第2話

 これは僕が最近調べたことなのだが、昨今の物理学では粒子の動きが可能性によって支配されているとわかったらしい。つまり、ある粒子が右に行く確率が30パーセント、左に行く確率が70パーセントという具合に。じゃあ、その確率を決定するものは何なのか。僕はこれが人間の意志だと考えている。つまり、人間はある範囲までは量子の動きを無意識的に、あるいは人間が何かを決めることによって、決定できる。ただ、そう考えると恐ろしい事実が浮かんでくるかもしれない。つまり、人間が思い描く物理法則ってのは幻想で、それらは人間がそう思い込んでいるから、つまり、多くの人間がリンゴから手を離せばリンゴは落ちると考えているからそうなっているのかもしれないということだ。だとしたら、本物の世界っていうのはもっとアナーキーなものかもしれない。


 五月もいよいよ終わりに近づいているこのころ。僕は今日も今日とて大学に行く。朝食を取ろうと寝室を出ると、そこには父さんがいた。

おはよう。

僕は父さんに声をかける。

「ああ、おはよう……」

熱は下がったの?

「……ああ」

お父さんは何かさっきから歯切れが悪い。

ねえ父さん。何かあった?

「……なあ宗助。お前、俺が今から話すことを信じることができる自信はあるか? 」

何言ってるのお父さん。

僕は冗談だと思ってけらけら笑う。

然し、お父さんの顔には変化がない。

僕は、これがまじめな話だと気付いて、すぐに笑いを止めた。

ど、どうしたの?

「俺の話を信じる自信はあるか? 」

お父さんのあまりの剣幕に唾をのむ。

う、うん。

僕はお父さんの前に座り、うなずく。

「……まずこの時計を見てくれ」

お父さんは僕の目の前に時計を差し出す。

「何かおかしいところはないか? 」

お父さんは何か一縷の望みに縋るような眼をした。

僕は時計を隅々まで見る。

……ないよ。お父さん。

「日付はどうだ? 」

日付もあっている。

日付は今日、つまり――五月十七日を示している。

「そうか……」

お父さんは少し落胆した様子だ。

お父さんは時計を横に置くと、僕に向き直る。

「黙って聞けよ? 」

お父さんの念押しに僕はうなずく。


「お父さんは、同じ日を繰り返している」


僕はそんなまさかと思ったが、お父さんのその真剣な表情を見て何も言えなかった。

「宗助、お前は俺より頭がいいはずだ。思考力もあり、知識もある。だから、そんなお前だから尋ねたい。なぁ、俺はどうすればいい? 」

お父さんの悲痛な表情に僕は黙り込まざるを得なかった。なぜなら、どうすればいいかなんて僕の方が分からなかったのだから。

ただ、僕はお父さんに何かヒントでも与えられれば良いと思ってこんな話をした。

僕は今日の授業で物理学についてプレゼンをするんだけれどね、こんな話をするんだ。

そういって話したのは大体以下のことである。

物理学の粒子の動きには可能性がある。そして僕はその可能性を決定するのは人間の意志、精神体だと考えている。そしてその僕の考えが正しいとき、物理法則は、多くの人間が無意識的にせよなんにせよそう思っているからできたものかもしれないと。

お父さんは黙ってうなずきながら僕の話を聞いていた。そして、僕の話を聞き終わると、苦虫をつぶしたかのような顔になりながらこう言った。

「そうか、そういうことか」

お父さんは目に涙をたたえてしきりに僕にありがとうと言いながら外に出て行った。

そうか、先ほどの話を聞いて解決方法が分かったのか。

だからあんなにも感謝したのだろう。

僕には何も分からなかったのだけれど、お父さんがわかってくれれば話をした甲斐もあったかもしれない。

僕はこれで一件落着だと思い、意気揚々と大学に行った。


 結果から言うと英語のプレゼンテーションは大成功だった。クラスのみんなからは大喝采を受けたし、尾身君からは洞察が素晴らしいとのお褒めの言葉をいただいた。そして、さらにうれしさを倍増させて家に帰った。そこには一通の手紙があった。――


 『宗助へ

お前は昔から、頑固な俺と違って頭が柔らかく、また、言われたことはスポンジのように吸い込む麒麟児だった。

俺は、もちろんそれに嫉妬した。

だが、それもお前の純真無垢な黒眼を見つめると一気に霧散した。

お前はそれぐらい可愛かった。

俺は、お前に何も残せてやれなかったかもしれないが、お前は俺にあるものを残してくれた。

それは『父親』というものだ。

お前との暮らしを通じて、俺は『父親』をすることができた。

生まれて初めて他人の成功を喜ぶことができた。

俺にとってお前は唯一の誇りだ。

だからこれからも元気でいろよ。

山下三造』

僕はその手紙を読んで胸騒ぎがした。

その手紙を交番に持って行って父親の安否を尋ねた。

だけれど、何も確たる証拠はつかめなくって、待つことしかできなかった。

そして夕食の時間。

僕とお母さんは涙が出ないように黙って夕食を食べた。

いつもお父さんが座っていた席は空だった。

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不可知の払暁 新興ラノベの濫觴と成り得る者 @ediblewaste

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