まひるの夢

百入百敷

まひるの夢

手を伸ばす。手から零れ落ちたアイスには届かなかった。

「あぁー!!最悪だ……」

まだひと口しか食べていないソーダ味の塊は、他愛もなく地に落ちている虫の死骸みたいに惨めで哀れにも無惨だった。

「そんなちんたら食べてるからでしょ」

笑い混じりの声で隣を歩く友人が言う。

「だって最後なんだぜ?」

「……最後、ね」


そう最後なのである。

高校最後の夏、進学したら来年もこうして遊んでいられるかは分からないからと、宿題もそこそこにこの昔からの友人に呼び出されたのである。


「で、どこ行くんだよ」

こんな真夏の真昼間まっぴるまにアイスを犠牲にしてまで呼ばれた訳を尋ねる。これでしょーもない理由だったらすぐさま帰ってやる。


「川の向こうに行きたくて」


「は?それだけ??」

「それだけ」

「何か意味でもあんの?」

「まさか〜!!夏の暑さでおかしくでもなった?」

「おかしくなったのはお前の方だろ」

「いいんだよ、意味が無いから意味があるんだよ」


本当に帰ってやろうか。

とは言いつつも、隣をついて歩いていたらもう橋のたもとまで来ていた。カタンカタンと簡単に作られたような金属の階段を登る。道路と一緒に敷設された橋はこの川に架かるどの橋よりも高さがあって、夏の暑さを忘れさせるくらいに風がよく通るのだ。


「うひょー!!きもちーー!!!」

と両手を上げて風を受ける幼馴染をアホらしく思いながらも、肌を滑る涼しさに俺も目をつむって味わってみる。すぐ側の道路を走る車から見れば不審者にしか見えないのだが、今となってはそれもどうでもいい。夏の太陽の眩しさを目蓋の外側に感じながら、身体と空気の、あるいは世界との境界が溶け合っていく。ふわふわと溺れていくような、そんな気がした。

「ちょっと!だいじょーぶ!?」

不意にかけられた声で、意識が一気に覚醒する。具合でも悪くなったのかと、こちらを心配している彼に笑って見せて先へ行こうと促した。それに安心したように、そういえばと話を始めた。


「小学生の頃はさ、川の向こうは校区外だからって子供だけで橋を渡ったらダメだってよく言われたよね」

「そーいやあったな、そんなの」

「ダメって言われたら渡りたくなっちゃってさ、よく近くまで遊びに行ったよね」

「そうだっけ。こうして渡れるようなってさ、ガキん時に思ってたよりそんな大したもんじゃなかったって知んだよ」

「そう……それでも渡ることに意味があるんだ、みたいなさ」


そう言葉を切った友人の視線が高く登る。太陽に照らされてきらきらと光る彼の瞳は、天使のような清らかさと無邪気さを持っていた。


「見て、飛行機!!でっかいよ」

まるきり子供のような素振りに呆れた声が漏れる。

「気を付けろよ、そんな上ばっか見てると川に落ちんぞ」と普通にしてりゃ乗り越えられやしない高さの柵をよそに言う。パッとこちらに目を合わせた友人は少し困ったように笑って、大丈夫だよと答えた。


50mほどの橋はどんなにゆっくり歩こうともほんの数分で向こう側へついてしまう。そしたら次はどこへ行くんだろうかなどと考えてると、その終わりはいとも容易くやって来た。


「川、一緒に渡ってくれてありがとう」

唐突に後ろを着いて歩いてきたあいつが底抜けに明るい声で言う。素直な感謝の言葉にむず痒さを覚えて、んな真剣に言うことかよと言いつけてやろうと後ろを振り返った。


そこには誰の姿も無かった。

「……え」

分からない。一体誰だ……今まで一緒にいたあいつは。俺にはそんなアイスを食べながら川向こうに行こうだなんて誘ってくる友人を知らない。思いも出せないその友人の面影を探して探して、来た橋を戻っては川沿いにまで降り立った。


穏やかに流れる川にはちらほらと人の姿があって、小学生くらい子供達がきゃーきゃーと川岸で水を掛け合って遊んでいる。いつかの昔を思い出して少し懐かしくも思われた。あれも夏のことだったかと、真昼の太陽が水面にきらきらと反射して俺の瞳に映った。


「……まひる」


そうだ、まひるだ。夏と太陽が良く似合う陽だまりみたいに笑う俺の幼馴染。渡れない川向こうに夢を見て、しょっちゅう川遊びに来ていたあいつ。真夏のままに溺れて死んでいったまひる。


伸ばした手は、届かなかった。あの打ち捨てられたアイスみたいに、零れ落ちて為す術もないまんまのお別れだった。


「んな、分かりにくい帰ってき方すんなよなぁ〜、まひる!!」

真昼の太陽が笑った。


そんな8月15日の白昼夢。

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まひるの夢 百入百敷 @momoshiki

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