第7話 自覚

 それから二週間が経ち、ようやくある程度立ち上がって動けるようになったレドは猟師の住んでいる小屋へと案内された。小屋と言っても人が横になれるスペースも満足になく、かまどが一つ備えられているだけの狭い場所である。

 とはいえ、焚火の暖かさと猟師が貸してくれたむしろだけが頼りだったレドにとってはこれでも恵まれた環境に感じられた。雨露をしのげる環境がいかほどに人を安心させてくれるのか、と思い知る。

 

「なるべく奥にいろ……少しなら出るのは構わんが、あまり出歩くな。しばらく狩りもしとらんから獣の動きも増えている」


 猟師はそう言い置くと、弓矢と鉈を携えて出かけていく。気配が遠ざかるのを確認してからシュヴァンレードが語りかけてくる。


(頼もしい御仁ですね)

「そうね……ただいつまでもお世話になってはいられない。ここがどこなのか分からないけど、この山がドゥーリッド候領の中なら危険が及ぶことも考えられるわ」


 言葉に同意した彼にどちらに向かうかを問われたレドは、静かに「このまま北へ」と告げる。


「ドゥーリッド候領の北にあるのはランブルック候領。それほど良好な関係とは言えなかったですしドゥーリッド候領の後継問題でも傍観を決め込んでいました。手配が及んだとしても多少の余裕は出来るはず」

(今はその無関心が頼りになりますか)

「この顔ではどこに居ようと同じでしょうけれど……」


 言いつつ彼女は耳元に手をやる。確かに仮面を触っているはずなのに自分の顔を触っている感覚。内側に熱を感じながらも冷たく硬い鉄の感触に黙って手を下げる。呪いのことを理解して以来、彼女の中で耳を触るのが癖になりつつある。


(レド様……)

「硬くならないでシュヴァンレード。あなたが畏まっていると私も顔から力を抜けないわ」

(失礼しました)


 彼女の言葉に彼はこわばる気持ちを緩めようとする。主君に仮面を触られるとあるはずのない体の感触が生々しく伝わってくるのだ。銀化している間も道具としてあり続けていたシュヴァンレードにとって、その感覚は異様としか感じられない。

 レドは苦笑する。


「この呪いを解く日が訪れるまでは、あなたも私も大変な日々が続きそうね」

(……恐縮です)

「丁度いい機会ですし、気持ちをほぐすために少し体を動かしましょうか」


 多少ふらつきながらレドは立ち上がる。主君の意を理解した彼は特に質問をすることも無く銀化の力を開放し、瞬く間に金の髪をたたえる銀色の悪魔に姿を変える。

 変身を終えたレドは静かに体のあちこちを動かす。銀化していない時に比べると力強く滑らかに動かせるが動かすほどにずしりとした重みを感じる。


(いかがですか?)

「山を降りるだけなら今でも可能でしょうけど、敵対する相手に太刀打ちは難しいかしら、シュヴァンレード?」

(……御意)


 隠すことなく答える。言わなかったものの彼の見立てはもっと厳しく、山を降りる途中で最低でも一度は銀化を解かねばならず、かつ降りきった時点で折角戻した体調が再び逆戻りしかねないような危うさを感じている。

 確認を終えた主従は元の姿に還る。


「急ぐこともないようね」

(はい。少なくともここでご恩返しの一つもしてからでも遅くはありません)

「それはあなたの言う通り……それにしても銀化から人に戻ると首が疲れるものね」


 シュヴァンレードが苦笑交じりの彼女の言葉に何も言えずにいると、猟師の戻ってくるのを感じとりこれ幸いとばかりに意識を引っ込める。

 獲物を手に戻ってきた猟師は「戻ったぞ」とだけ告げてかまどに火を起こして冷えた体を温め始める。レドが微笑みながらその様子を見守っていると猟師は「何も面白くねえだろうが」と言い、珍しく自分の方から話を切り出す。


「お前さん、南の出だろう?」

「分かるのですか?」

「なぜ北に向かう?」

「それは……」

「そんな面じゃ戻ろうにも戻れんだろうが、北に行こうがお前さんは仲間はずれのままだ。それだけは言っておく」


 ほとんど独り言のように喋ると、猟師は再び火の番に戻る。忠告のような言葉に彼女は無意識のうちに再び耳元を撫でていた。

 


 それからしばらくは静かな時間が過ぎていく。

 レドはさらなる休養を必要としていたが、同時により逞しくなることも求めていた。名族の出身でそのまま領主の妃となったレドは当然ろくな鍛錬を経験しておらず、シュヴァンレードの助けを得てもその加護を十全に活かせずにいる。いきなりは無理にしても少しずつ力を発揮させられる体にしていくことを彼女が求めるのは当然と言える。

 対するシュヴァンレードもレド自身の鍛錬の必要性を感じていたがしばらく先の目標として考えていた。鍛錬は健全な体と正しい知識があって初めて機能するものである。レドの体はまだまだ衰弱しており、しかも体の動かし方についての理解も足りていない。まずは日常の生活のやり方を覚えてからでも遅くはなく、幸いその教練が焦らずに出来る場所にいる。

 小屋に来てから一週間後、レドは猟師に断った上で散歩に出ると周辺の歩ける位置に落ちている小枝を集め始める。二十分も歩くとすっかり疲れてしまい、その場で休みを取らねばならなかった。歩くのもそうだが、しゃがんでから立ち上がるのを繰り返すだけでも疲れは蓄積していき、小枝も数が多くなるとずしりとのしかかってくる。軽い気持ちで臨んだ彼女も見込みが甘かったことを痛感せざるを得ない。


「それにしても疲れたわね……私は今まで何をしていたのかしら」

(やりなれないことを初めてするとこうなるものです……何事も繰り返す事から始まります)


 息を切らしながら苦笑いするレドにシュヴァンレードは労りの言葉をかけつつ、まずは意図した通りの効果が出たことに納得する。少し回復の兆しを感じ取った彼女にまずは自分の体の状態を正しく把握してもらうこと、出来ることと出来ないことを認識させること、そしてそれをするためには何が必要かを考えてもらうことが今回の主な目的である。

 それと彼女はまだ侮っているが、この「散歩」には基礎の中の基礎であるとはいえ戦士に求められる要素が一通り含まれている。重い武具をもって広い戦場を駆け回り、地の利を見極め、体を伸ばしたり屈んだり。鍛錬にしようと思えばあらゆることが鍛錬である。戦いは人にできるあらゆることの先にある。永い間剣であった彼にはそれが分かる。

 せっかく集めた小枝もその場に置いて帰らざるを得ずレドは仮面の中で表情を暗くしていたが、猟師と夕食を食べているうちに明日はもっと動けるようにと心のなにかが切り替わる。翌日も散歩に出たレドは注意深く歩き周り、昨日より少量ではあったが枝を持ち帰る。それでもなお息を切らしている自分を恥じながら、明日はどうすればいいだろうかと考えながら眠りにつく。シュヴァンレードはその試行錯誤にある程度の手がかりを与えながらも手は貸さずに見守り、猟師は日々活力を取り戻していく彼女を何も言わず小屋に置き続けた。

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