66 違い



 間髪入れぬずいくうの断言に、かじの背筋がぞくりとした。

化物けもの、か」

 「うん」と薄く咳払いしながら、隋空は自身の口の手巾しゅきんで拭いなおし、臥床がしょうそでにゆっくりと腕を預ける。

「僕の知る限り、五邑ごゆうの血を引く者の中で、この時世に勢いを増し、その地位を確立した人間が二人いる。一人が鸞成皃らんせいぼう。そしてもう一人が君だ」

 梶火は余計な謙遜けんそんはさむことなく、黙ってその評価を聞き入れた。

「君の場合、それが八年前のえいしゅうの火災にたんを発している事は、言うまでもないね」

「ああ、そうだな」

「鸞成皃とは、これまでに二度接見した。あれは実直で闊達かったつな人間だ。人当たりもよく公明正大だ。麾下きかに恵まれ、かつ慕われる。態度が明るいからね。人から好かれやすいんだよ。この辺りは君もよく似通っていると思う」

「――ありがたいと、そう思っているよ、心から」

 『真名まな』の『発露はつろ』は、熊掌ゆうひ伝いに梶火をひどむしばんだ。結果、熊掌に働いた暴行が現状の自分達の断絶に繋がっている。自業自得と言われればその通りだが、死屍しし散華さんげの因果もまた否定できるものではない。何故ならそれに害された結果人生を持ち崩した人間は自分一人だけではないからだ。あれは確かに人間に影響した。それも多くは善くはない方向で。

 しかし、それも結局は自らの手で終わらせてしまった事である。その悔恨を忘れたくて、為すべきに没頭した側面は否めない。神州しんしゅうの開拓に着手し、兵站へいたんを確保した。次いで解毒薬を水源にそそいで姮娥こうがが害されない水を手に入れた。これは結果的に梶火自身の身をむしばんでいた死屍しし散華さんげもまた解毒する事となったのである。始まりは耐えがたい苦しさから目を逸らす為だったが、他者の為に尽くした事で、それは自身の利となってこの身に返った。この経験にどれ程救われたか知れない。自分がその性質を評価されるのだとしたら、そもそもは彼を異物として排除せず、受け入れてくれた騎久瑠きくる達にある。

 と隋空がせ始めた。厭な音が混じる。梶火は立ち上がり、手拭いを差し出しながら隋空の背をさすった。隋空は、梶火の手拭いはしながら、膝の上に落としていた自らの手巾をふるえる指先で手繰たぐる様につかみ、それを口に当てた。しかし間に合わず掌と髭鬚ししゅを血で汚す。痛ましい光景に、梶火は胸を痛めた。

「――すまない。ありがとうね」

 梶火が横に首を振ると、隋空は「ふふ」と笑った。

「ねえ梶紫炎」

「なんだ、水か」

「いや、ありがとう。そうでなくね……君と鸞成皃らんせいぼう如何いかに異なっているかについて語ろうとしていたんだよ」

「……違い、か」

 「うん」と隋空は首肯する。

「君はえいしゅうを出て、我等姮娥こうがの世に触れた。君からすれば全くの異文化であり生活習慣だったろう。しかし君はこれに馴染なじむよう努めてくれた。理解し寄り添う道を選んだ。五邑ごゆう故か客観性は高いけれど、えいしゅうゆえに協調性も高い。そして、全体と民に対して、最終的には同情を寄せてくれる。君はね、人心に寄りそう事が基本姿勢としてあるんだ。僕は、君のそういう部分を美徳だと思っているし、臨赤の長として相応しいと感じている。だからあーきんを預けていても不安がない」

 ごほり、ともう一つ咳払いをした。隋空の目が鋭さを増す。


「――しかし鸞成皃らんせいぼうはそうではない。あの男はね、目的達成の為ならば、ありとあらゆるものを切り捨てる事ができる。しかも、これまでと全く変わらぬ態度と精神でだ。つまりあれは、人と笑顔で語らう事と、州を一つ沈める事を同じ精神で行えるんだよ。実際、彼は華州かしゅうを沈めた。そして月如げつじょえんですらその経緯に口をはさめなかった。――論にも理にも赤玉のとして破綻がなかったからだ」


 隋空の手の中で、手巾が握り潰される。

「――あれは君とは違って、手段を選ばない。あれが世に名をあらわした経緯を知っているだろう?」

 梶火は、歯噛みして首肯した。

瓊高臼にこううすせんざんが衝突した際、自らが禁軍へと這い上がるために、その戦績として、にえの候補者であり、かつ指揮官でもあった徐寝棲じょしんせいの首を獲って如艶に献上した」

 隋空は眉間に皺を寄せながら「うん」と頷いた。

「この時、仙山は二万あった兵を一万五千以下にまで減じている。その大半を失わせたさくろうしたのが他でもない鸞成皃だね」

 ぐ、と梶火は歯噛みした。改めて聞くと、その重さが肌と神経を逆なでにする。

 隋空の目が、じっと虚空を見つめる。

「鸞が仙山と結んでいた事を知った上で、やらせたげっとうも狂気の者だが、それと知った上で月桃と手を組み続ける鸞も十二分に狂気であり同罪だ。僕はそう思う。はじめから鸞がそんな人物であったとは思っていないよ。しかし結果的にこの道を選んだ彼を、僕は無条件に信任するとは言えない。なにせ、僕の勘が彼を警戒してやまない」

