最終話

「何やってんの!」

泣きながら美夏さんに抱き着いている私を、母が引きはがす。


勤務時間を過ぎても帰らない美夏子さんを心配して、

母が私の部屋に入ってきたのだ。

「美夏子さん、この子は男の子ですよ」


「違いますよ」

美夏子さんは、はっきり言い切った。


母の視線が私に向いているような気がする。

「まさか今更女だって言うの?」

「誤解ってこと?」

「それこそ嘘よね?」

「あんたは男で、私はそんなあんたに尽くしてあげている良い母親でしょう?」


母は見たこともない爽やかな笑みを浮かべていた。


首を振り、絶叫しても笑顔。

壁に頭を打ち付け、自らの顔を引っかき、

血が出てもなお、笑顔。


人が壊れていくところを初めて見た。

私は母に首を絞められ、意識を失った。



「お前のせいで、母さんが壊れたんだぞ」

美夏子さんからの連絡を受け、急いで帰宅した父に私はそう言われた。


「娘が男だと知って、なんとか受け入れようとしていたのに、それが嘘だって?」

「この数年は何だったんだ!」

「どうしてもっと早く、誤解だと言わなかった!?」


だって何も聞いてくれなかったじゃん。


「なんだその目は」

「なんか言えよ。お前には口がついていないのか?」

父が私のあごを掴む。


そんなわけないだろう。


「心が男だの、同性愛者だの。周りから誤解されてもお前は否定しなかった」

「否定しないっていうのはな。他人から見れば肯定したと同じなんだ!」

「お前は否定しないことで、周りに嘘をつき続けたんだ」


そんなの無茶苦茶だ。


「お前のせいで母さんがおかしくなったんだ」


同席している兄と弟は、沈黙を貫いている。

特に弟は私と目を合わせようともしない。

元はといえば、あんたのせいなのに。


けれど父は私ばかり責めている。


本当に私が悪いの……?

私のせいで、お母さんは壊れたの?

私が悪いの?


「何も聞かずに誤解し続けたご家族や周りの人も悪いし、

何も言わなかった蓮ちゃんも悪いですよ」


ぐちゃぐちゃな私の頭の中に、美夏子さんの綺麗な声が届く。

正しい意見だ。

けれど、そんな回答この場の誰も求めていない。


「部外者は黙っててくれ」

「あんたさえ来なければ、こんなことには……」


父は美夏子さんを責め始めた。

捲し立てる父の言葉はよく聞き取れないが、私が言われたよりも

ずっとひどい言葉のように感じた。


美夏子さんは私を助けようとしてくれただけなのに。

それもいけないことなの?


「美夏子さん、もう家庭教師しなくていいです」

「二度とうちに来ないでください」

私は恩人に嘘をつくと、背中を押し、家から追い出した。

美夏子さんは何度も私にメッセージを送ってくれたが、

私は彼女を拒否した。

彼女みたいな人はうちに関わっちゃだめだ。


それから半年もしないうちに、母は自殺した。

私は家に引きこもるようになり、ただただ部屋の天井を見る日々が続く。


それでも父に、成人式の前撮りだけでもしなさいと言われ

久しぶりに外に出た。


一人でいったからか、雑な接客とメイクをされた。

前撮りの写真の出来はそれはひどいものだった。

過食で太り、浮腫んだ顔。

赤いアイシャドウが小さい目を、より小さく、腫れているようにみせている。

ひくついた笑みを浮かべた女が、豪華なアルバムに収まっていた。


これで10万か。


私にとっては黒歴史でしかない写真でも

なぜか父は満足そうだった。


優しい笑みを浮かべている。


こんなひどい写真を気に入るなんて……。

私はその顔が嫌いなので、アルバムごと父にあげることにした。


私がリビングを出るとき、父はアルバムに向かって

「母さん……」

と、話しかけていた。



引きこもり、太った私は亡き母によく似ていた。

特にひくついた笑みは、あの日、狂った母の笑顔と瓜二つである。


父は私に母を重ね、デートと称し私を外に連れ出すようになった。

「母さん。最近蓮を見ないけど、あいつは今何やってるんだ?」


「蓮は県外の大学に行ったじゃない」

本当はニートで、母のふりをして父の傍にいるのだが……。

私は自分が母ではない、母は死んだ、とは言わなかった。


「それより、あなた。今日の夕飯は何にする?」

狂う私たちを見て、兄と弟は無理やりにでも

父を施設へ入れようとした。


しかし私が、それだけはやめてほしいと土下座して頼み込んだ。

私は父が亡くなるその日まで、父の傍に居続けると決めたから。


父は、私のせいで母が壊れたといった。

全部私のせいだって。

私はその罪を償わなければいけない。


だから私はお父さんが愛した人として、お父さんが死ぬまで傍に居続けるよ。

そうしたら、少しは罪が償えるよね。

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言の葉の烙印 椨莱 麻 @taburaiasa

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