79 客観的に見れば胡散臭すぎる


          *


 かじらの道中は順調すぎる程順調に進み、総計三十日はかかると見込まれたものが無月なづきの内にそうかいへと至った。この道中に恐らく素戔嗚すさのおの関与があっただろう事を含み置いても、矢張り容易過ぎる道のりだったと言ってよかった。

 が、それよりも何よりも、この旅団に妣國ははのくにの血を引く者達が多数いた事が大きかった。

 まず、彼等の大半が目覚めの影響をくぐったものである。それ即ち八咫やあたの血肉を補食した者である事を意味した。それが直接間接を問わずとも有効であるらしい事は、既にずいくうと考察した通りである。

 目覚めの影響により暴走した数多あまたの妣國の民が、補食目的に襲い掛かってきた。しかし、最終的にほふられるまでには至らなかった。幾ばくかの血肉は確かに奪われたが、その捕食によって、彼等もまた安定化を見せたのである。八咫やあたいんする血肉を摂取した結果、本能の暴走は収まり、彼等は理性を取り戻した。果ては道中の協力まで申し出てくれたのである。その様子を目の当たりにし、梶火も騎久瑠も言葉を失った。


 何がどう作用するかは、本当にさいの目が出てからでなければ分からないのだ。


 まず、しょくめいの砦に到達するまでにかかった日数が短く済んだ。目算では十日は掛かると思われたが、その半分である五日で事足りた。臨赤りんしゃく先遣隊せんけんたい、つまり紅炎こうえんが五千の兵と共に駐屯する事が容易たやすい程の規模がしょくめいの砦にはある。実際にこの砦を目の当たりにして第一に思うのは、これが難海なんかい城から最短五日の距離にあるという事実だった。そのあまりの近さに、肝が冷える。


 触明で紅炎と再会を果たした騎久瑠きくるは、珍しくその肩に額を預けていた。紅炎も黙ってその肩を抱く。しかしそれも一瞬で納め、全隊は合流すると白浪の兵の案内でそうかいへと隊を進めた。


 行程が進む度に、すいの表情は険しくなり、儀傅ぎふは神経をすり減らしていた。その怒りが手に取る様に分かったからである。

 梶火は日に一度、使役しえきを使って姮娥こうがに残った麾下きかに状況を伝える文を送った。本来は妣國ははのくにの血を引かない梶火に使役鬼は見えず使えない。しかし、見る事はあたわないが使う事は出来るようになると言う禁じ手がある。――即ち、補食によりその能を得るのだ。

 提案されたのは臨赤に加わってから間もなくの頃だった。

 騎久瑠きくる紅炎こうえん青炎せいえんいずれかをと言われたので、紅炎に頼んだ。「やっぱりお前もみさおてか」と騎久瑠には笑われたが、気がとがめるのは仕方がない。それに操云々ではなく、紅炎の静かな眼差しが重かったからだ。当時は忠誠心からかとも思ったが、何のことはない、ただのしんだった。

 直接その肉にかじりつくというのはやはりどうしても抵抗があったので、わずかな血液を皿にってもらった。それは五邑の血腥ちなまぐささとは質が違った。ふわりと脳がれるような、甘い花の香りがした。躊躇ためらわず飲み干すと、背筋に電流のようなものが走り、次いでそれは左手の先へと伝わった。慌てて目を向けたが、見た限り異変はない。しかし紅炎は「よし、いたな」と笑った。「神域眼」で見れば入れずみのような独特な文様もんようが手の甲に浮いて見えるらしい。これを使役鬼は目印とするのだという。あとは使い方を教わり、意志次第で文を飛ばせる。

 初期の頃、読み書きが不得手であった事と、梶火が不在時にえいしゅうの側へと連絡が出来る手段が欲しかったために、南辰なんしんにも同じく紅炎の血を飲ませた。あちらは若干嘔吐えずきながら泣いていた。申し訳ない事をしたと思っている。

