最後の庭師と永遠の少女

つるよしの

遠い未来、果ての惑星にて

「なぁ、頼むよ。ヴィクトル。あんたでないと出来ない仕事なんだよ」


 俺は旧友のフェリクスのもはや何度目かも分からぬ言に、サンドイッチをつまむ手を止めて彼を見た。フェリクスの顔からは、その声と同じく懇願の色が滲んで見える。食事を邪魔された俺は、やれやれ、と言わんばかりのわざとらしい声音で、こう嫌味たっぷりに返してやった。


「なんで、そんな仕事、いまさら俺が引き受けなきゃいけない? 俺が過去を捨てたのはお前も良く知っているだろう。それに、この税務管理課が、いま、そんな暇なようにお前には見えるのか? この山積みの書類が見えないとでも? だったらお前、今すぐ眼科に行った方が良いぞ」

「忙しいのは分かるよ。役所はどこも大忙しさ。だから、俺も自分の仕事を片しにここに来ている」 

「とはいえ、そんなん、あんたら、市民保護課でなんとかする仕事だろ? たかがひとりの独居女性の保護の件なんぞ」


 俺は残りのサンドイッチを口に押し込みながら、忌々しげにフェリクスに言い放つ。だが、彼は一向に怯む様子を見せない。


「そこをなんとか。それに俺、どうもあの手の居住区に行くのは気が進まなくて」

「いい加減にしろ、昼休みが終わっちまう」


 その俺の語尾に重なるように、午後の始業のベルが響き渡った。するとフェリクスは手にしていた一枚のファイルを、俺の腕に無理矢理押しつけると、こう叫びながら自分の課の方角に身を翻して去って行く。


「頼むよ、そこに住所氏名は書いてある。とりあえず様子を見に行くだけでもいいから、行ってくれよな!」

「フェリクス、おい、ふざけんな! おい!」


 そのとき、押しつけられたファイルから一枚の紙が、はらり、と床に舞った。そして、慌ててそれをぎごちなく拾い上げる俺の目に、紙にプリントされた女性の3D画像が飛び込んでくる。

 だが、それもほんの一瞬のことに過ぎなかった。次の瞬間、俺の意識は、昼休みを終えて席に戻ってきた上司や同僚たちの姿に遮られ、その女性のことは、その日の午後の勤務中、ついぞ思い出すことは無かった。



 俺が奴の押しつけたファイルから資料を引っ張り出し、その内容にまじまじと目を通したのは、その日の終業後、コロニーの高層部にある官庁街のフロアから、市民居住地域のフロアを繋ぐトラムの中であった。


 トラムの窓からは、この惑星の軌道上に展開するコロニーの一部が、宇宙の暗がりの中に、くっきりと銀色の輪郭をもって浮かび上がっている様が良く見える。俺は、ぼんやりとした頭で、その光景と手元の資料を交互に眺めては、フェリクスの持ち込んだこの案件について、どうしたものか、と考え込まざるをえなかった。


 資料にプリントされた女性の名前は、アンナ・アグーチナ。年齢は36才と記されている。俺より10才ほど若い。だが横に浮かぶ3D映像から窺うその顔には、いたるところに皺が深く刻まれており、また栗色の長い髪は白髪が早くも目立ち、年齢以上の労苦を見て取ることができる。


 ――36才。そうか、ちょうどあの独立戦争の真っ只中に少女時代を送った計算になるな。


 俺はそこまで考えて、改めて女性の画像に目を向ける。

 ちょうどそのとき、トラムが、がたん、と音を立てて停車した。トラムはいつのまにか俺の降車駅である終点まで辿り着いていて、俺は慌てて車外へと転がり出る。そして、いつもと同じように、自分のアパートのあるC居住区に繋がる西ゲートへと歩を進めようとした。だが、なにか心が騒いで、俺は、手にした資料にある女性の住所に目を走らせる。


「R居住区・トゥヴェルスカヤ通り・23番地」


 数瞬の躊躇いののち、俺は踵を返すと、北ゲートに通じる通路に歩を向けた。北ゲートが、彼女の居住地である「R居住区」に面していることを、頭上の案内板で確かめながら。



 R居住区は、このコロニーでは最貧民の人間が住む地区である。俺は仕事で、この種の地区をたびたび訪れたことがある。だから、そう気負ずR居住区に足を踏み入れる気になったわけだったが、いざ訪れてみれば、そこの荒廃ぶりは、想像以上だった。なるほど、市の職員もめったに訪れないといわれる居住区であるだけはある。


