第6話 雌伏
聞き覚えのない男の声でレドは目を覚ます。立とうとして体が動かず声の方へ視線を向けようとすると、相手の方が視界に入ってくる。
夜が明けるまでじっと彼女を見守っていた猟師は目を覚ましたのを確認すると小さく頷き声をかけてくる。
「目、覚めたか?」
「え、ええ……」
「何か食べろ。体を動かせねえんじゃどうしようもねえ」
そう言うとたまたま焚火で焼いていた小動物の肉を引き裂き、水とともに彼女の前に置く。動かない腕を懸命に動かし水の器を取るが口まで運べずこぼしてしまい、残った少しだけ飲み込む。自分の有様を恥じる気持ちがないわけでもなかったが、今はとにかく何かを口に入れたいと気が焦っている。
「焦るな。別にお前を襲ったりしねえ。ゆっくり食え」
「はい……」
その言葉に素直に従う。身につけている仮面の意思は感じるものの眠りにでもついているのか黙ったままで反応を示さない。
焼いた肉をつまむ。水を飲むまでに食べやすい温かさになっていて口に運ぶと、暖かく柔らかい食べ物が体に染み渡るようだった。思えば肉など最後に食べたのはいつのことであるか、レドには全く思い出せない。
最後の一切れを飲み込み、再度差し出された水を今度はこぼさずに口に運ぶとようやく気持ちが落ち着く。
「……死にかけだったのが少し良くなった程度じゃどうにもならん。明日はちと小屋に戻って必要なもんを持ってこにゃならんがな」
「お気遣い……沁み入ります」
「礼はいらん。早く良くなれよ」
老いた男は静かにそう言い座ったまま目を閉じる。それを見たレドもつられるように目を閉じて再び眠りにつく。
両者が完全に寝た頃に意識を覚醒させたシュヴァンレードはレドの命が僅かであるが活気を帯びたのを感じ取り安心するものの、あまりにも無防備な状態を捨て置くわけにも行かず、少なくとも猟師が目を覚ますまではと周囲に意識をめぐらす。銀化の力を行使できない以上は暇潰しに近いが、今出来る精一杯の修練でもあった。
より感覚を研ぎ澄ましてどのような悪意であっても捉えられるように、そしていかなる状況下でも己を見失わず隙をさらさないようにしなければ。シュヴァンレードはそう思う。
空が白み始めた頃に猟師が目を覚ます。消えてしまっていた火を再び起こし、ちらりとレドの方を見て小さく頷いた彼は最初に現れた方向へと歩いていくが気にしない。万一彼に策を弄されて襲われたのなら仕方がないと既に腹はくくっているのだが、居たままではどうにも主君とのやり取りがしにくい。
猟師が去ってからさほど間を置かずレドは目を覚まし、久しぶりに同じ時を過ごす主従は現状の把握を行うことになる。呪いについて話を聞いたレドは、謝罪する仮面に対し小さく首を横に振るに留める。
「あなたのせいではないわ。まさかシルヴィーヌがあんなものに取り憑かれているなんて予想をするほうが難しいもの」
(しかし、貴女様をお守りできずに……)
「過ぎた事は問いません……かつてのレダがそうでした」
小さな声ではあったが、響きはかすかに柔らかく凛としている。
「それを気にするのなら、むしろこれからが責任重大よ、シュヴァンレード?」
(はっ……?)
「あなたと私の顔が一つになるのなら、あなたの傷が私の傷になるということ……わたしの顔に傷をつけたいわけでも無いでしょう?」
その言葉に身がすくむシュヴァンレード。確かに責任重大である。意思に目覚めたときから質実剛健な騎士であれと銘じられてきた彼にとり、主君であり女性である相手が顔に傷を負わせられるなど考えるだけでも恐ろしい事態である。
仮面の意思が震えているのを感じ取ったレドは「……冗談よ」と言いつつ口の端に笑みを作る。
「そんなものは
(そのようなこと……)
「心配しないで。もう私は絶望などしない……ただあの女を、あなたの言う業歪を正し……私のような悲劇を繰り返させないようにしたい」
レドはそこまで言い終えると息を吐き体から力を抜いてぐったりとなる。心配する仮面の意思に彼女は大丈夫と伝えつつ「気を抜いたら寝てしまうから、あなたのことを聞かせてくれる」と注文をする。かすかに迷いながらも彼は固い口調で話し始めた。
彼が目覚めたとき、そこは戦場だった。数多くの兵士たちが争い血と汗が飛び交う。そんな光景の中で己が振るわれる度に血が吹き出していくのを見た彼は、それが己の役割であることを無意識に感じた。しかしそれは長く保たず彼はすぐにへし折られて最初の役割を終える。
次に目覚めたのは鍛冶場の中。血と汗の匂いがないのを少し物足りなく感じ、暴れようとするも金槌で何度も叩かれるうちに大人しくなる。
鍛治師が彼を献上した相手はまだ幼さの残る年若い騎士だった。貴族の出であるらしいその主は生涯を通じて戦いの場に出ることはなかったか、騎士として振る舞うことを常に忘れずにいた。戦いに出られないことは不満であったが、荒んでいた彼の心はこの間に
退屈な時間を過ごした後で再度目覚めると彼を携えていたのは輝きを目に宿すたくましい男。
「いい剣だ……俺と一緒に夜空の一番星になろうぜ、相棒!」
そう言って笑う男の姿を見た彼は身震いする。寒気ではない。あまりにも大きな可能性をその中に感じたからである。
シュヴァンレードがそこまで語り終えたところで猟師が戻ってきて、彼は話を打ち切り、レドもひとまず意識を仮面から外す。
「……具合はどうだ?」
「少し楽になりました……」
「早く良くなれよ」
猟師はあまり関心のなさそうな声で言う。害意は感じないのだが、どこかこちらを避けているようにも彼女には感じられる。
しかしよく考えればこんな仮面を身に着けた人間を良く思うはずもない。彼女は差し出された焼き菓子を丁寧に食べ終えると静かに眠りに戻っていく。
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