「――勘に頼って生きてきた。騎久瑠にも、よくそう言って聞かせてきたらしいな」

 梶火は、頭をざりと撫で上げると、深い溜息を吐いた。

「――わかるよ。事実、鸞成皃の率いる禁軍はべらぼうに強い。あれが率いる麾下が強いのか、指揮を執る奴が有能なのかは知らんがな」

 ふう、と閉ざしていた瞼を開く。



「やつが華州かしゅうを丸ごと沈めた時に、臨赤も随分とやられた。――血気にはやった臨赤うちの連中がまずかったのは承知の上だ。こちらから禁軍に手を出した。やってはならんことだった。完全に俺の手落ちだ」



「阿琴も、そう言っていたよ」

 梶火は難しい顔をした。きびすを返すと、椅子に再び座す。

「あの隊は精鋭ぞろいだったんだ。だが、禁軍には散華さんげとうがあるからな。混血達とは言えひとまりもなかった。臨赤は、あれで五十万の兵を喪った。数で言えば仙山の比じゃねぇ。……高臼こううすにいた頃の奴は黄師こうしの所属だったからな、散華刀の手持ちは少なかったろうさ。だから仙山は五千で済んだとも言える。それが月桃の推挙を経て禁軍入りした挙句に大将軍にまで上り詰めた。沙璋璞を排した今、死屍散華をもちいた武器は全て奴の掌握下に入ったと言っても過言じゃねえ。あいつは、着実に姮娥こうがの武を握る道を選んで進んできたんだ」

 苦い嗤いが口中に広がる。

白浪はくろうが鸞を警戒するのは当然だ。皇として迎え入れたいと言われても、傀儡かいらいとするとしか聞こえねぇわ。なんせ実権と軍力は全て奴の手の中だ」

 沈黙が室内に満ちた。


 天の座が変わる。それはもう間違いないことだ。しかし、はく皇を討ち簒奪さんだつを果たしたじょえんを討った鸞が、果たして正道かと言われれば、その確証はない。鸞についた兵の思惑おもわくすら危うい。如艶の時代にみ疲れた隙を鸞にかれたと言えば、正しくその通りなのだ。


「なあ、隋空。俺にも無論打算はあるさ。でもな、あんたの言う通りだ。俺は、もうこれ以上民や仲間をうしないたくねぇ。八年前に、痛感したんだよ。俺は――零れ落ちるように人間が死んでいくのを目の当たりにして平気でいられるような、そんな人生は送ってきちゃいねぇんだ。俺は、ちゃんと養い親にそう育ててもらった。あの爺は、火災を起こした罪人の身内だからって理由で邑人に暴行されてた娘を庇って、その怪我が元で死んだんだ。あんな人間に育てられて、馬鹿のままではいられなかったんだよ。――分かるだろう」

「ああ」

 隋空は僅かに吐息を漏らした。

「僕達には長らく、結局は死なぬという自負と思い込みがあった。僕らの命をる事ができるのは瓊高臼にこううす天之あめの尾羽おはばりに限られる。そして純潔でなくなればもう命と体は獲られない。そういう油断があったからこそ、ここまで悠長に事を静観してしまったんだ。古くから三交を早めに定めるを良しとする向きはあったけれど、今となれば、それが赤玉信仰――瓊高臼にこううすの策略か何かだったのかもと、ちょっと邪推したりもするよ」

 隋空はそこで一呼吸置いてから「だけれどね」と続けた。

「それが、白玉はくぎょく死屍しし散華さんげを持ち込まれた事で全ての前提は瓦解した。その登場以来、交を持とうとする向きは決定的に薄れた。君の言う通り、これに対する危機意識として、人心は更なる革命を求めたのだろう。その時、本当ならばその座に置く事で一番きれいに話がまとまるはずだったのは白の遺児だったんだ。だが実際には鸞がいる。間に異分子が挟まった、というのが僕の感想としては一番近い」

「ああ。正しくその通りだ。八年前に決起した時に、白浪はくろう自ら食国を擁立してさっさと朝廷に弓引いてりゃ良かったんだ。本来ならな」

 梶火は苦い顔をして溜息を吐いた。

「恐らくだが、おすくにの野郎がそれを承服しなかったんだと思う。ありゃどう考えても無理矢理八咫やあたと引き離されたはずだ。ぐずりやがったんだ。それで、その隙に八咫が仙山を使って動いた。食国の野郎を取り返そうとな。結果それは双方にとって裏目に出た」

 隋空は微かに俯くと、口元を拭った。

「その後も、やはり発覚した事実がまずかったのだろうね」

 梶火は無言で再び背中を丸めた。

「民意を得るには、これ以上にその擁立を妨害するものはない」

 隋空の目が、じっと床をにらんだ。


「――素戔嗚すさのおの血は、どうしても、まずいものなのだよ」





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