87 八咫瓊勾玉



 梶火は……絶句していた。

 

 悟堂のまくし立てた言葉に、むしろ怒りはかなかった。ただ――ただ只管ひたすらに、かつての師が痛々しかった。

 自分が望んだ事だ。望んですきを突いた形でゆうを手に入れた。あれはもう、奪ったと言っていいと自覚している。そして結局失っている。だからこそ、悟堂の言葉は只々悲しみとして伝わった。

 決して失えない者を失う苦しみ。それが、あの闊達かったつで明るかった師をここまで悲嘆にとした。

 自分がやった。

 梶火は僅かに俯いて拳を強く握った。

 と、臥雷がその段になって、ようやく刀のつかから手を外し、梶火へと顔を向けた。

「臨赤殿」

「――……なんだろうか」

白浪はくろう先代頭首、琅邪王ろうやおう臥雷がらいと申す。ここまでこじらせてしまって申し訳がない」

「否、それはこちらの言うべき事だ。内輪の事で恥をさらし申し訳ない」

「――折角助力の申し出と共にここまで運んでいただいたのに、この為体ていたらくでは我々としても申し訳が立たない。せめて多少なりとも建設的な話がしたい」

「そうしていただけるのならばありがたい。我々としても今後の方針がある。素戔嗚を捕縛する具体的な手はない、黄泉比良坂も開けないでは――助力を維持するにしても、我々優位に話を進める手札があまりになさすぎるのでな……」

「――正式なやり方でなくて良いのならば、黄泉比良坂よもつひらさかを渡る術はある。こちらの人間がそれを既に済ませている。だが、その時は失敗したんだ」

 梶火は首肯しつつ視線を臥雷に投げた。

「――それについては多少聞き及んでいる。高臼こううすの山頂からしか口は開かないが、確かに異地いちと行き来する事は可能だと、そう瓊高臼の文献にも記録として残されているそうだな。ただ、天空の怒りに触れるのかどうなのか、大地に押し付けたかの如く縫い留められ、内腑がまろび出て死に至る、と」

 臥雷は、ちらと臥龍を見た。臥龍は静かに眼を伏せた。息子に譲る事に決めたらしい。臥雷は小さく吐息を零すと再び真っ直ぐ梶火を見た。

「そうです。だから五邑は死ねる。は死ねない。ただ這いつくばって助けが来るのを待つしかない」

 重い溜息が我知らず漏れた。もう、父の顔を見る事はできなかった。

「では、その時に異地に降りた者を助けたのは誰なんだ? 瓊高臼から降りたという事は、あの山に侵入したという事だろう? その上、瓊高臼に記録まで残されてるなんて、ちょっと考えられないんだが」

 梶火の問いに、臥雷は臥龍へと視線を向けた。

「――それは、俺も聞いておきたいところだ」

 臥龍は自身の息子に、次いで食国、それから梶火へと視線を巡らせた。それから暫時ざんじ間を置いて――溜息を吐いた。


「大師長だ」


月桃げっとうか⁉」

 臥雷の叫びに、臥龍が項垂うなだれたままこっかいを続けた。

「――臨赤りんしゃく殿。あれは、我々が地にめられているのを、気が向くたび高臼こううすより見下ろしてわらっておりました。――あれは『神域』の神だ。あちらに干渉する事を度外視すればいくらでも好きな時に異地に降りられるのです」

「『神域』の者ならば、潰されずに異地に降り立てるという事か?」

「月桃曰く――ですが」

 臥雷が頭を振った。

「じゃあ――じゃあ、なんであいつは赤玉を取り返しに行かなかったんだ⁉ なあ親父⁉」

「――それこそ、あれにとってはどうでもいい事だからだ」

 さすがの答えに、臥雷も息を呑んだ。

「どうでもいい、だと?」

「そうだ。あれはただ、気が向いたから我々を助けたんだ。その結果、異地に天変地異が起きようがどうでもいいのだ。そして、その結果我々が禁を犯した事を異地側に知られ、囚われたままの赤玉の立場がどう危うくなるか、という事すら、どうでもいいと考えている」

「――あの大師長は、本当にそこまで狂っているっていうのか?」


「だろうな」


 ぼそり、悟堂の吐き捨てるような言葉に、全員が目を向けた。悟堂は顔をそむけたまま組んだ脚の上でほおづえをついている。皆の視線にちらとだけ目を返すと、はああとつまらなさそうに溜息をいた。

