第11話 孟秋②

 シドとフィーナが宿のそれぞれの部屋で仮眠を取っている間、フィースはモバダの空中宮殿で王と謁見していた。

 宮殿には三人の王がいて、フィースは自分が何故このモバダにやって来て、どうやってこの宮殿に来たのかを話した。奇妙なことに王たちはフィースの言葉を微塵も疑わず、それどころか協力を申し出てくれた。

 そしてフィースは、オーヴの力を借りて空中宮殿と城下を繋ぐいくつものエレベーターを復旧させた。

 原因は、風の精霊王の配下の精霊たちが何ものかによって作為的に操られていたことにある。風の精霊王の支配を離れた精霊たちは我を失いエレベーターの周囲をただぐるぐると回り続けていた。そのために人々はエレベーターに近付くこともできず、宮殿と城下とが隔絶されてしまっていたのだ。フィースとオーヴの力で我を失っていた精霊たちは風の精霊王の元へ無事、戻ることができたし、人々も再びエレベーターを利用することができるようになった。

 モバダの三人の王たちは、フィースが空中宮殿に上がってくる前も、そしてやって来てからも、一度として原因の詳細を調査することはなかった。第一に王たちは次代の王のために足場を固めることで精一杯だった。第二に、四人目の王の不在を怖れるあまり、同胞同士、また他の街との敵対をよしとしなかったからだ。

 フィースはそれだけではどこか釈然としなかったのだが、三人の王たちにはそれぞれ事情があるのだから仕方がないのかもしれないと、そんな風に納得するしかなかった。

 そうして、フィースとフィーナの双子は離れ離れのまま、秋の最初の一ヵ月が始まったのだった。




 自分がオーヴの担い手の一人だと知ったフィースは、なかなかモバダの城下へ降りようとしなかった。また、フィーナたちのほうにも別に新たな事件が持ち上がったようで、宮殿へ上がってくることができなかった。

 フィースは日がな王室図書館に入り浸り、本を読み耽るといった日々が続いていた。

 モバダ宮殿の王室図書館にはオーヴに関する文献が随分とあった。王の話ではルグオの図書館や寺院にもかなりの量の書物が保管されているとのことだったが、先のオーヴの冒険譚に関する資料はすべて寺院の大僧正の手によって保管されているということだった。

 冬が来る前にモバダを発ち、次の街へ向かうということは少し前から決めていたが、それまでにフィースがしなければならないことは山のようにあった。例えば、オーヴのことについて、少しでも多くの情報を仕入れること。それは両親から聞いた話ではなく、文献として残っている知識を頭の中に叩き込むことだった。また、参考文献に目を通しているうちにフィースは、オーヴは常に同じ場所に出現するわけではないという結論に至った。ほとんどの場合は関連のある場所で発見されることが多かったが、ごく稀に人の手によって発見され、あちらの人からこちらの人へと渡り歩く時もあった。幸いなことにフィースの場合は父レガシーが歩んだのと同じ過程でオーヴと出会うことができたが。

 しかしオーヴはあと六つあるのだ。

 七つのオーヴのうちの一つはこんなに簡単に手に入れることができたが、残る六つを簡単に手に入れることができるとは思えない。

 いったい、モバダを発つまでに知らなければならないことは幾つあるのだろうか。

 目の前に積み上がった文献にちらりと目を馳せ、フィースは深い溜め息をつくのだった。




 一方、モバダの城下にいるシドとフィーナは、ふとしたことでルグオの女騎士と姫君の一行と知り合った。

 ある日突然、シドとフィーナの泊まっていた宿の主人が、二人に部屋を出てほしいと言ってきたのだ。それというのも、女騎士と姫君の一行に宿の部屋をすべて貸してしまったためだと言うのだ。

 シドたちは一ヵ月先までの宿泊費を納めていたが、主人に強く言われたシドはおとなしくその言葉に従い、部屋を出た。事を荒立てる気はさらさらなかったので、新しい宿で部屋が取れるまでは野宿を覚悟していた。もちろん、先に納めた宿泊費の残金を宿の主人から返してもらって。

