東雲そわ

第1話

 私の輪郭が鮮明になっていくのをどこか他人事のように感じていた。


 ダブルベッドの片隅で小さくなって眠り扱けていた私を、カーテンの隙間から差し込む光が晒すように照らしている。微睡の中、薄目で見上げた時計の針は既に十一時を回っていた。

 彼の部屋で迎える朝に不快感が蔓延るようになったのはいつからだろうか。明け方まで酒とセックスに溺れていたカラダは自分の物とは思えない程に気持ち悪くて、脱ぎ捨てたい程に痛かった。

 マンネリ化した劣情をアルコールで誤魔化しているのは彼も同じはずなのに、その代償を支払うのはいつも私だけだ。アルコール漬けで反応の悪い彼の身体。加減の利かない過剰な愛撫。唐突な彼の寝落ちと、火照ったまま眠れない私。

 今もまだ隣で口を開けて眠る彼の寝顔は、一週間ぶりに顔を合わせた昨夜の強張った表情とは打って変わって、随分と穏やかになっている。それが憎らしくて、それでもどこか愛らしいと思えてしまう私は、きっとまだ彼のことを嫌いになれていないのだろう。その現実に、私は少し絶望している。

 意識がはっきりしてくるにつれ、部屋の臭気に軽い眩暈を覚え始める。体液とアルコールを部屋中にぶちまけて、それが乾いた後に充満する腐りかけた男女の匂い。一晩中暖気を送り続けていたエアコンを消し、タンクが空になった加湿器のLEDが明滅するのを無視して、私は裸のまま逃げ出す様に寝室を後にした。


 尿意を覚えたのは噴き出す冷水が人肌の温度に変わり始めたときだった。痛いほどに水圧の強いシャワーがこのときばかりは心地よく感じられて、我慢するのが馬鹿らしくなった私はほとんど無抵抗なまま用を足していた。罪悪感は解放感で洗い流したので、浴室から出た私は身も心も清廉な乙女だ。

 濡れた髪もそのままにキッチンに立つ。彼が溜め込んだ洗い物を済ませ、冷蔵庫を開ける。

 ハイネケンの鮮やかな緑が目に毒だった。昨夜あれほど飲んだというのに、私の喉はまだそれを求めている。

「さすがにね……」

 そう自分に言い聞かせてから、緑の缶の隣にあった飲み掛けのミネラルウォーターを取り出し、一息に飲み干す。果実エキス入りの液体を無味に感じたのは、酷使された私の舌がまだ寝ているからだと理解した。


 彼の部屋で作る朝食はスクランブルエッグが定番だった。彼の好物の一つであり、私が苦手とする料理の一つ。

 私は卵を割るのが下手糞だった。打ちつける力が強過ぎて中身を零したり、逆に弱過ぎてヒビすら入らなかったり。彼に対する感情の込め方がわからないのと同じように、卵に対しても力の込め方がわからない私は、何か致命的な欠陥を抱えていると思う。

 冷蔵庫から取り出した卵を、ボウルの縁にコンコンと打ちつける。私に腰を打ちつける彼のように、できるだけ無機質に。

 珍しく絶妙なひびが入った卵の殻に、私は思わず見惚れてしまった。

 卵を割ると、ステンレス製のボウルの中には二つの黄色がぽとりと落ちた。

 双子の卵黄。実物を目にするのは初めてだった。驚嘆が通り過ぎた後に湧いてきた愛着が、私を酷く悩ませた。せっかくの双子の卵。混ぜ合わせるのがもったいない。でも混ぜなければ彼の好きなスクランブルエッグは作れない。でも──。


 寝室で彼のスマホが鳴っていた。私の知らない着信音。彼が目覚める気配は一向にない。

 私は少し悩んだ後、熱したフライパンに双子の卵をそっと移し、寝室へと足を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

東雲そわ @sowa3sisu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説