「あんたら、月桃の親が誰か知ってるんだろ」

「――月如げつじょえん大璞だいぼくらん、それから……赤玉だろう」

 答えたのは食国だった。悟堂は困ったように、へにゃりと笑った。

「公よ、これに関しては、黙っていた事を詫びる」

「――えてこの件についてだけ謝罪する理由を聞いた方がいいか?」

「ええ。あなたの出生にも関わる事ですのでね」

「話せ。聞いてやる」

 悟堂はおかしそうに笑いながら、自身のその口元をおおった。


「これは誰も知りはすまいよ。不死石しなずのいしを産むための赤玉の核はな、赤玉が「つき」を去るはるか以前に二つに割られている」


「割られた⁉」

 梶火の叫びの前に、悟堂の冷たい目が、はるか遠い過去を映す。

「これは俺が璞蘭から直接聞いた話だ。――赤玉は異地いちつ前に、の民という己の血肉を分けて生み出した種族の根幹そのものである己の核――八咫瓊やさかにの勾玉まがたまを残していったんだ。本当は、異地の帝に丸ごと核を渡したかった。しかしそうすれば民の種の存続そのものが危うくなる。それで、自身の八咫瓊勾玉の半分と、異地の帝から譲られたもう一つの八咫瓊勾玉――白玉の八咫瓊勾玉を夜見に残した。わかるか? その半分の赤玉の八咫瓊勾玉を委ねられたのが大璞蘭で、白玉の八咫瓊勾玉を委ねられたのが、公、あんたの母親だ」

 思わぬ言葉に食国はそのまなこを見開いた。

「――かあさん、に?」

 悟堂の目が、じっと食国にそそがれる。



「あんたと月桃は、赤玉の種なんか継いじゃいない。あんたらはそれぞれ八咫瓊勾玉を継いだんだ。あんたのその左耳にぶら下がっているそれは、異地の帝から赤玉に渡された恋文替わりの赤心まごころだ。あれは――あの恋は、禁忌だ」



 悟堂の指先は食国のひだり耳朶じだを指してから、ゆっくりと下ろされた。

「そして月桃は赤玉の八咫瓊勾玉――つまり赤玉の核の半分を持って生まれてきている。だからあれは真の神であり、あれ自身が真の赤玉の後継なんだよ。――もうずっと、赤玉の核は姮娥こうがにあったんだ」

「それじゃあ――月桃が不死石を生み出す事は」

「当然可能だ」

「じゃあ――じゃあ何故やらないんだ」

「だから、そこのおうせつがんが言っただろうが。あれにとってはどうでもいい事なんだと」

 悟堂はじっと食国の目を見据えた。

「赤玉の核で不死石を発生させる事ができれば、最悪赤玉本人を取り戻す必要はない。本当は赤玉は、それを見越した上で自身の核を半分残していったんだ。己が二度と帰れなくともいいように、とな」

 食国は険しい物を眉間に刻みながら、うつむき気味に両腕を組んだ。

「――問題は、それを引き継いだ人間が、不死石を作り民を救う事に対して全く関心も頓着もやる気もなかった、と」

「そういう事だ」

 悟堂は首肯した。

「――確かに、『神域』の者であれば異地に入ってもつぶされない。ただし、異地の側に莫大な被害が発生する。これだけはどうしてもどうしようもない。地が揺れ、山から火が吹きあがり、起きた粉塵ふんじんで天が覆われ日が差さずに植物が枯れ果て飢饉ききんが起き大量の民が死ぬ。――それで良ければ、奴等を追い返す事はいつだってできる。贄の頭数はもうそろったんだろうが。だがな、それでは異地の帝は納得しねぇって事だよ。あちらに被害を出さずに済む正式な手数を踏んで開いた道で素戔嗚を送り込むんでなきゃ、神威しんいが強すぎて、それこそこれまでとは比にならん災害が異地を見舞う。――恐らくは、あちらの国土が海に沈む。そうなったら、赤玉の返還など夢のまた夢だ。そう言う事も全部分かった上で、月桃は異地に降りておうせつがんを助け出したんだよ」

「本当に、破滅と破綻はたんそのものを狙っているという事か」

 悟堂は――何故かとてつもなく優しい眼差しで微笑んだ。


「赤玉を取り戻す事に最も執着していたのは、他でもない、げつじょえんだ」




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