 ところがフィーナはそうではなかった。

 フィーナは最初、先に宿泊費を納めたのにこれではあまりにも酷すぎると強く抗議した。しかし「一行との間で話は既についてしまった」という主人の言葉に、今度は一行の中にいる下っ端らしき兵士に憤怒をぶつけにかかった。兵士はただひたすらに「自分は上からの命令に従っているだけなので、文句を言われても困る。宿の主人と交渉しろ」の一点張りを押し通した。そのうちにたまたま噂の女騎士がやってきて、フィーナにしてみれば幸運なことに直接、この女騎士に文句を言うことができたのだ。

 それがきっかけでシドとフィーナの二人は、この女騎士の一行と急速的に親しくなっていった。

 女騎士は思ったよりも人好きのする人間だった。フィーナとシドは女騎士の計らいで宿の元の部屋に滞在し続けられるようになった。お互いに部屋を行き来し、言葉を交わすうちにフィーナはいつしかこの女騎士に対して好感を抱くようになっていた。

 そして何も知らないふりをして女騎士と言葉を交わすうちに、この一行はどうやら王の命を受けてオーヴの探索に携わる者だと、フィーナにはそんな風に思えてきた。

「ナダスへ行かれるのですか」

 女騎士の部屋を訪れたフィーナは、率直に尋ねた。

「あちらは景観のよろしい場所が多いでしょう。遊山をしようと思っておりますの」

 答えたのは、連れのコルシュ姫だ。

 コルシュ姫はこのモバダの出身だが、ここ何年間かは遊学のためにルグオで過ごしていたという。一行は彼女の気紛れでナダスへ向かう途中、ついでにこのモバダに立ち寄ったらしい。

「ナダスには美しい自然が多く残っています。もちろん、他の街にもそれぞれ素晴らしい場所がたくさんありますけれど、ナダスの湖はどの街の湖にも引けを取りませんわ」

 言いながらフィーナは、ナダスに住む祖父母のことを思い出していた。あまり交流もなく、会ってもどこか他人行儀な人たちだったが、何よりもフィーナは彼らの家の近くにある湖に惹かれていた。

 透き通る水。深い青。どこよりもあの湖の傍が落ち着ける。幼いころに母のノマから湖の話をよく聞かされたからかもしれない。

「あなた方もナダスへ?」

 と、女騎士アラニア。

「ええ、もう一人の連れが戻り次第、ここを発つつもりです」

 彼らに同行してナダスへ行くことになればどんな利点があるだろうかと頭の中で計算しながら、フィーナは答えた。

「お連れの方は今、どちらに?」

 今度はコルシュ姫が尋ねる番だった。

「先月末から宮殿に上がったきり、戻ってこないんです」

 軽く肩を竦めて、フィーナ。

 フィースが宮殿に上がって以来、心話の接触は頻繁に途切れるようになっていた。オーヴに関する文献を調べると言って、もうずいぶん長いこと宮殿に入り浸っているような状態だ。一度、シドと二人で宮殿へ行きたい、フィースに会いたいと心話で語りかけたが、あっさりと却下されてしまっていた。

「わたしく、明日にでも上へ戻るつもりですのよ。よろしければ、ご一緒なさいませんこと?」

 と、姫。

「あの……ええ、喜んで。ご迷惑でなければ、是非」

 思いがけない申し出に、フィーナは飛びつかずにはいられなかった。




 フィーナとシドは女騎士と姫君の一行と共にエレベーターで宮殿へと上がった。

 宮殿の人々は上がってきた一行を目にしても気にも留めず、ただ穏やかな物腰と静かな挨拶とでフィーナたちを迎えただけだった。

「王との謁見がすんだら、供の者に寝室へ案内させますわ」

 謁見室の前で、コルシュ姫がフィーナに耳打ちする。

「ご親切にありがとうございます」

 と、返したまさにその時……謁見室のドアが勢いよく開き、フィーナと同じ姿の娘が部屋の中から飛び出してきた。

「フィース!」

 シドとフィーナが口々に名を呼ぶ。

 随分と久方ぶりの再会だったが、フィースのほうは素早く我に返ると「後で図書室で会いましょう」と口にしてくるりと背を向ける。

「そんな……」

「急いでるの。訳は後で話すわ」

 そう言ってフィースはそのまま、女騎士にぶつかったのだ。

 それほど急いでいたのか、それともただ単に偶然そうなってしまっただけなのか…それとも、オーヴの力が作用したのか……。

 フィースが女騎士にぶつかると同時に、その懐から黄色い球体が転がり落ちた。フィースは自分の進行方向に人がいるとは思っていなかったらしく、すっかり気が動転してしまったようだった。

