80 良い訳ないだろうが!



 謁見えっけんの間は二階部分に入り口をもうけてあった。大扉を開けて通された室内は広く、また天井は高い。四階部分までを吹き抜けにしてあるようだった。しかし石造りの堅牢な城と言うだけあって、その本質は矢張りいくさのぞむ将の為の牙城。光も少なく薄暗い。間の両脇には鎧を纏った兵が槍を手に立ち並んでいる。我知らず、かじの腹にもぐっと力が入る。

 正面には、五段程の段差をつけて上がった天蓋てんがい付きのだんがある。その中央に玉座は置かれていた。今はそこに人の姿はない。段下に数人の麾下らしき姿がある。梶火の肩に力が入るが、そこに見知った顔はなかった。

 想淑そうしゅくは足早に進むと、玉座の下、正面やや左寄りの場で膝を折った。続いて梶火も同様に――これは想淑の斜め後ろ、玉座の真正面で、片膝を折り、こうべを垂れた。彼に続いて麾下達も同様にその場に膝を折る。

 

 最初から服従の意を示しておいた方が話が早い。


 ややあって、玉座の脇にある小扉が開いた。

 頭を垂れたまま待っていると、さらりと衣擦きぬずれの音がした。小扉から入って来たのだろう。足音から二人。内、先頭を歩く軽い足音が段差を登り玉座の前で止まった。そのまま座す事なくこちらを見下ろす気配がした。

 ややあって、想淑そうしゅくの声が謁見の間全体に響いた。

「臨赤殿。こちらはくおすくに殿下でいらっしゃる」

 梶火はゆっくりと頭を上げて、そこにたたずむ人を見上げた。



「――おい」



 静かに響いたのは、思いも寄らぬほどの怒気どきを孕んだ低い梶火の声だった。白浪はくろう側にびりとしたものが走る。

「臨赤殿……?」

 恐る恐る振り返った想淑そうしゅくの目に映った梶火は、悪鬼もかくやという形相ぎょうそうで――わらっていた。想淑のみならず、その場にのぞんだ全員の背筋に緊張と悪寒が走る。これは梶火の麾下達も同様にだった。ここまであからさまに虐烈ぎゃくれつな感情を梶火が見せた事は、未だかつてなかったのである。

 梶火は「はっ」と吐き捨てるような嗤いをこぼした。

「これが白浪はくろうの正式な返答って訳か? 本当に、そう解釈していいんだな?」

「梶紫炎、殿?」



「こいつは誰だ?」



 ざっと音を立てて、間の両脇に並ぶ兵が一斉に槍を梶火達に向けて構える。騎久瑠達が梶火を背にして一斉に臨戦態勢を取る。


 途端、玉座の前から「ああああ!」と頓狂とんきょうな声が上がった。


「だから! だから僕厭だって言ったんだよぉ‼」

 肩からまとわされていた赤い衣と長い白髪を引き剥がすと、男と思しき姮娥こうがの者はそれを玉座に叩き付けた。つまりこの白髪はかつらだ。その下から現れた髪は白黒のまだらだった。


「僕みたいな地味な奴に公の影武者なんかつとまる訳ないでしょ⁉ そりゃ見破られますよ決まってるでしょ⁉ こんな事やらされるくらいだったら撤回なんか受け入れないで、大人しく何日でも蟄居ちっきょもうしつけされてたよ! ごめんなさい二度とあんな愚かしい真似はしませんから‼」


 頭を掻き毟りながら叫ぶ男に、「ふぅ」と盛大な溜息が零された。男と共に入室してきた、美髯びぜんたくわえた老爺ろうやである。梶火に向け膝を折り拱手した。それに合わせて、壇上で叫んだ男も段を小走りにくだると老爺の隣に膝を折って、こちらは梶火に向け叩頭こうとうした。


「皆、控えなさい」


 老爺の言葉に兵が一斉に構えを解く。

「否。大変失礼を致した。――何処いずこかで公の御姿をご存知頂いていたのだろうか」

 梶火が答えずにいると、老爺は一つ溜息を吐いて「うむ」と一人首肯した。

「これなるは白公の麾下の一人である沖ノおきの滔瀧とうたつと申します。小職しょうしょくさん。重ねて非礼を陳謝ちんしゃ申し上げる」

 馬燦も続けて叩頭するので、梶火は小さく吐息を漏らした。ゆっくりと立ち上がる。


「顔を上げてくれ。あるじを危険にさらすまいとするその意図はめる。これまでの貴殿方が味わった艱難かんなん辛苦しんくを思えば無理からぬ対応だろう。――が、こちらは争いに来た訳ではない。無論交渉事は皆無だなどとなまぬるい事をいう気もさらさらない。そちらも悠長な事を言っていられる事態ではない事は先刻承知だ。まずは公との率直な対話を求める。それでたもとを分かつというならばこちらは独自の線を行くまでだ」


