第4話

薬の多量接種は死ねなかった時が怖い。

首吊りも怖い。

溺死や凍死も怖い。


死にたいという気持ちより、自殺することへの恐怖が勝ってしまった私は

死にたいという感情を行動には起こさなかった。

できなかった。怖いから。


悩みに悩んだ末、ありきたりな考えだが大学デビューをすることにした。

幸運にも専攻したい分野の女子大が県外にあるので、

そこを受ければいい。

女子しかいないのだから、男だと思われる心配もない。


女であるにも関わらず、男の烙印を押されてしまった私が

再び女に戻るには、これしかないと思ったのである。


しかし、身近なところに私の邪魔をする者が現れた。


両親だ。


私が通う高校では、進路希望に親のサインが必要だった。

両親の署名をもらうため、私が紙を見せると、母にビンタされた。


「不純な動機で女子大を受けるんじゃない!」

「あんたは男で、女の子が好きなんでしょう!?」


男だと誤解されてるだけならまだしも、

なぜ私は女が好きだと誤解されているのだろう。


「母さんは少し出ていなさい」

父とふたりにされた。

父は長々と、母さんの気持ちもわかってやれとか

みんなお前に戸惑っているんだとか、説教してきた。


私に、一切の弁解の機会を与えずに。


私はこんな家で育ったから、意見を言わなくなったんだ。

どうせ話なんて聞いてもらえないから。

私は今の私になってしまったのは、すべてこの家庭のせいだと決めつけた。


そして希望の女子大に進学することを諦め、

実家からかなり遠い全寮制の大学に入ることを決めた。


「こんな家出てってやる」


怒りとは時にパワーになるもので、

下から数えた方が早かった成績が中の上になった。


元々得意だった現代文は、上から数えた方が早い。

両親も共学の大学なら文句言わなかったし、

これなら実家を離れられそうだ。


そう思っていた。

けど、できなかった。


私は成績が上がったご褒美をもらえることになった。

最初はスマホを買い替えたいというつもりだったのだが、

なんとしてでも実家を出たかったので

家庭教師を雇ってほしいと頼んだ。


苦手科目の成績を上げるために。


両親はすぐに家庭教師を雇ってくれた。


「ほんとは男の先生にしようと思ったんだけど、

空きがなかったんだって……」

母にそう言われた翌日、

見るからにお嬢様風の女性がうちにやってきた。


ふわりと巻かれた紅茶色の髪。

ふっくらした桃色の唇に、桜色の頬。


ロリータドレスが似合いそうな美しい顔が

地味なスーツの上に乗っていた。


せっかく、綺麗なのにもったいない。

第一印象は『なんかガッカリ』だった。


けれど不思議と話しやすかった。

口調がゆっくりだし、こちらを見すぎず

けれど時々目を合わせて話してくれる。


言葉に詰まったら、私の言葉を待ってくれる。


けれどなぜか一緒にいると罪悪感を感じてしまう。

理由が気になって、問題集に意識が向かない。


「――んちゃん。蓮!!」


美夏子みかこさんに名前を呼び捨てにされて、気が付いた。


あぁ、この人、美桜に似てるんだ。


名前を呼ばれても、ぼーっとしている私を見て

美夏子さんが慌てだした。


「もしかして、熱!? いや、暑くないな」

「あ、おなか痛い!? いや、さっきプリン食べてたよね?」

「もしかして消費期限切れてた!?」


ひとりであわあわしている美夏子さんを見ていると

不思議と笑みがこぼれてしまう。


「……ふは。全部ちがいますよ」

「ふふんふは、美夏子さんが昔の友人に似てたから」


「ん? それは親しみやすいってことかなー?」

なぜか美夏子さんは嬉しそうだった。


「ふふんふは。そうかもしれないですね」

「んふは」


美夏子さんは、地元で一番偏差値が高い大学の院生。

けれど緊張するとかは全くなくて、むしろ私より子どもっぽい反応に

癒されっぱなしなのだ。


「ふふんふは」


私は気分がよかった。

久しぶりに笑った。


すると美夏子さんが不思議そうな顔で私をのぞき込む。

「蓮ちゃんの笑い方って、少し独特だね」

「癖なの?」


「す、すみません!!!」


私は急いで口をつぐんだ。


「いや、謝らなくていいんだけど、少し不思議に思ったんだよね」

「蓮ちゃんって、笑うとき少しぎこちないっていうか

『ふふっ』て笑いたいのに、無理して『ははっ』にしてそうな音がするというか……」


よく見ているな、と思った。

そういえば3歳の頃からピアノを続けているといっていた。

美夏子さんは耳がいいのかもしれない。


「それに蓮ちゃん、周りの人が言うほど男っぽくない気がするんだよね」

「無理……してない?」


「ど、どうしてそんなこと聞くんですか?」


「ご両親からね、蓮ちゃんが最初は女子大を志望してたって聞いたの」

「おふたりは不純だって言っていたけど、

私は蓮ちゃんがそういう理由で大学を選ぶような子には見えない」

「こんな新米家庭教師の話も真面目に聞いてくれてるし、

なにより昔の写真、そのまま置いてるもの」


美夏子さんは私の机の写真立てを手に持つと、

両手で私に差し出した。


「この写真に写ってる蓮ちゃん、スカート着てるよね?」

「男の子になりたいんだったら、こういう写真って隠すんじゃないかなって思って……」

「あっ、思い出の品とかだったらごめんね! 詮索するつもりはないの!!」

「ただ気になって……」


美夏子さんは自分の指紋を拭きとるように、袖で写真立てを磨き始めた。

そして、両手で元の位置に戻してくれた。

大事なものを扱うような優しい手つき。


わたし……。


言葉が出るよりも先に涙がこぼれた。

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