「あの、ごめんなさい…人がいるなんて思いもしなかったから……本当に、ごめんなさい。大丈夫でしたか?」

 心配そうに尋ねるフィースに、アラニアはにこりと微笑み返した。

「私なら大丈夫です。

 それよりもほら、落とし物ですよ、お嬢さん」

 女騎士の手には、フィースが落した黄色い球体。淡くやわらかな光を放つ珠はそう大きくもないようで、女騎士の掌に収まっている。

「あら、綺麗だこと」

 コルシュ姫が誰にともなく呟く。

「本当、綺麗……」

 珠に見入ったまま、フィーナも同意の言葉を洩らす。

 シドだけが、その瞬間にフィースの表情が変化したことに気付いていた。




 それまで必死に謝っていたフィースの口はぽかんと空いたままで、目は丸く大きく見開かれていた。まるで彼女の時間だけが止まってしまったかのように、フィースは女騎士を見つめている。

「どうしたの、フィース」

 シドが尋ねたが、フィースは夢現の状態でぼーっとなってしまっていて、何も聞こえていないようだ。

「どうしたのよ、フィース」

 と、フィーナ。

 フィースは女騎士を凝視したまま、ゆっくりと彼女のほうへと歩み寄り……そうして、こう言った。

「あなたはオーヴに選ばれた一人ですね」




 コルシュ姫のために用意された部屋の一室に集まったのは、シドにフィースとフィーナの双子の姉妹、ルグオの女騎士アラニア、それにコルシュ姫の五人だった。

 部屋に集まる前にフィーナは、姉が風の精霊王の結界に入りこんでからの経過をざっと心話で教えてもらった。城下で待っていた時には、姉が風のオーヴの担い手になったなどということはこれっぽっちも教えてもらっていなかった。そのことをフィーナは今もまだ、ねちねちと心話で愚痴っている。

「それで、どうしてここに皆が集まったかは大体のところ察しがつくと思うが」

 と、アラニアが切り出した。

「オーヴのことね」

 コルシュ姫が口を挟む。本来、コルシュ姫はオーヴとは無関係なのだが、アラニアにとっての協力者ということで同席してもらっている。

「それは後だ」

 姫を軽くたしなめ、アラニアは皆の顔を改めて見回した。

「私は、アラニア・レイ・エンディオ。ルグオの騎士で、エナシュ王よりオーヴ探究の命を受け、こちらのコルシュ姫と共にナダスへ行く途中だ。

 フィース嬢、あなた方がいったいどういった経緯でオーヴの探究を始められたのか教えてもらえないだろうか」

「あたしたちは……」

 少し考えるふりをして、フィースは口を開く。

「多分、あたしたちもエナシュ王よりオーヴ探究の命を受けたのだと思います」

「フィース、何言ってるんだよ」

 とは、シド。

「あたしの両親は、先のオーヴ探究に関わっていました。父は風のオーヴの、母は水のオーヴの担い手でした。

 三ヶ月ほど前になりますが、父は大僧正様からオーヴ探究の全権を預けられました。そのことは同時に、ルグオ王にも伝えられているはずです。ですからあたしたちは多分、モバダか、あるいはナダスで……」

「いずれかの街で出会い、共にオーヴの探究に携わるように仕組まれていた、と?」

 硬い言葉がアラニアの口から零れた。

「ええ。あたしはそうだと思います」

「なかなか頭のいいお嬢さんだ」

 口元に微かな笑みを浮かべ、アラニア。

 アラニアとコルシュがルグオを発つ前に、エナシュ王は何と言っていただろうか。

「其方とコルシュ姫はナダスへ行かねばならぬ。ナダスで其方らは伝説のオーヴについての知識と情報を得、別のオーヴの探索者と協力するのだ」と、そう言わなかっただろうか。