 俺がR居住区に着いたのはコロニーの夜時間、だいたい19時にあたる時分だったが、この時間なら、まず、どんな居住区でもまだ店が開き、通りには煌々と灯が点っているものだ。だというのに、このR居住区ときたら、通りは真っ暗、建物内を照らす明かりもまばらな有り様だ。そこで俺は、そういえば、ここのところの失業率の上昇で、貧民街では電気料金の滞納による停電も珍しくないという世情を思い出す。そして当然ながら、人通りは殆ど無い。不気味な沈黙と暗闇が区全体を支配している。

 俺は安易な出来心で、このアンナ・アグーチナとやらを訪ねてみよう、と思ったことを早々と後悔して、そこに留まるのもそこそこに、R居住区に背を向けようとした。


 だが、そのとき、なにかの甘い匂いが、俺の鼻をついた。それは、どこか、遠い記憶を呼び覚ます強い香りだった。

 そう、それは、まるでなにかの花のような……。


 ――花? まさか。このコロニーのなかで植物が生息しているのは、限られた地区の公共の公園だけのはずだぞ?


 そう思いながらも、俺の足はその匂いにつられるように、再びR居住区内に向かっていく。そしてR居住区内の暗闇でもそれはまるで、後から考えれば、道しるべのようにはっきりと俺の嗅覚に刺さり、足をその方向に進ませた。俺は、暗闇の中を、路傍の凹凸に足を取られながらではあるが、その香しい匂いを追うように、ゆっくり、ゆっくり、と進んでいった。そして、10分ほど彷徨い歩き、行き着いたある路地に、懐かしい匂いが充満していることを探り当てた。


 俺は、近くの建物から漏れる仄かな明かりで、その路地の名を確かめようと試みた。やがて、朧気なひかりのなかに、薄汚れた標識が浮かぶ。目を凝らせば「トゥヴェルスカヤ通り」とそこには記されている。


 俺は驚いた。あの女性の家のほど近い場所に、いつのまにか自分がいることに。それから、俺は、ここまで来たらままよ、とばかりに、ごくり、と唾を飲み込み、番地の数字を注視する。


 ――20……21……22……23! 


 あった。そこにはたしかに黒々とした塊にしか見えぬ、古ぼけた建物があった。それが、アンナ・アグーチナの住む家であった。


「ここか……」


 俺は目的地に辿り着いてしまったものの、さてどうするべきか、仄暗い路地で頭を捻る。


 ――ここまで来たのなら、フェリクスの要望通り、暮らしぶりくらいは見てやってもいいかもしれないが……。


 そのときだった。建物のドアがいきなり開いて、中から、白いひかりが路地になだれ込んできた。そして、ひかりとともに、俺を出迎えたのは、さきほどと同じ匂い――いや、それが何十倍もの濃度にもなった香しい匂いの濁流だった。そう、その濁流は、その建物の中から流れてきたのだ。

 俺はおそるおそる、その匂いの源を確かめようと、建物の中に目を向ける。


「……あっ!」

 

 そこには、これ以上に無く華やかな、色彩の渦があった。

 よく見てみれば、そこは、色とりどりの、無数の薔薇が咲き誇る温室であった。

 そして、呆然と立ちすくむ俺に声を掛ける黒い影がある。


「ようやく来て下さったのね、私の新しい庭師さん」


 嗄れた、だが、柔らかな声音の主は、あの資料の3D映像の姿そのままで――つまり、その影が、アンナ・アグーチナその人であったのだ。



「お茶のおかわりはいかが?」

「ああ……ありがとうございます」


 俺は、奇妙な空間で、奇妙な時間を過ごしていた。

 ここはたしか、貧民街であるR居住区のど真ん中であるはずだ。俺の理性がそう疼く。だが、いま俺は、20メートル四方ほどの温室のなかにある白いクロスの引かれたちいさなテーブルのまえに腰掛け、女性から茶を振る舞われている。それもよく見かける人工茶葉のものではなく、薔薇の匂いが湯気と共に強く立ち上る、天然のローズ・ティーではなかろうか。その証のように、カップの中央には、乾燥した赤い薔薇の花弁が一枚、茶のなかで優雅に揺れている。