 しかしこれも永久ののうではない。定期的に血肉を補充する必要がある。梶火が文字を覚えて以降は南辰に血液の補充をしていないので、今はもう瀛洲とやり取りはできない。

 単に南辰が嫌がるからというだけではなく、使役鬼を使えば足が付きやすくなるという側面もあった。この移動を見抜く能がある者も妣國の民の内にはいるからだ。

 しかし今は非常時。代表としてはんに文を送り、あちらで共有させる形をとった。

 そうかいという場所は、伊弉冉いざなみ素戔嗚すさのおがいる妣國の本拠地であると聞いていたが、梶火には何もない荒野に見えた。これが騎久瑠達の目にはやや違って映るらしい。彼女等も妣國の血を半分しか受け継いでいないので、正確に視認できている訳ではないらしいのだが、どうやらそこにはあらゆる色彩の集合体がうごめいて見えるそうだ。つまり妣國の民と言えど、その種は単純ではないと言う事だった。薜茘へいれいのように生身の肉体を持つ者もあれば、桑海の民のような高位霊体――即ち神に類する「識」のみで存在する民もある。

 だから、その先に堅牢けんろうな石造りの城が確かに目に見えた時、梶火は心の底から安堵した。やはり視認出来る事への信頼性は高い。


 そして、その城の前に立ち、臨赤を出迎えたのは、明らかに姮娥こうがと思しき外観をした生身の女性だった。


 隊は城外に待機させ、騎久瑠、紅炎、翠雨、儀傅の四人だけを共に着けた。馬を降りて徒歩でその前に向かうと、女は一瞬不思議そうな顔をしたが、直ぐにそれを引いてすきの無い拱手きょうしゅをして見せた。


「臨赤の皆々様に置かれましては、御無事の到着、慶賀けいがえませぬ。また臨赤御宗主様に置かれましては、遠路を直接お運びいただき、心より奉謝ほうしゃ申し上げます。白公麾下、えん想淑そうしゅくと申す」


 梶火以下同様に礼を取る。言葉を発したのは梶火の隣に立つ騎久瑠だった。


「お言葉痛み入る。臨赤宗主、梶紫炎びしえん猊下であらせられる」


 梶火は、目の前の女をじっと見つめた。

 えん想淑そうしゅく、という女は、視線を直接梶火にぶつけるような非礼はせず、やや下に逃がしているのだが、どうにもその目が気になる。ふと思い至って、思わず梶火は声を上げた。


「――あ、俺か」


 びくりと全員が顔を梶火に向ける。それは想淑そうしゅくも同様だった。


「否、すまん。あんた多分俺が思っていた臨赤の首魁と違ったから戸惑っているんだろう」


 あまりに体裁ていさいを無視した直球の物言いに、「ふっ」と想淑そうしゅくき出した。今度は梶火以外の皆が想淑そうしゅくへと顔を向ける。想淑そうしゅくの後ろについていた彼女の麾下らが今度はあたふたと落ち着かなくなる。それもそのはず、想淑そうしゅくは一旦笑いが出ると止まらなくなる質なのだ。ふくふくと、顔をそむけつつ背中をやや丸めて笑っていたが、なんとかそれをしずめて此方こちらへ向き直った。ひとつ笑いを挟んだことがよかったか、その表情から角は取れている。何とか笑いをこらえようと口元を拳で隠しながら、それでも想淑そうしゅくはまだ若干じゃっかん笑っていた。


「失礼。おっしゃる通り、事前にうかがっていた印象とあまりに違ったものですから、つい」

「さあて、これはどう思われていたのやら」

 苦笑する梶火に、想淑そうしゅくは再び笑みをこぼした。

「お優しくも民草に寄り添い、衣食の不遇を見返りなく助ける割りに、五百万もの大兵団をたばねる突出した剛の者。――それが、こんなに若々しい方だなんて思いもしませんでしたよ」


 梶火が「はっ」と軽快に笑い飛ばした。


「成程な。客観的に見ればもっともだ。それは胡散臭うさんくさすぎる。もっと老獪ろうかいじじいだと思われていたという訳だな?」

「はい」


 そこで想淑そうしゅくようやく姿勢を正した。

「公が謁見の間で皆様をお待ち致しております。隊の皆様には待機命令を」

「大丈夫だ。言わなくともあいつらは自分の頭で考えられるから」

 想淑そうしゅくは満足そうにうなずいた。

「それは重畳ちょうじょう。御到着早々申し訳ございませんが、少々急がせていただきたい。早速ですが参りましょう」

「うむ。こちらとしても話が早くて助かる。臨赤としては、白浪に助力の申し出を受けて頂きたい以上の事はないからな」


 にこやかに語る梶火の内心には、無論、これから再会するであろう二人の知己ちきの事がある。その果てしない重苦しさに我知らず拳をきつく握りしめていた。




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