不可知の払暁

新興ラノベの濫觴と成り得る者

第1話

 僕は平凡な大学生である。高校では、ちょっとはレベルの高いところに行ったものの、そこで中位に甘んじた僕は、平凡な大学に進学した。だが、それでよかったとも思える。何故なら、かけがえのない仲間にも出会えたし、単位もあまり落としていないし、兎に角、身の丈に合っているのだから。これで僕が少し背伸びをしてよい大学に行ってしまったら、たぶん、親は感涙を催すだろうが、単位の取得難易度に辟易として、暗澹たる将来を歩んだかもしれないのだから。


 今日は五月十七日。今日も今日とて僕は大学に行く。そして靴ひもを結んでいると、父親、山下三造(数日前から熱で寝込んでいる)が、僕に声をかけた。

「おい宗助、そこらへんで時計を買ってきてくれ。時計が壊れた」

僕は父の枕元に置かれた時計を一瞥する。

すると、時計は秒針までもが正確だった。そりゃそうだ。だってこれは電波時計なんだもの。

お父さん、これのどこが壊れているっていうの?

「なに? 見てわからないのか? ほら、ここを見ろ」

父は日付のところを指さす。

そこには五月十七日と書かれている。何も間違ってはいない。

これがどうしたの?

「まだわからないのか? 日付が間違っているだろう!? 」

お父さんは腹立たしげに言う。

いやいや合っているよ。

「なに? じゃあ昨日は何日だ」

十六日でしょう?

「……そうか、そうだったか」

お父さんは不承不承といった形で黙り込んだ。

僕はもう一度お父さんの持っている時計を見て、そろそろ出発しなければならない時間だということを知り、慌てて家を出た。


 僕は授業の教室に座っていた。すると、僕の友達が僕に声をかけた。尾身拓哉である。

「ヤァ、山下君。宿題は終わったかな? 」

ああ、プレゼンテーションの準備だろ? 抜かりないね。

尾身君はグレーの服に身を包んでいた。

「しかし、僕は今から催されるプレゼンテーションの中で一番に興味があるのは、実は山下君、君のものなんだよ。君のプレゼンテーションの題名は『物理的世界に於ける可能性の発見』だろう? つまり、法則に従って行われるとされていたミクロ運動に、反法則的、或いは別の法則に準拠した動きが見られる可能性があるとしたことなんだろう? 僕はこう見えても量子コンピュータの開発に興味を持っていてね。世界と反世界、哲学で言うなら建前の世界と逆さまの世界を量子もつれによって同居させることが好きなのさ。だからつまりこうともいえるね。僕はあらゆる可能性のある世界を楽しんでいると」

へぇ、それで尾身君の題は『量子コンピュータ』なわけか。量子コンピュータは概念的には理解できるけれど、理論的に理解することは困難を極めるから、ここでその場を設けてくれてありがたく思うよ。


 心理学の世界にはこんな話がある。曰く行動とは原因に基づくものではなくて、目的に基づくものだと。これは俗にアドラー心理学といわれるが、この考え方は実は古代の哲学にもみられた。それがアリストテレスの四原因説である。ただ、四原因説とは人間の心理のみをその範疇としているのではなく、もっと広大な、つまり物と物との関係にまでその範疇を広げているのだから、個別の事象についてみていくと、多少粗さを感じるのである。


 今日は五月の半ば。今日も今日とて大学である。僕が寝ぼけ眼で寝室を出ると、リビングの席には、熱病で浮かされているはずの父の姿があった。

おはよう、父さん。

僕は挨拶する。

すると、俄然、父親はこんなことを聞いてきた。

「なぁ、今日は何回目だ」

きょう? 今日は、五月から数えれば――

「それは聞き飽きた! 今日が何回目かを聞いている! 」

聞き飽きた? お父さん、でも、そんなことを聞かれたのは初めてのはずで……

「……っち、そうか、そういうことか」

お父さんは舌打ちをすると机を思いっきり叩いた。

僕がその音に驚いていると、お父さんは俄然――

「……ちょっと出てくる」

と言って玄関から出て行った。

僕はお父さんの意味の分からない行動に首をかしげるのだった。


 大学で英語の授業を受けるべく、席に座っていると僕の友達、尾身君が話しかけてきた。

「ヤァ山下君。今日の英語の――何かあったか? 」

尾身君は僕の沈んだ顔を見て何か察したらしい。

ああ、実はさ、今日、お父さんが変なことを言ったんだ。

「変なって、どんな? 」

それが、『今日は何回目だ』って。それに答えたら怒り出すし。

「そりゃあ変だな。何かそれ以外に変わったことは? 」

……数日前から熱病に侵されているんだ。

「そうか、じゃあ頭に菌が入っちまっておかしくなっちまったのかもな」

そうだよね。それが一番可能性が高いよね。

「或いは――いや、それは考えすぎか」

僕は尾身君の、考えすぎたことを聞こうとしたのだけれど、その前に先生が入ってきたからやめてしまった。

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