「……なぜ、ここに、こんな見事な薔薇園があるんです? ミズ・アグーチナ」

「あらいやだ、アンナと呼んで頂戴」


 いきなり、そう言われた俺は、ローズ・ティーを思わず吹き出しそうになった。


「あらあら、大丈夫? そういえば、新しい庭師さん、あなたの名前はなんていうの?」

「ヴィクトルです。ミズ・アグーチナ」

「ヴィクトルね。ではもう一回お願い、私をアンナと呼んで欲しいの」

「……わかりました、アンナ……さん……」

「だから、アンナと」


 まるで少女のように頬を膨らまして、女性は俺を青い瞳で俺を見つめ、抗議する。十数秒の沈黙の後、俺は仕方なく、アンナの言うことに従うことにした。


「わかりました、アンナ」

「ふふ、ありがとう、ヴィクトル」


 俺はいささかくすぐったかったが、アンナは心から嬉しそうに、何筋もの皺が寄る頬をほころばせて笑ったので、まあ、いいかと、心中で独り言つ。

 それよりも大事なことは、なぜ、アンナがこんな貧民街に薔薇園などこしらえて暮らしているかだ。俺は、自分がここに来るに至った、そもそものフェリクスからの依頼を、頭の中で、思いうかべる。


「アンナ。あなたの家は、この薔薇園のほかに、どこにあるのですか?」

「あら、私の家はこの建物のみよ。そうね、昔はもっと広い家に住んでいたけれど、いまは、ここだけ」

「それでは、資産は?」

「そんなものないわ」

「では、食事などはどうしているのです?」

「それは、昔から、ほかの親切な人が届けてくれるのよ。ありがたいことね」


 そう言うと、アンナはところどころがこんがらがった、白髪交じりの栗色の髪を揺らして、微笑んだ。その笑いには、悪気とか、邪気といったものが全く見受けられない。そのせいか、黄ばんで欠けた歯や、緑色のすり切れたビロード地のワンピースも、心なしか、それほどみすぼらしく感じられない。


 ――とはいえ、だ。


 俺は匂い立つ薔薇の匂いに半ばくらくらしながらも、質問を続けることにした。


「端から見る限り、あなたの暮らしぶりは裕福なものとはいえなそうですね。いや、どちらかというと、困窮しているように見えます、アンナ」

「あら? どうして?」

「近所の人から市の保護課に匿名の投書があったのですよ。暮らしが困窮していて、その日食べるもの、着るものも、周りの施しでまかなっている独居女性がいると。つまり、あなたのことです、アンナ」

「そうだったかしら」


 アンナは俺の正面に座って、欠けた歯の見える口元を、なおもほころばせている。そして、数多の薔薇の花のなかに佇みながら、どこか夢見るような口調でそう答えた。


「そこで保護課は、市のセーフティネットであなたを救済するべく、まずはあなたに当局に出向くように促した。ところが、あなたはそれを無視した。そして五度目の連絡で、ようやく、こう、返事を寄こしたそうですね。“自分は庭師を待っている。彼以外の言うことは聞かない”と」

「そうよ! ヴィクトル! そのとおりよ!」


 薔薇の園の中で、アンナは飛び跳ねんばかりに喜びの表情を閃かせた。


「それで、保護局からの依頼で、俺があなたの元に寄こされたわけです」

「そうよね! ヴィクトル、だから私はあなたをずっと待っていたのよ!」

「アンナ、俺はたしかに、庭師です。いまや、人類のうち唯一、その資格を持った人間です。……いや、人間でした」


 俺は淡々と事実をアンナに告げた。途端にアンナの表情が翳るのにも、構わずに。


「かつて、庭師はもてはやされた職業でした。というのも、人類が宇宙に植民するにあたり、育てるのにも維持するのにも莫大なコストを要する植物を、愛で慈しむことは、限られた上流階級にしか許されない贅沢でしたから。そして、それを管理する庭師という職業に就けば、自らも上級階級から重宝され、生涯にわたって高給を得ることができる。いわば、誰もが憧れる花形職業だったわけです。……そう、あの独立戦争までは」


 俺は遠い栄光の日を懐かしみながら、訥々と語を継ぐ。


「ですが、地球からの独立戦争の勃発、そして宇宙植民軍の勝利で、すべての価値観は逆転しました。上流階級は粛清され、そして、それは我々庭師にも及びました。上流階級から甘い汁を吸っていた許しがたい特権階級であるとして、過酷な弾圧を喰らいました。俺は、この最果ての惑星のコロニーまで逃げおおせたおかげで、幸いなことに命までは取られませんでしたが、裁判にかけられ、二度とその庭師という職業に就けないよう、両腕を切り落とされました。ですから、この両腕は義手です。二度と庭木の世話など、出来ません」


