84 八咫とお前とで話を着けて欲しい



 かじは大きく溜息をいた。

 重苦しい。そして、苦い。きつく閉じたまぶたをゆっくりと開く。ゆっくりと、謁見えっけんの間の内にいる皆に視線を投げる。夫々それぞれが、その強い視線を受け止めた。心の内を吐き出し切ったのだろう。梶火の眼の奥には、急速に冷静が取り戻されていった。


「――せいの身体には、もう一片の死屍しし散華さんげも残っていない。その代わりに、瓊瓊にに破砕はさいで徐々に満たされていっている」


 間のどこかで、がちゃり、とよろいれる音がした。それが必要以上に皆の耳に大きく響いたのは、神経が過敏になっているからだろう。


「お前等が知っているかどうかは知らんが、白玉はくぎょくの継承時、うつわ死屍しし散華さんげ莫大ばくだいな量に耐え切れず、その肉体所有の権限を白玉に譲り渡すんだそうだ。「識」の入れ替えを器が受け入れて、自らが神の一部となる事を選択した時点で継承は終結する。……それでもな、三日三晩を耐え抜き、そしてあらがいきれずに気を狂わせてあきらめるんだよ。――俺達が思っていた以上に、俺達は残酷な事を女達にいてきたんだ」


 どこかで、誰かの吐息が落ちる。息を詰めていたものが、そこで零れ落ちたのだろう。


「「識」が入れ替われば、その肉体は神の領域のものとなる。だから、「真」の寶刀で肉体を切り分ける事が可能になるんだ。そうして分割された肉体を、各邑の参拝によって邑人に削り取らせて増殖による破綻を遅らせる。あれはそういう仕組みだったんだ。――そして今現在、否、この八年、青は、その三日三晩かけて行うような莫大な力の譲渡と同等程度の力を、その身に引き受け続けている状態なんだよ」

「梶火」

 名を呼ぶおすくにの手が、微かに震えている。

「なんだ」

「それは、ゆうは――無事なの?」

「今はな。だが、この先は分からねぇ」

「この先って、白玉の継承が起こったら、と言う意味?」

 梶火は背筋をわずかに正す。力み過ぎた身体は、前のめりになりかけていた。ちゃり、と腰の左右に刷いた刀が音を立てる。



「破砕牙を顕現している奴がもう一人いる」



「は⁉」

 叫んだのは悟堂ごどうだった。反射でその手が梶火の胸倉を掴んだ。

「そんな馬鹿な話があるか⁉」

「――どうしてそう思う」

「決まっているだろうが⁉ それは――っ」

 叫びかけて、悟堂ははっと引いた。

「それは?」

 梶火は、静かに悟堂の目を見た。悟堂の頸筋くびすじを、ふわりと生暖かい不安が撫でた。

 それはまるで、りし日のえいしゅうで暮らした頃の彼を思い起こさせるような眼差しだった。真っすぐでにごりのない、しかし多くをゆるぎ無い思い込みに支配されていた、危う過ぎる少年の目だ。

「師範。なぜ決まっている?」

「お前、それは――」



「それは、破砕牙を顕現できるのは、四方津とぐわったあまてらすの男児に限られるからか」



 悟堂の目が――泳いだ。

 迷いのない梶火の目が、悟堂の内に例えようもない嫌悪と不安を掻き立てる。強制的にあばかれる事に対する忌避感が――ざわりと腹の内を這い上がる。

八咫やあただ」

「――――――なに」

「八咫だよ。あいつの中にも破砕牙がある」

「そんな――そんな、馬鹿な話が」


「本当です」


 横から小さな声が届いた。悟堂が目を向ける。声を発したのは騎久瑠きくるだった。

「お話に割って入る事をお許しください。危坐きざ州州長しょうずいくうが一子、蕭瑠しょうりゅうきんと申します。わたくしの母は薜茘多へいれいた食人精気じきにんしょうきであり、わたくしはその血を引いております」

 微かに、その手にめられた力が拳を震わせていた。騎久瑠自身信じられなかった。これ程までに膝が震え緊張が全身を支配した事などそうそうない。

「この結果、姮娥こうがにて目覚めの影響を受けた折に、母、並びにこの紅炎こうえん共々、仙鸞八咫せんらんやあた精気しょうきと血肉を分け与えられました。我々は本人から死屍散華の消失を聞かされております。そして、わたくしどもが分け与えられた仙鸞の精気には、間違いなく破砕牙が含まれておりました」

「そんな、ことは、有り得ない」

 口元をおおいながらしぼり出すように言う悟堂に、騎久瑠は眼を見張ったまま首を横に振った。


「仙鸞とわたくし共が邂逅かいこういたしましたのはおよそ八年前。仙鸞は己以外にも死屍散華を消失している者はいないかと尋ね歩いていました。彼自身にその因果は知れておりませんでしたし、わたくし共にもそれは図りかねます。しかし事実として、わたくしの目覚めがおさえられた結果がここにあります」


 騎久瑠の断言に、悟堂は震えた。

 これは――己の知る事をあまりに多く越え過ぎている。こんな事は、こんな事態はありえない。

 ありえないはずだ。


「師範。八咫になんで破砕牙が顕現したのかはわからねぇ。だがな、それが事実なんだ。そしてあいつは方丈の『真名』の贄になる。それが実行された時に――青と二分して顕現していた破砕牙がどうなるか――」

 食国の喉が、高い音を立てて息を呑んだ。

「梶火っ――まさか」

 すがめられた梶火の目が、動揺に揺れる悟堂を冷たく見据えていた。

「絶対にそうなるとは断言できる段階じゃない。だが、白玉に宿った瓊瓊杵を継承した訳でもない現時点で既に、万を超える妣國の民の目覚めの暴走を緩和する程の力が八咫一人に顕現している。ここから推して知るべしだろうが」

 梶火の言葉には頷けるだけの物があった。だから――食国は言葉を失った。


「なあ食国。お前が玉座にくための道はかれた。俺達臨赤りんしゃくが、姮娥こうがへと安全に渡る為の敷布しきふになろう。白玉の解放は悲願だ。だが、俺は八咫を贄にはできん。その結果が間違いなく青に向かうからだ。だから頼む。八咫やあたとお前とで話を着けて欲しい。どうか、『真名』の贄は別の者にしてくれ――と」


 苦しい声が、懇願の形となって押し出された。

 そこでおすくには、僅かだが、異様な違和感がそこにある事に気付いた。



 かじは今、八咫やあたと話を着けて欲しいと、そう言ったのだ。



「八咫と、って、梶火」

「今のあいつの立場なら、寧ろあいつの麾下達に聞かせた方が賛同を得やすいかもしれねぇ。恐らく八咫は自分が贄になるって事を麾下達にも隠してる。じゃなきゃ今頃禁軍はもっと混乱しているはずだ」

「ちょ、ちょっと待って梶火。お前何言ってるんだ? 八咫の麾下って、それは何の話だ?」

 そこで――ようやく梶火の方も食国の反応がおかしい事に気付いた。気付いて、その表情を徐々に奇怪に歪ませてゆく。

「食国、お前何言ってんだ?」

「なにって……」

 話がみ合っていない。自分達の間に、何かとてつもなく大きな齟齬が横たわっている。それを確信した。ざわりと寒気が走る。



「玉座の簒奪を為した大将軍が贄になるってんだぞ? その下に就いた禁軍全軍が黙ってはいそうですかって受け入れる訳がないだろうが。下手に事が逆転したら、奴等まとめて逆賊だぞ」




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