65 化物



 危坐きざ州は国境に接した極東に位置する。更にその州城である難海なんかい城は州内でも最東端の破海はかい県に位置した。えいしゅう有する鬼射きいる県が危坐の最西端に位置し東に海をのぞむのに対し、こちらは西の海にのぞむ。

 国境に接するとあって、城の守りはかたい。岩山がんざん多くそびえる危坐東部は風光明媚で知られ、また硬く重い石が多く産出された。その大岩を切り出して組んだ石の城である。更には千里の長城を築き、それを用いて妣國ははのくによりの侵入に備えた。恐らくは氷珀ひょうはくに勝るとも劣らぬ、国内有数の堅牢を誇る。更には長城の東側は切り立った絶壁の崖となっている。天馬を使えばこれも容易に越えられてしまうが、それ以外の騎兵歩兵の対策としては極めて有用。かつての侵攻時には兵力の分散に大いに役立ち、白の臣民の命を多く救った。

 かじ達は城の手前で滑空し、地に降りた。

 馬から降りると、すぐさま馬番がこれを引き取りに来た。馬の首を叩き労をねぎらっていると、あか褐色かっしょくの髪の主が近付いてきた。


「遅かったな」

「悪い」


 梶火はかすかに口元を笑ませて顔を向けた。騎久瑠きくるである。

「騎久瑠様。儀傅ぎふ、並びにおうすいまかりこしました」

 声を発したのは儀傅。拱手は両者がそろってした。騎久瑠も同様に礼を取る。

「お疲れ様です。しぃしぃは無事にしん州に着いたみたいだな。さっきこちらにも使役鬼がきたよ」

 その言葉に、両親は顔を見合わせ安堵の表情を浮かべる。そんな彼等を見て梶火もまた相好そうごうを崩した。

「そうか。翠雨、良かったな」

「はい」

 翠雨が微笑んでうなずいた。騎乗していたこちらは、まだその報を受けていなかったのである。間もなく時間差で直接の報せも到着するだろう。

 騎久瑠が視線を梶火へ向ける。

紫炎しえん、どうする。このままずいくうの所へ行くか」

「ああ――いや、隊の休息の手筈を確認してから」

「それも済ませてある。そういう煩雑な事はこちらに任せろと言ってるだろうが。お前の脳はもっと別の事に注力しろ」

 苦い顔をした騎久瑠に、梶火は苦笑しながら再び「悪い」と口にした。未だに騎久瑠とは、役割と立場が逆転する以前の癖が抜けない。


 儀傅、翠雨とはそこで別れ、梶火は騎久瑠と共に難海城に入った。ここに来るのは二年ぶりの事になる。歩を進めるにつけ、行き合う兵や城の者が拱手しまたは平伏するのは、何も騎久瑠がいるせいばかりではない。はるか以前から難海において梶火の扱いはえいしゅう五邑ごゆうではなく、州長が一子蕭瑠しょうりゅうきんの朋友だったわけだが、それもじょえんの廃位にともない、難海城内においては臨赤りんしゃくの長としての肩書が公となった。現在の身分しんぶんまごう方なき賓客である。

 はじめ、謁見の間に通される事を想定していた梶火は、騎久瑠がその伺候席しこうせきであるぎん書院しょいんを素通りした時に、おやと片眉を上げた。それに気付いた騎久瑠が歩みは止めずに僅か視線を梶火に送った。

「すまんな。まだ多少取り込んでいるらしい。私室に案内するように言われている」

「いいのか」

「問題ない」

 私室は城の最奥にある、いわば州長家族の為の空間である。騎久瑠は口元を歪めるようにして笑った。

「というか、まだ完全には、臨赤にくみするとおおやけにできんのさ。あんたが鸞成皃らんせいぼうと白の遺児に完全にくみしていると発布が出るまではな」

「成程」

「ああ見えて一応は州を背負っている自覚と自負はあったらしい。非礼を詫びる。ヤツが退路を護る事を許してやって欲しい」

 珍しく娘としての立場で物を言う騎久瑠に、梶火は笑いを噛み殺しながら「ああ」とそれを受け入れた。

 間もなく二人はずいくうの私室に至った。騎久瑠が叩扉して到着を告げると、「どうぞ、はいって」と例のやわらかな声が通った。

 入室すると、ずいくう臥床がしょうに軽くもたれていた。やはり、心なし顔色が悪い。


「久方ぶりだね、紫炎しえん

 