 俺は、見た目は普通の人間のそれとは変わらない両腕をさすり、あの恐怖の日々に思いを馳せながら、一気にそこまで言葉を吐いた。そして、すっかり冷めてしまったローズ・ティーを啜りながらアンナに目をやる。見れば、薔薇の園の中に佇むアンナの表情はすっかり固まっている。


「俺は幸い、服役した挙句、釈放され、いまは官吏として市当局に奉職することが叶いました。だけど、もう、庭師ではありません。そして、いまは宇宙に、誰ひとりとして庭師を名乗る人間はいません。………アンナ、それが現実なんです」

「そんな……だって、私は、お父様からこう言われて育ったのよ。この薔薇園がお前の財産だ、だから、ここを守りなさい。何があっても、ここを離れてはいけないって。そして、いつか刻が来たら、新しい庭師を雇いなさい、って。私は、それで、ヴィクトル、あなたを、ずっと、待っていたのよ、あなたを」


 そこまでが、俺の精神の限界だった。俺はティーカップを、がちゃり、とやや乱暴に白いクロスの上に戻すと、彼女の言葉を遮り椅子から立ち上がった。そしてアンナの顔を見ながら、震える声で、こう言い残すことしかできなかった。


「アンナ。俺はあなたの役には立てません。どうか、あなたに神のご加護を」


 そう言うや俺は、華やかな薔薇園から身を滑らせ、温室の出口から外に飛び出て、後ろ手でそのドアを力一杯閉めた。途端に夢から覚めたかのように、俺の身体は仄暗いR居住区のぬかるんだ路地に立っていた。

 周囲になおも色濃く香る薔薇の匂いだけが、アンナとあの薔薇園が現実に存在しうるものであると、俺の脳に語りかけていた。



「よう、ヴィクトル。助かったよ。まさか貧民街に、あんな反体制的な空間が残っていたとは、驚きだったよ」


 それから数日後、またも昼休みにフェリクスが俺の課にやってきた。ことの顛末を報告しようとの魂胆だと俺は瞬時に悟り、食事の手を止め、手を振った。


「俺はもうあの件には、関係ないんだ。ほっといてもらえないか」

「いいや、お前の証言のおかげで、貧民街に潜んでた元上流階級の屑どもを摘発できたよ。貴重なエネルギーをあんなお花畑のために無駄使いしやがって。栄光の時代に縋り付くにもほどがある。あのアンナとやらも捕縛した。礼を言うよ」


 俺は顔を顰めた。そしてただ一言、短く尋ねるだけに留めた。


「アンナはどうなる」

「ああ、どうやら、彼女は元上流階級のお嬢様だったようだがね、尋問したところ、独立戦争付近の記憶がすっぽり消えているんだ。それで、脳を調べてみたんだが、ロボトミー手術の痕跡があるね。きっと意図的にその付近の記憶を消されたんだろう。おそらく彼女の親が、彼女に悲惨な記憶を残さないために闇医者を雇って手を下したんだろうな。でも手術の出来もそうよろしくなかったらしく、彼女の記憶も脳の成長も、おめでたいことに少女時代のままさ。まったくもって、頭の中までお花畑だとは、哀れだな」


 フェリクスの得意げなその言葉に、ともすれば翳りそうになる表情をなんとか保ちながら、俺は、こう受け流すのが精一杯だった。


「頭の中までお花畑、か。上手いこと言うじゃないか」

「まあな。ともあれ、彼女は周囲に害は与えそうにないから、施設に送って余生を過ごしてもらうことにしたよ。だけど身体は頑丈そうだから、そこそこ長生きするんじゃないか?」


 それだけ言うとフェリクスは満足そうにひとつ頷き、陽気に笑う。


「とにかく、ありがとう。ヴィクトル、今度、なにか奢るよ」

「そりゃ、ありがとよ」


 そう言いながら、俺は食べ終わったサンドイッチの紙をくるくると丸めて投げる。

 義手にしては上出来なことに、投げた紙くずは、まっすぐに弧を描いて、ぼとり、とダストボックスに吸い込まれていった。


(了)

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