 あまりに直截過ぎる物言いに、一瞬馬燦は面食らったが、その腹に一物も隠さぬ、からりとした口調に、ああ成程と感じた。これはただの武に秀でた支配者ではない。これは人心に添い、人心を掴むに長けた統率者なのだ、と。

 刹那、馬燦とぎょぼうの視線が合った。両者相互に、在りし日の白瓊環はくけいかんを思い起こしていた事を悟る。麾下の信と忠誠を集めて止まなかったあの性情に、この青年はどこかしら似ていた。

 梶火はそこでようやく微かに表情をゆるめた。

「麾下もこれで全員という訳ではないだろう」

 想淑そうしゅくが思わず息を呑む。怒気こそ失せていたが、らしようのない真っ直ぐな視線が彼女の目を射た。



おすくに四方津よもつ悟堂ごどうを出せ。話はそれからだ。もう偽物と茶番はいらん」



 梶火が言い放つや否や、背後からばんと大きな音がした。振り返れば大扉が開け放たれ、そこから三人の人影が入って来る。

 梶火の眉間が険しくなる。

 三者は皆姮娥こうがの民であった。麾下と思しき雄性ゆうせい二名がその左右を護る。紅炎こうえん青炎せいえんごとくよく似ているが、彼等のような双子といった空気感はない。一方は長髪。もう一方は短髪で、よく見ればその双眸そうぼうは黒く、左腰に一振りの剣をいていた。

 問題は、その中央を歩む人影だった。

 結いもせず、背後に流したまま腰に至る長さの白髪。そして青みがかった白眼。壇上に用意された影武者などより余程小柄な体格。鋭い射るような眼差しに、隠す事無くさらされた左耳と、それに付着した飾りという訳ではなさそうな赤い勾玉まがたま正絹しょうけんと思しき赤い上衣の表には、鮮やかな金糸の刺繍が散りばめられ、それを腰部の革帯で締めていた。

 明らかに肉感的な、想定の埒外の凹凸ある肢体に、梶火は思わずあんぐりと口を開いた。それでも――確かにその面立ちには見覚えがあった。



「おま――嘘だろ……これじゃ貧弱野郎って面罵めんばできねぇだろが」



 次の瞬間、ぴくりと片眉を上げたその人物が――弾かれたように駆け出した。

 眼を見張った梶火の眼の前から、白い影がそちらへ向けて凄まじい速度で飛び出した。まずい! と思った次の瞬間、駆ける赤と白の両者は互いに目もくれず高速ですれ違った。

 場にりんした全員が呆気に取られている隙に、赤い衣をなびかせて駆けた影が、全員の静止を搔い潜り、梶火の頭上に飛ぶとかかとを振り上げた。


 ガン! と激しい蹴打音が室内に響く。


 それは、振り下ろされたかかとを、梶火の左手の籠手こてが受けた音だった。

 しかし、その一打以上の物は続かなかった。一触即発の空気が流れたが、両者それ以上身動みじろぎもしない。

 ただ、ぎらぎらと鋭い眼差しで不敵な笑みを浮かべながら互いに睨み合っている。

 口火を切ったのは――おすくにの方だった。かかとは梶火の頭上に振り上げられたままである。


「随分と出世したみたいだな、梶火。臨赤の猊下だ? まさかお前がそれだとは想像もしなかったよ」

「そのお言葉、そっくりそのまま返してやるよ殿下様。偉っそうに赤い衣でふんぞり返りやがって。ちっとも似合ってねぇってんだ。つかお前こそ完全に雌性しせい化してんじゃねぇか。遠目だったら絶対お前だってわかんねぇよ。それになんだその髪は。ちゃらちゃら流しっぱなしでみっともねぇ。せめてもとどりぐらいえや。仮にも接見の場だぞここ」

「元気がありあまってるみたいで結構だ。ぺらぺらと無意味によく回る口だな⁉ なんなら無抵抗でいしつぶてを喰らったあの頃のお返しを今からやらせていただいても構わないんだぞ⁉」

「そりゃ残念だったな! 不死石しなずのいしを取り除いて師範以上の膂力りょりょくを手にした俺に、お前みたいなひょろっひょろがかなう訳ねぇんだわ! つか別にこっちばっかり一方的にやられてたわけじゃねぇだろが。お前に付けられた脚の傷まだ残ってんだぞ⁉」


 ぎりぎりと言葉と顔だけはいがみ合っているが、そこに殺気怒気と言ったものは見当たらない。両者明らかに想定外の再会となった事に戸惑っているのを隠すための舌戦だった。

 紅炎こうえんが眉間を険しくして小首を傾げつつ、両者の隣にかがみこんで下から見上げた。

「――ねえ、あんた達、仲良いの? 悪いの? どっち?」



「「良い訳ないだろうが!」」



 声を完璧にそろえて叫んだ二人に紅炎はき出した。

 ――しかし、実際のところ、状況はそれどころではなかったのである。




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