63 名を成す功より実を尊ぶ



 ――先月、熊掌ゆうひの見送りを受けてえいしゅうを出たかじを洞窟の先で待っていたのは儀傅ぎふ青炎せいえんだった。言葉も不要。視線を交わしうなずきあった後、三人はただちに用意されていた馬に乗り、一路、騎久瑠きくるの統括する領に向かった。

 移動にはしゅうで十日を要した。要所要所には臨赤りんしゃくの駅が配されており、馬を乗り換えつつ急いだ旅路である。その権を誇示するが如く大隊を率いるより、最低限の護衛と短距離ごとに兵を配する方法が最も内密かつ迅速に動ける。身を隠すにけ、迅速をとした臨赤りんしゃくが、取捨選択の末に整えてきた手法であった。これは、梶火が好んだ事でもある。無駄を嫌い、何より麾下きかの誰よりも己の剛に信がある梶火だ。それが疑うべくもない事実である事は臨赤にとっても変わらない。つまりは兵に守らせるより自身で隠れ走り戦った方が早いのだ。組織においてその長にまで上り詰めた者としては望ましからざる姿勢だろうが、現在は急を要する。


 要は、総意である。

 

 例の大市が開かれる谷間に入り、そのまませんせきぎょくびょうに梶火ら三人は駆け上がった。前庭に至り、手綱を引いて馬を止める。不服か、ぶるると鼻嵐が飛んだ。

 そこには既に大隊の兵が控えていた。この先は小規模の叛徒ほんとや、目覚めを受けて人肉を喰らうまでに凶暴化した妣國ははのくにの民が入り混じる。さすがに三人だけでの移動は許されない。これとごうして、その更に先を目指す。

 やはり、二、三の集と当たった。梶火が手を下すまでもなくこれは容易に破られる。戦闘の後はその場に兵の一部を残し、敵味方の別なくいためた者達の看護にあたらせる。話が通じず理性の消失した者以外はこうして対処してきた。五百の内、二百は看護兵だ。こうして臨赤は信徒を増やしてきた。否、増えたと言うべきか。

 大隊は、やがてしん州に至る。境を越える時に強烈な違和感があった。希希しぃしぃの囲いだ。まるで水中にぼっした程の圧力の違いがある。慣れるまでには多少時間が掛かるが、その内は間違いなくこの世の何処よりも安全だった。じょえんが成す囲いは、その通過時に羅布が肌を撫でた程度の違和があるに留まるが、それだけ希希の作り出す物が強いという事だ。これまでに五度張り直しをしている。その度に違和を減らしながら護りの強度を増してきた。希希しぃしぃは確実にその腕を上げている。

 神州に入り一昼夜をた後、渇いた平地の只中に、先のせきぎょく廟よりも格段に大きい廟が姿を現す。優に五倍の広さを誇るその廟の扉を潜ると、内には既に九人の将が各自の配下を連れて控えていた。梶火の姿を見るや全員が音も高らかに拱手をする。


「遅くなった」

 

 梶火の言葉に全員が顔を上げる。見慣れた麾下たちだ。夫々それぞれが各地において上部組織に属し、あるいは関与し、その内で権を握ってきた者達である。しょう軍の長官、もしくは州の学府の取りまとめ、そうでなければ県の長なども入り混じった面々だ。臨赤は、それらあらゆる団の肩に薄く重なる様にして領域や信徒を広げてきた。臨赤を象徴する薄緑色の肩掛け――今も麾下達は皆その肩にそれをまとっている――の如くに。


 最早名乗りを上げるまでもなく、臨赤は姮娥こうがの基盤と同化している。自らが姮娥そのものの在り方であるという自負すらある。


 帝壼宮ていこんきゅうで政変が起きるという噂はかねがね臨赤にも届いていた。

 白浪はくろうじょえんへ使者を送ろうとしているという報せを得たのと、らん大将軍による政変有り哉の報を得たのとが時期を同じくしていた為、すわ両陣営が既に繋がっており、これが内密に示し合わせて事をおこすものかともわれたが、どうやらそうではなかったらしい。


 偶然ではある。

 しかし偶発の目を見やすい谷間すきという物は、確かに存在するのだ。

 そしてらん白浪はくろうあやまたずその谷間を見出し、切り込んだ。

 と、言う事だろう。


 両陣営が機動に秀でるとするならば、臨赤りんしゃくのそれは護持の堅牢さにある。

 禁軍の内にも臨赤の者が三桁程いる。わざわざ間諜を放つまでもなく、禁軍の兵が臨赤に自ら加わりほうもたらすのだ。かくも赤玉とは有難いものかと梶火は内心わらう。赤玉信仰に馴染まぬ五邑ごゆうの身にしてみれば、信心がまつりごとの裏で背信の葛藤をおこす事無く蔓延はびこる恐ろしさを目の当たりにした八年だった。攻め入る事無く静かに密やかに根を張り、広がる。


 名を成すこうよりじつたっとぶ。それが臨赤だ。

 

