64 本来であれば
「猊下」
隣を駆ける馬影から、
「
「すでに
「白浪までは、
「天候と、あとは
現在、騎久瑠は難海城に留まり、そこで臨赤の兵二万の師団と共に妣國へ向かう支度を済ませていた。神州で隊を整えた場合、この行路は長引く上に目立つ。国土の最東端にある難海城で隊を整えるのが最も人目に付かない。当然の配備である。
「先遣隊には、
翠雨の問いに、梶火の眉間が歪む。
「ああ。――民と行き会っている」
翠雨が僅かに息を止めた。
「無事到達できたのですよね」
梶火は僅か俯くと首を横に振った。
「百取られた。それで済んだと言うべきかもな」
現在、梶火の使いとして紅炎率いる五千の旅団が白浪との交渉に臨むべく
あやふやな状態で敵陣にならぬとも限らない白浪に
翠雨が厳しい声で「猊下」と今一度呼ばわった。
「今一度、猊下のお考えを
「ちょっと、翠雨」
声音の重さに、
「俺の考えか」
「はい。一時は六百万を数えた臨赤の兵も、
梶火はふ、と笑った。
「どうなさいました」
「いや、本当に頼もしい事だと思ってな」
翠雨の鋭い眼光に、往年の戦士の本質を見た気がした。梶火の見知る彼女は
翠雨はもうそこに養育者としての顔を
翠雨は微かに笑った。
「わたしは前線を離れて長いですからね。――
あえて白皇に下賜された
「分かっている。しかしくれぐれも
翠雨は「はい」と眉間に皺を寄せた。
「猊下のお心承知いたしました。それに沿うべく、わたしもなるべく無益に矛を振るわぬように善処致しましょう」
「――ありがたい」
梶火はその含みある言い回しに苦笑した。向こうでは儀傅が溜息を零している。
ややあって「それにしても……」と、翠雨が溜息を零した。
「白皇の真意を――「あれ」は間違いなく知っていたはず。それでどうして白玉などを呼び寄せて皇を討ち、あまつさえ易姓革命まで為す事ができたのか――停戦などと生温い事を」
その「あれ」、というのが
「猊下。わたしを妣國側へ連れ出して下さってありがとうございます。これが帝壼宮へ向かう隊などに加えられていたら、私は間違いなくあれの首を獲りに飛びましたでしょう」
梶火は苦笑した。
「――だからだよ」
本音を語らせた時のこの
これは、王雪厳も扱いに難渋したろうと梶火は小さく苦笑する。
翠雨が少将であった時分に、上官として
それが蓋を開けてみれば許し難き
最初にその事実が明らかとなった時、彼女が見せた荒れようは筆舌に尽くし難かった。歯を食いしばり、目を見張りながら赤玉廟を出ると、直ぐ近くにあった巨木を大矛で一瞬のうちに薙ぎ払った。両肩から立ち昇る憤怒を、荒い呼吸で必死に抑え込もうとしていた様が、未だ目に焼き付いている。
翠雨は、その外観に反して激烈苛烈な性状の人物だ。
そして、臨赤で梶火に引けを取らないほぼ唯一の強者でもある。あの
騎久瑠や紅炎の強さも間違いのないものだが、戦の経験と
「翠雨」
「はい」
「妣國側には、臨赤はそもそも妣國の民の血を引く者を多く抱える集であると伝えている。お前がこれに対しても本来複雑な感情を抱えていた事は理解しているつもりだ」
「――それに関しては、各自の事情がある事は理解しているつもりです。さすがにもう飲み込みましたよ、わたしも」
「ああ。ありがとう。今回の目的は、我々の側に妣國に対する害意はないという事を知らしめる事。並びに、白の遺児を抱える白浪に対しては、姮娥へ使者を送りこんだその本意を確認する事。加えて、現在この白の遺児に対して、鸞成皃が玉座を明け渡すべく入城を交渉してきているはずだが、これに対し
翠雨の眉間に深い皺が刻まれる。
「――素戔嗚の目的と対応は変わりませんか」
「のようだな。まあ、神の考える事はわからん。そもそも考えてすらいないのかも知れんがな」
ちっと翠雨が舌を打った。
「あの下衆め」
希希が傍にいないとあって、遠慮する事も
本来であれば、母体を担当するのは翠雨ではなく儀傅の予定だったと聞いている。翠雨が雄性二種で、儀傅が雌性二種。相互に交とする事は決めていたが、残りの一交が定まる前に、酒が過ぎて
弱き者を死なせぬために昼夜を問わず気が抜けぬのを五十年、正に地獄であろう。
一行はやがて海を抜けた。
臨赤は長く世に名を
もう、後には引けないのだ。
梶火ら一行は、一路危坐の
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