花が咲くまで初見月。

新巻へもん

我がもの顔の居候たち

 しのぶさんはこたつに向かってフローズン・ダイキリを片手に小説を読みふけっている。グラスに口を付けるとコクリと飲んだ。

 俺に気づくとこちらを向き白い頬にえくぼを刻む。

「あ、おかえり」

「ただいま」

「奏太。どうしたの?」

「えーと……」

 俺は口ごもった。

 ユキは長い睫毛を振るわせてウィンクをしてくる。

「飲みすぎって言いたいんでしょ? でもね、ヘミングウェイを読むときは故人を偲んでこれを飲むと前世紀から決まっているんだよ」

「もっともらしい嘘をつくな」

「何をカリカリしているの?」

「そりゃ毎日他人の家で食っちゃ寝している同居人がいればね」

 俺の嫌味は全く通じなかった。

「奏太も飲むかい?」

「俺は未成年だから」

 しのぶさんはケラケラと笑う。

「人間というのは難儀だね。それじゃ、ヌバ、一緒に飲もうか?」

 しのぶさんはこたつに後ろ脚を突っ込んでヘソ天で寝ている黒猫に声をかけた。

 俺は思わず声が大きくなる。

「猫に酒を飲ますな!」

「それぐらい分かってるって。冗談だよ。つまんないの」

 しのぶさんはくいとグラスを傾けた。

「それで、ごはんまだ?」

 屈託のない顔で問いかけてくる。俺はスーパーの袋を持ち上げるとキッチンに戻っていった。


 ***


 俺がしのぶさんとヌバタマに会ったのは、二月に変わった日の夕方。

 その日はみぞれ交じりの冷たい雨が降っていた。

 俺の住んでいるアパートに近い歩道橋の下で段ボールに入った猫が哀れっぽい鳴き声をあげているのを見つける。

 俺がそばによると声のトーンが変わった。

 にゃあお。

 ちょこんと座り込んでくりくりとしたお目目が訴えてくる。

 俺が座り込むと声の甘さがさらにパワーアップした。

 自分の可愛さを十分に認識した精神攻撃に俺が耐えられるはずもない。

 思わず手を伸ばすとすりすりと体をこすりつけてきた。

 そこに横合いから声をかけられる。

「その子どうするの?」

 傘を傾げてみると派手なワンピース姿の女性が腰をかがめていた。

 黄色いヒョウ柄を着こなすのはなかなか難しいと思うのだが、それに負けない華やかな感じの顔立ちをしている。

 眉のきりりとした美人さんと目が合ってどぎまぎしてしまった。恋人いない歴を絶賛更新中の俺には刺激が強すぎる。

 視線を子猫に戻してみると俺のダッフルコートの袖にもぞもぞとしがみついていた。

「すっかり懐かれちゃったわね。お迎えしてあげたら?」

 うーん。

 まあ、俺の借りているアパートはペット飼育可ではあるのだが……。

「大学生だから日中家を空けることが多いし……」

 俺は迷いの言葉を漏らした。

 お姉さんもしゃがみこんで子猫をなでる。

 ちらりと視線をむけるとつやつやとした膝が目に入った。

 お姉さんが俺の顔を覗き込む。

「それじゃあ、私が日中面倒をみてあげようか?」

「それなら、あなたが飼ってあげたら?」

「それは無理。家がないもの」

「はい?」

 お姉さんは肩にもたせかけていた俺の傘を取り上げて立ち上がった。

 え? え?

「私はしのぶ。あなたの名前は?」

「渡辺奏太ですけど」

「それじゃあ、奏太くんの家に行こっか? その子お腹を空かしてそうだし、こんな寒いところにいつまでも居られないよ」

 見上げると、しのぶさんは微笑みながらも早く立つように促してくる。

 会ったばかりの女性をアパートの部屋に招待するなんて普通ならしない。

 ただ、俺の頭には霞がかかったようになっていた。

 猫を抱きかかえると立ち上がる。

 しのぶさんがさしかけてくる傘の下で俺は歩き出した。


 ***

 

 これが俺としのぶさん、猫のヌバタマとの出会いだ。

 今では一人と一匹は我が物顔で俺の部屋を占拠している。

 猫はともかく、しのぶさんを追い出さない理由は何か?

 一つに俺に下心があるのは否定できない。もう出会って十日ちょっとになるのにキスすらしていないけれど。

 そもそも物理的に俺がしのぶさんを追い出すのは無理だった。

 しのぶさんはめっちゃ強い。だって、鬼の血を引いているからね。

 それで俺が手も足も出ないのをいいことにこたつに入って酒ばかり飲んでいた。

 苦言を呈してみたがどこ吹く風。

「だって新年だよ」

「もう二月ですが」

 しのぶさんはチッチッチと舌を鳴らして指を振る。

「旧暦での話さ。それにあたしら鬼にとってみれば桃の花が咲くまでが正月なのよ」

「一つお伺いしても?」

 俺の作った夕食のカレーをぱくつきながらしのぶさんは顔をあげた。

「いつまでここに居るつもりなんです?」

「え? ヌバの面倒見ている間はいるつもりだけど。そういう話じゃなかったっけ?」

「なんか、あのときぼーっとしていて良く覚えていないんですよ」

「そりゃあ、あたしが人の意識を操る力を使ったからね」

「なんで俺だったんです?」

「それは教えてあげない」

 うふ。鬼なのに小悪魔だ。

「俺は渡辺姓なんですけどね」

「ああ、あれ? 渡辺綱の血筋は避けるってやつ? あたしは気にしたこと無いなあ」

「それで今はその鬼の力は使っていないと?」

「疲れるからね。それに奏太もあたしが家に居るのはまんざらでもないでしょ? 帰ったら美人がお迎えしてくれるんだよ。返事のないただいまを虚しく響かせなくてもいいんだし」

「それはそうですけど」

 そこを否定しがたいのは確かだ。

「夕食の用意がしてあると、なお嬉しいんですけどね」

「あ、ムリムリ。あたしの料理より奏太の方がずっと美味しいし」

「なんか、こう、しのぶさんの方が一方的に利益を享受してませんか?」

 しのぶさんはやれやれというように憐れむ表情になる。

「小さい。小さいなあ。どっちが得とかそういうみみっちいことを考えているから彼女がいないんだ」

「それ、言います?」

 痛恨の一撃。俺のライフはもうゼロだよ。

 しのぶさんはニヤリと笑った。

 珍しくこたつから出ると窓際の衣装ダンスの上から小さな箱を持ってきて俺の横に座る。

 俺の手に小箱を押し付けてきた。

 促されて包装紙をはがしてみると中からチョコレートの小箱が出てくる。

 こ、これは?

「下僕にも慰労の品は渡さないとね」

 人生で母親以外から初めてもらったヴァレンタインギフトに頬が緩むのを抑えられなかった。

 しのぶさんが近づいてきて頬に柔らかいものが触れる。

 え? 今のは?

 わけも無く頬が熱くなった。

「ちょろいな」

 しのぶさんが勝ち誇った笑みを浮かべている。

 俺のひざの上に登ってきたヌバタマがにゃおと鳴いた。


-おしまい-

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