第8話 襲撃

 更に数週間が過ぎて、レドの体はほぼ仮面を着けた頃の状態を取り戻していた。ふらつくことなく立って歩き、体への負担を抑えながら動かすことを学び、枝を集めて持ち運ぶのも無理することなく多くをこなせるようになった。少しだが仮面を着ける以前よりも体が引き締まり良い状態になったと言える。

 猟師もそんな彼女を見て何かを感じたのか猟の現場に同行させる。罠を仕掛けた場所に獲物が掛かっているのを見た猟師は、レドに動かないように告げて周囲を確認した上でそれを屠り、彼女はその光景を黙って見届けた。


「何も言わないのか?」

「それで物事が解決するのなら」

「……帰るぞ」


 猟師はレドに弓と矢筒を任せて自分は獲物を担ぎ帰路に就く。この老人は自分から話すことも少ないがこちらの話に返事をすることも少ない。聞こえが悪いのかも知れないとレドは思っていた。

 黙って見守っているシュヴァンレードは、自らの主君が雌伏の時を乗り越えて新たな一歩を踏み出し始めたことを素直に喜んでいる。元々領主の妻として政務に携わるほどの聡明さを持っている彼女である、体が戻り手掛かりを示せば自ずから動き始めるであろうと彼は信じていた。この分ならば猟師の元から巣立つ日もそう遠くはないだろうと感じているが、同時に思案も始めている。どうしたらこの老人と円満に別れを告げられるのであろうかと。



 猟から帰ってきて二日後、レドは珍しく猟師の方から山道の散歩へ行くように命じられる。理由は語らなかったものの猟師の元を時折誰かが訪れていることは察していたため、彼女も小さく頷き小屋から離れていく。足取りは軽い。


(調子を崩されることも無く、具合は上々でしょうか?)

「ええ、お陰様で前よりも体がしっかりとしたようよ」


 小屋から離れた所にある小さな湧き水の側でシュヴァンレードと話す。多少暖かい日であれば猟師より譲り受けた粗末な布で体を清めることもあるのだが、空が曇っている今は少々具合が悪い。一口だけ水を飲み側にある樹に背を預けて物思いに耽る。


「シュヴァンレード、もう少しあのご老人のお側にいるべきかしら?」

(難しい問題です。急ぐ必要も無いのでしょうが、さりとて我々はこの地に安住を考えるような身でもありません)

「お互いに答えが出せていないようね」


 ふう、と息を吐きながら手を耳元へやりそっと撫でる。体が問題なく動くようになった以上、いつまでもここに留まることは主従と猟師双方にとって望ましい状態とは言えない。留まれば留まるほどに呪いは進みあの業歪にも隙を与えることとなりかねず、同時に猟師の身に良からぬことが起こるかもしれない。それでなくとも今日のように来客が来る毎に外へ行ってなどと繰り返さねばならないのも既に年老いている男にとっては面倒なことに違いないが、これほどの恩を受けながら何もせずにこの場を立ち去るのは心苦しい。考えれば考えるほどに答えは出てこない。

 風が次第に冷気を帯びるようになったころ、レドは姿勢を直す。


「考えるばかりでは物事は動きません。七日後までを目途にここを発ちましょう……」

(……ご決断を支持いたします)


 仮面の下にあるレドの顔は微かに歪み、仮面の意思も苦みをこらえているのを隠さず示す。恩返し、という言葉がこの上もなく高くに感じられるのが歯がゆくてならない。

 そこでシュヴァンレードは異変を察知して警戒を促し、彼女もすぐに気付く。明らかに獣ではないものがこの周辺を動き回っている。


「……シュヴァンレード!」

(遂にここまで……! あのご老体が心配です)


 仮面の意思に小さく頷き、彼女は足音を立てないで済むような場所を選びつつ足を急がせる。気付かれていいのは最後の最後だけ、そしてその時は別れの時であること、それがすぐ近くまで来ている感覚に主従は胸を締め付けられるような苦しさを覚える。感じる気配は小屋に近付くにつれて強まっていく。

 何とか小屋の裏手側まで来たレドと仮面が見たものは、数名の軽装兵士と道案内をしたと思われる商人風の男、そして木に吊るされて無残に打ち据えられた猟師の姿だった。


「言え、お前がかくまっていた女はどこにいる?」

「……知らん」


 隊長格の兵士の質問に答えようとしない猟師の体に棒が打ち据えられるがもう悲鳴すら上げられずにいる。それを見ていた商人が隊長に許可を得た上でとりなすように猟師に話しかける。


「おやっさん、いつまでも妙な意地張るなよ。大人しく女を差し出せば今からでも許してくれるって言ってるじゃねえか?」

「……」

「聞こえないのかよ? いくら耳が悪いったってそりゃねえだろ」

「……知らんもんは知らん」


 知らぬ存ぜぬを続ける猟師にやれやれといった風情で両手を下げると後ろに下がる。


「気は済んだか?」

「ええ……もうこの爺さんはまともに喋れませんよ。耳も聞こえねえ喋れねえじゃあ商売相手にもなりゃしません。せめてこれ以上苦しまないようにしてやるのが、かえって恩返しになるってもんです」

「……なら下がっていろ。こいつを処断するかどうかは後の話だ」


 隊長は鬱陶しげに手を振って商人を下がらせて再び尋問に移ろうとする。

 一連のやり取りを聞いていたレドの心は制御できる限界を超える。何も考えずにその場所へと走りだしながら大声で叫んだ。


「やめなさい! 私ならここにいるわ!」

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