第2話 覚醒
その日は呆気なく訪れる。
衰弱し、まともに立ってもいられない体を引き摺られながら、レドは処刑台へ向かう。城外に設けられたそこの周囲にはまばらに住民の姿が見える。興味がないのか、それとも見たくないのかは分からないが、「領主夫妻を殺害した犯人」を処刑するには物寂しい光景と言える。もっとも、ツルギにしてみればそのようなことは些末なことだった。
処刑を管轄する法官が淡々と罪状を読み上げる中、彼はなおも彼女を救う手立てを探していたが冷たい仮面の姿のままでは、どうしようもない。もっとも武器の形になれたとしてもこんな状況では多勢に無勢であり、レドに武芸の心得があったとしても斬り殺されるのが関の山だろう。
打つ手が無い。口惜しいがツルギも認めざるを得ない。神とは何とも無慈悲なものであろうか。もっとも夫を殺したと自称する女にここまで肩入れしている自分も相当におかしくなっているのだろう、と冷静になって自嘲する。罪人の仮面となって刑場に打ち付けられるのが自分の成れの果てである。
そして台の際に引き立てられて、いよいよ時を迎える。レドは一言も喋らず抵抗もせず、倒れるように座り込み、そんな彼女の頭上には鈍い光を宿すなまくらに近い剣が構えられる。首の骨を断つよりも折るための剣。処刑に用いるのにはそれで十分だろう。
剣が振り上げれたとき、それまで無言だったレドは小さく掠れた声で初めて彼にその心の内を明かす。
「ナヴィ、私は貴方と生きたかった……」
その瞬間、ツルギはナヴィと言う男に嫉妬した。これほどの気高い女性を置いて逝ってしまうなど何をしていたのか。
同時に思う。何があってもこの
彼女の首をめがけて剣が振り下ろされたとき、ツルギは我知らず動いていた。枷を振りほどき、その腕で首をはねようとする剣を払い除ける。
「え……?」
(な……?)
レドとツルギは同時に疑問を表す。法官と処刑人も、周囲の見物人たちも凍りついたまま二人のことを見つめ続ける。
レドの体はなめらかな銀色をした金属状の物体に覆われていた。腕も脚もくまなく覆われ、関節に合わせて柔軟に形を変える。ただ一点、長く伸びる金の髪だけが彼女本来の姿の名残だった。
「悪魔だ! 罪人に悪魔が取り憑いた!」
見物人の誰かが恐れおののく声を上げ、それは瞬く間に周囲に伝染していき、一人またひとりとその場から逃げ出していく。処刑人は慌てて再度斬りつけようとするが、レドの体はそれを難なく受け止め、逆に投げ倒す。
投げ倒された処刑人と法官は怯えて城内へと逃げ去っていった。
後には銀色の体のレドだけが残される。
「何が起きたの……何をしているの……私?」
呆然とつぶやくレドだったが体はそれに構わず勝手に動き出し、風のような速さでその場から離れていく。
「駄目! 止まって……!」
(否! ここから離れるのが先だ!)
「誰なの……? 私の体を勝手に動かさないで!」
(それは聞けぬ! 貴女はまだ死ぬ運命にはない!)
レドは戸惑いながらも体と問答を繰り返すが、その間にも彼女の体は走り続ける。
北へ伸びる街道を途中で外れた深い森の中に分け入ったところで体はようやく止まり、同時に体を包む銀色の鋼は解けて顔の仮面として元のように収まる。
「あなた、仮面だったのね……」
(要らぬ手を出したことは詫びなければならぬ……だが、貴女は生きねばならない)
レドに咎められたツルギはそれを受け止めつつも譲らない。
「私はあそこで死ぬべきだったのに……」
(それは貴女の本心ではありますまい……死が振るわれる刹那に語ったあの言葉を嘘だと言わない限り)
「……」
彼女は黙り込む。本心を聞いていた仮面のことを非難しようともしたが、否応なく身につけさせられている仮面の側にそれを聞くなと言うのも無理があるし、それを言うなら仮面を着けると決めたのは彼女自身である。何れにせよ仮面のことを責める権利は無い。
そう考えているうちに彼女の鬱屈とした気持ちは少しずつ晴れて、妙に可笑しくなっていく。仮面が誰なのかは分からない。亡き夫なのかとも思ったがそれも違う。しかし、こんな自分を化身までさせて救おうとしたその心意気には応えたい。
罪人でも、悪魔でもなく、人として。
「分かったわ。ただし、これだけは教えて……あなたは誰なの?」
(名はない……貴女は仮面に名前を付けるのか?)
「そうじゃないと不便でしょ……私とその命運を共にするのなら?)
仮面の下のレドは微笑む。仮面を身に着けてから初めて見せた穏やかな微笑みだった。
「……ならば、私を護る仮面のあなたに特に名を授けます……レド・ファーマを守護せんとするあなたは、今よりシュヴァンレードと名乗りなさい。天命の尽きるその時まで、私と共に在りなさい」
(……我が名はシュヴァンレード、レド・ファーマを守護するもの。天命の尽きるその時まで、貴女様をお守りいたします」
自ら名を貶めた女と凍てついた鉄の仮面に宿った意思はここに結ばれる。運命が死をもたらすその時まで共に在ろう、と。
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