 梶火はまず赤玉に参拝した。香を捧げて印を結んだ後、きびすを返して麾下に向かう。用意された上座の彼の椅子に座る事なく、立ったまま鋭い視線を向けた。


「報告を」

「は」


 眼鏡をかけた一人の麾下が、おだやかな表情で書類をめくりながら軽くこうべを垂れつつ前へ一歩出る。はんだ。梶火直属の麾下の内で最も小柄な人物だ。帝壼宮の城下で民の子等を対象に長く学堂を開いてきた。臨赤の中でも最も古株の部類に入る。情報の収集と管理にけた。


嵐大らんだい州、並びに湿しつかいの希望者はとどこおりなくしん州に入りました。現在はうん州との交渉が進んでおります。湿海以外の、他の西側の統治の及ばぬ領の集とも、間もなく話がまとまります。移動希望者は想定の範疇内に収まるかと」


 発せられたはんの声は、表情と相まって至極穏やかだ。

州は」

「念のため全域を当たらせました。隠れ住んでいた者が二百程。全て移動を希望したため、神州に移してあります」

「二百人も生き残っていたか……よく探してくれた」

 ゆっくりと首肯し、はんは微笑みながら元の場に下がった。梶火は視線をはんの右隣に立つ人物へ向ける。

「移動の護衛に要する兵は」

「万もあれば」

 緑色の目をした鎧姿の凛々しい偉丈夫が拱手しつつ答えた。きつ空諦くうたいだ。これも妣國との混血になる。動作も表情も視線も硬い。そしてその策は堅実である。配下からの信も厚い。辺境にいたのを青炎せいえんが拾った。故か、心なし似通う部分がある。

 梶火は首肯して見せてのち、空諦くうたいの対面で、頭を掻きつつ大欠伸をしている男へと目を向けた。

「東側は」

「ああ、はい。全て抜かりなく済んどります」

 こちらは朴訥ぼくとつとした語りが特徴の黎曜れいようだ。他の麾下に比べてやる気があるのかないのか。のらくらとした心象が強いが、中肉中背の外観に反して腕っぷしがやたらと強い。基本的にこれは配下もみな剛腕を誇るが、主がこうなので、そのぼろぼろと落とす抜かりを拾い上げるのが得手な者が数人控えて支えていた。梶火は寧ろこの人間味に溢れた麾下とその配下の集が好きだった。そして、素直で正直な性状であるためその報告に偽るところがなかった。抜かりがないというならばないのだ。

 他の者からも担当している地域の状況を聞き及ぶと、梶火は「わかった」と大きく頷いた。

 麾下の面々が梶火の下に付いてくれた理由も、梶火に望む事も夫々それぞれ異なっている。一部の者が梶火に対して、統治の覇を握ってくれる事を期待している事も承知の上だ。

 しかし梶火は、自身の役分が其処そこにない事をよく知っている。臨赤とは人心の拠り所として機能するものだ。それは統治に並走して人民生活の安心立命あんしんりつめいを支えるに徹するべきである。猊下などと称される者にまでなった以上、その本身を逸脱するのは梶火には承服しかねた。説得し切れているとは言い難い状態だが、事態はもうそれを待つ余裕がない。

 梶火は一堂に会した皆の顔を見まわすと、静かにこうべを垂れた。

「みんな、ほんとうに、ありがとう」

 ゆっくりと表を上げると、麾下達の視線が梶火を強く射抜いていた。梶火は微かに声を張った。


「これから臨赤は、この存在を表に出す。白浪との交渉次第で我々が何れの集とどれ程の強さで結ぶかは多少変わるかも知れんが、天が動いた事に変わりはない。月如げつじょえんの朝は、禁軍大将軍鸞成皃らんせいぼうの革命により既に幕を下ろした。世が動く時には戦と民の犠牲が付き物となる。我々臨赤は、国土の護持ごじと、その因るべき所に関わらず、なるべく多くの民を救う。これを最大の目的としてゆく。どうか、最後まで手を貸して下さい。宜しくお願いします」


 この会合を経たのち、梶火は百人隊と共にてい州のすい希希しぃしぃの下へ取って返した。本当ならばこの道中に拾ってくる予定だったが、希希が怪我人を拾った。これが眼を覚ましてからじゃないと動けないと希希がいうので、この手間をとる事となった。結果としてこの怪我人が水泥であったのだから、これもまた予測の付かない僥倖ぎょうこうだったと言えよう。


 ぎらりと再び海面が魚影にさざめく。

 また知らぬ間に俯いていたのだ。

 梶火は目頭を押さえると、今度は無意識にではなく、鋭い目で眼下を見下ろした。間もなく海を抜ける。この先、波海はかい県の難海なんかい城へ至るまでに十日を要する。

 己は結局、人と機会に恵まれたのだ。頼まずともこの道中には騎久瑠きくるが事前に用意してくれている中継地点がある。補給に難を感じる事のない旅というものがどれ程贅沢ぜいたくなのかを梶火は骨身に染みて知っている。

 報いてやらねばならない。

 素知らぬような顔をしているが、彼等がどれだけ苦渋を舐めてきたのか、今の自分はもう知っている。梶火としての自分はどうしても熊掌を、そして瀛洲を優先したいが、臨赤の長としての自分は、もう誰一人として無駄に死なせたくない。

 この八年、自分達が目指してきたものは、形になった。

 この眼で見ていないから実感はないが、それは熊掌達に確認させればいい。自分は、今自分が為さねばならない事に集中する。全てが成し遂げられれば、きっとそれは後に目にする事ができるだろう。



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