 梶火は無言で蕭隋空に拱手した。

「無沙汰をした。随分手を貸してもらったようで。感謝する」

 隋空は「うん」と頷きながら微笑んではいたが、彼らしくもなく厳しいものをその表情にまとっていた。

 そこで、ついとしょうずいくうは顔を騎久瑠に向け、にこりと笑った。

「阿琴。媽媽ままの様子を見てきてくれるかい?」

 隋空の言葉に一瞬騎久瑠は不快に眉根を寄せたが、これはつまり退出をうながしている。さすがに梶火が現在の立場に身を置いた事を了承している隋空が、この後に及んでこう言った公私を分けぬを良しとする人物ではない事を梶火は把握している。つまり、わざとだ。それは騎久瑠も分かっている。首肯すると一人退出していった。

 梶火は進められた椅子に座すと、改めて隋空の顔を見た。

「体調はどうだ」

「どうにもこうにも、ここのところの状況変化もあってね。なかなか一息く間もないよ」

 苦笑する隋空が数回咳き込んだ。「いや失礼」と口元を覆った手巾しゅきんに血痰が混じっていた事を梶火は見逃さなかった。死屍散華の影響だ。

 長鳴ながなきの解毒薬があるとはいえ、それも満足に行き渡っているわけではない。それもよく効く者とそうでない者とがある。隋空と奥方には、残念ながら覿面てきめんにとは行かなかった。騎久瑠が細君の下へ促されたのはそういう理由でもある。生粋の妣國の民かと思われた奥方には、そもそも薄く夜見の血が混じっていたらしい。

「もう少し持ちこたえてくれ。弟が更に効くものがないか研究と調合を進めているから」

「ありがとうね。でも、大丈夫だよ」

「何言ってんだ。まだまだあんたには長く生きて働いてもらわなきゃならねぇんだよ。臨赤りんしゃくの貴重な後ろ盾だからな」

「君は真っ正直でいいな。君があーきんの交になってくれればよかったのだけど」

 梶火は苦笑した。

「それ、絶対あいつの前で言うなよ? 今度こそ本当に帰ってこなくなるぞ」

紅炎こうえんを連れて、かい?」

 梶火は思わずまばたきをした。

「あんた、気付いてたんか」

「まあ、それなりに長年親と州長なんてものをやっているからね」

 隋空は、手巾をその手に握りしめたままだ。それ程咳き込みが頻繁ひんぱんなのだろう。

「辛くなったら言えよ。出立は明日の予定なんだ。多少なら時間の融通も利く」

「ああ――ありがとうね」

 手巾を認めた梶火に気付いたらしい。隋空は苦笑しながらそれを懐に納めた。

「馬鹿な配下と娘を祝福するには、まだ時期が悪い。僕が見届けられなければ、君に後を委ねたい」

「それこそ馬鹿言うな、絶対俺の方が先に死ぬぞ。五邑ごゆうの寿命考えろ。なんならどっちが先か賭けるか?」

 にやりと笑ってみせた梶火に、隋空も力なくではあったが、楽し気に笑った。

「――さて、ではそろそろ本題にはいろうか。僕に何を聞きたいんだい? 紫炎しえん

 隋空の表情は、気負いはなけれど、じっと梶火の内面を見据えていた。これが騎久瑠の言う、抜け目がない策士というこの男の本質なのだろう。梶火は椅子の上で背を丸めた。膝の上で手を組む。


「あんたは、鸞成皃らんせいぼうについて、どう見る」


 隋空はおもしろそうに笑うと、傍らにおいていた杯から水を一口飲んだ。

帝壼宮ていこんきゅうからは、僕のほうにも報せが入っているよ。どうやら鸞成皃らんせいぼうは上手くやったみたいだね」

「ああ」

 梶火はふっと笑う。


はくおすくにに対し、次代の王として帝壼宮ていこんきゅうへ入ることを要請。その同意が取れ次第、大将軍は自らがまず帝位につき簒奪さんだつの汚名をこうむる。後に食国の入宮をもってして帝位禅譲ぜんじょう。――まったく、考えついても実行出来ねぇだろうが、こんな策は」


 隋空の目が薄く細められる。

「ねえ梶紫炎。彼は、本当に白の遺児を玉座に据えられると考えていると思うかい?」

「さあな。それは俺には分からん。実際に大将軍様と対面してお話しした訳じゃねぇからな。――だが、やる気で行動してきたのは間違いないだろうよ」

 「ふふ」と隋空は笑った。

「実に君らしい言い回しだね。さて、あの男について僕がどうみるかだが――」

 す、と細められた隋空の目は――刃物のように冷えていた。



「――あれは、化物けものだね」





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