手も暖かく、ようやく彼女が戻ってきたような気がした。

 どこまでも吸い込まれそうな淡い青の瞳。

 顔を近づけ、彼女とそっと触れ合いが交わされて――――。

END

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空色 大根初華 @hatuka_one

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