「あなた、本当にそのようなことを考えてらして、アラニア?」

 慎重に切り替えしたコルシュは、女騎士の目をじっと見つめている。

「ああ。多分、私たちの考えていることは真実に近いと思うよ。

 ルグオ王はこう仰言られたんだ。

『ナダスで伝説のオーヴについての知識と情報を得、別のオーヴの探索者と協力する』ように、とね」

「まあ、それじゃあ……」

 呆れたようにフィーナが、双子の姉を見遣った。

「あたしたち、どうやら最初っからオーヴの探究に協力するように仕組まれていたみたいね」

 投げやりな様子で肩を軽く竦め、フィースは溜息をついた。




 フィースとフィーナの二人は改めて離れていた間のことを互いに語り合い、更に新たに仲間となったアラニアたちとは今までのことすべてを打ち明け合った。

 そんな中、シドだけが居心地が悪いのか、言葉数も少なく、誰かの言葉に頷くことに終始しているようだった。どうかしたら一日中、誰とも口をきかない日もあったぐらいだ。

 その原因は機嫌が悪いとか、アラニアとコルシュが嫌だとか、そういうことではなくて。誰が仕組んだのかは知らないが、誰かに仕組まれて、自分がこのオーヴ探究の旅に関わらなければならなくなったということが無性に腹立たしいのだ。おそらく裏では母のカザラが一枚噛んでいるのではないだろうか。そんなことを考え出すと、きりがなかった。どんどんと苛立ちは膨れ上がり、ついにはシドを飲み込んでしまうのではないかと思ったほどだ。

 それだけシドは、今回のことに対して腹を立てていた。

 ここに集まった五人は、いい歳をした大人に騙されたのだ。騙されて、オーヴ探究の旅に無理矢理駆り出されたのだ。許せない。こんなことを許せるはずがない。

 いつか旅の終わりがきて、両親と会う時がやってきたら……その時には絶対にこの怒りを両親にぶつけてやらなくては、と心の中にシドは書き留めたのだった。




 風のオーヴを手に入れることができた上、オーヴの担い手が見つかったことから早々にモバダを後にした一行は、次の街を目指して船上の人となった。

 ルグォスの西に位置する湖の街ナダスが、次の目的地だ。

 ナダスでは水のオーヴを手に入れ、出来ることならその担い手も探し出すことが出来ればとアラニアとフィースは思っていた。

 フィースは風のオーヴの担い手だということが解っているものの、アラニアはまだ、どのオーヴの担い手なのかはっきり定まっていないようだった。

 手に入れたオーヴはやっと一つ目。オーヴの担い手が珠に触れると光り輝くということが解っていても、残念ながらどのオーヴの担い手なのかまでは示してくれないのだ。だから、もしかしたらアラニアが水のオーヴの担い手かもしれないし、そうでないかもしれない。

 しかしもしアラニアが水のオーヴの担い手でないとすれば、いったい誰なのだろうか。

 可能性からいくと、フィーナとも考えられた。何しろフィーナは、 前回の探究において水のオーヴの担い手にして「水の乙女」と呼ばれたノマの娘でもあるのだ。双子の姉フィースが、父レガシーと同様に風のオーヴの担い手となったことから、このことは考えられないことでもなかった。しかし風のオーヴは悪戯好きなのか、フィーナが珠に触れるごとに輝いたり輝かなかったりしたのだ。アラニアの時にはあんなにはっきりと光を放ったというのに、だ。もちろんシドとコルシュ姫の二人も試してみた。コルシュ姫の時にはフィーナ同様、珠は輝いたり輝かなかったりした。しかしシドの時には珠はまったく輝かなかったのだ。

「早くオーヴの担い手が見付かればいいのに」

 甲板から海を眺め、フィースは呟いた。

 旅に出たものの、何もかもがあまりにもゆっくりと運んでいるように感じられ、もどかしく思えた。もっと早く、もっと急いで、オーヴとその担い手を探し出さなければならないのに。

 溜息を一つ、波間に吐き捨てると、少しだけ心が軽くなったような気になれた。

 とにかく、ナダスに到着しないことには始まらない

 ナダスで待っているのは、新たなオーヴの担い手なのか、それとも……。

 頬に吹き付ける潮風に紛れて、フィースは、風の精霊王の笑い声を耳にしたような気がしたのだった。

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七つのオーヴ 篠宮京 @shino0128

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