67 原因



 かじは大きく息を吸い込み、そして吐いた。

「ああ。白浪はくろうは動かなかったんじゃねぇ。動けなかったんだ。とにかく静観するしかなくなった。白皇はくこうの血を御旗みはたかかげるつもりが、その種を持っているのが宇迦之うかの一人では、この先おすくにの同胞が生まれても結局はそいつにも素戔嗚すさのおの血が引き継がれていることになる」

 ずいくうが首肯する。

「そうだよ。もう彼等は、方針を白玉はくぎょくの扱いにしぼるしかなかったんだ。恐らくは、白浪の諜報も生きていたんだよ。帝壼ていこんきゅう内のね。だから、ゆう方丈ほうじょう殲滅せんめつすべく動いている事は彼等にも把握できていた。故に保護と言うか、捕縛と言うか、捕らえていた四方津よもつ悟堂ごどうが目覚めた事を契機として月朝側に働きかけた。方丈の血を引くものを保護している、という駆け引きをもってね。だが、ときしく、らんが動いてしまった。革命が成り、結果、白浪が交渉すべき相手は宙に浮いてしまった」

「――鸞の奴は白玉はくぎょく継承を終結させると公言している。つまり白浪がとった交渉の手札はこれに反するというわけだ。宮中に送り込んだ使者であるすいれいの命の重みは逆に作用してしまう。鸞の対応次第では、場合によっては使者の命の保証もかなくなる」

「今臨赤りんしゃくは、ここをこうとしているわけだね」

 梶火は首肯した。

「そういうことだ。現在の白浪は再び身動きが取れない状態になった。幸か不幸か、食国おすくにを玉座にけようというのは禁軍、高臼こううす仙山せんざん、それから臨赤りんしゃく、無論白浪はくろうも、どの立場から見ても合致している見解だ。問題は、その本質を握れるのが誰か、ということだ」

 梶火は両の拳をぐっと握った。

「もはや重要なのは玉座そのものではなく、実質の天意を掌握できた者が誰か、だ。――覇者が誰となるのか、それを決められるのは、実際に動いた奴だけだ。天意は民意。民がこれを見誤れば、国は外から崩される。この隙を狙っているのが素戔嗚だ。一瞬の隙で全てが終わる。俺は人民の命を軽視しない者に覇権をゆだねたい。そして――」

 大きく息を吸い込み、吐いた。



「――俺個人としては、ただせいうしないたくない。そのために、打てる手は全て打ちたいんだ」



 隋空は、しぼり出すようなその言葉に、ふわりと微笑んだ。

「君の考えと意向はよく分かった。おおむね僕もそれに賛成だよ。危坐きざの州長として守るべき域を逸脱しない限りは君に手を貸す所存だ。阿琴の親としてもね。……さて、あとはなんだったかな、妣國ははのくにに関与する事で、確認しておきたい事があると使役鬼で知らせて来ていたよね」

 ずいくうはもぞりと姿勢を変えながらひとつように話題を変えた。深く言及はしないでおく、という意味だろう。温情をありがたく受け取る事とし、梶火は視線を隋空に改めて向けた。

「ああ。目覚めに関しての事だ」

「目覚め、妣國の」

「そうだ。あんたの奥方と騎久瑠、それに紅炎こうえん青炎せいえんが無事だった理由だ」

 隋空は、ゆっくりと数度首を縦に振った。

「そうだね。本当に、あれは助かったよ」

「あんたアレに何か心当たりがあるんだろう? 仙山せんざんにいた妣國の血を持つ連中は、共食いで多数命を落としたそうだが、あんたらはそうじゃなかった。臨赤の多くもこれをまぬかれた。その理由について、あんたなら検討がついてるんじゃないかと思ってな」

「そうだね。何から話そうかな……」

 しばし逡巡してから、梶火は口火を切った。



「俺は――八咫やあたが原因だったんじゃねぇかと思っているんだが」



 二人の視線がぶつかる。

 わずかな沈黙の後、姿勢を変えた梶火の背中で、ぎしりと椅子が音を立てた。


「――あれは、あまてらすなのだものね」


 隋空は「ふふ」と笑った。

「恐らく、それであっていると思うよ。妻と娘が助かったのは、摂取したのが天照の精気だったからだと僕は推察している」

「八咫の、って事だな?」

「そう。ねえ紫炎しえん。さっき君は、白の遺児の拒否と天照の挙兵が、白浪仙山の双方にとってよくなかったと言ったが、僕は感謝していたんだよ。阿琴たちはお陰で目覚めをまぬかれた」

 梶火は苦笑しながら、再び頭をざりと撫で上げる。

「そうだったな。まあ過去に対して、タラレバは言うべきじゃねぇな」

「そうだよ。ひどいと思われるかも知れないが、僕にとってあれは僥倖だったんだ」

 隋空は、ここにきてほんの少しだけ、やっと表情を悪戯いたずらなものにした。

「君も承知の事だろうけれど、妣國ははのくにの者の共食いというのは、全く珍しい話じゃあないんだ。だが、本来は命をるまでの事には至らない」

 梶火は首肯した。当然臨赤の内でも知られている事だ。

「相互に血肉をけずり譲り合い、命を共有する、というのがその本来のり方らしいな」

「うん。こちらや五邑ごゆうとはまた違い、彼等はその生命種を繁殖によってではなく、補食ほしょくによって混ぜて多様にしてゆく。あちらはそういう種なのだろうね。だから神を除けば基本的に妣國の民は繁殖では増えない。彼等は自然発生的に地から湧く。繁殖で増えるのは姮娥こうが五邑ごゆうと混血が為された場合だけだ」

「ああ」

仙鸞せんらんは――当時、仙山からは避けるようにと言われていたまつろわぬ民との接触を多く持ち、その助けを借りて白浪はくろうへ向かったそうだね。その返礼ではないが、とても多くの仲間に血肉や精気を分け与えてくれた。そしてこれは阿琴から聞いた事だが、彼の中には死屍しし散華さんげが存在せず、代わりに瓊瓊杵ににぎの力――破砕はさいだったかな、が発生していた、と」

「つまり、八咫の血肉を摂取した連中が、また誰かに血肉を譲り渡し、そうやって助かった奴等が増していった――ということか」

「僕はそう見ているよ。助かった者や持ち直した者達の発生した地域を調べさせたんだ。結果は僕の推論を肯定してくれた。仙鸞が動いた場所を中心として、それは波紋のように分布していた」

 隋空は、緩く握っていた両の掌をぱっと広げて見せた。短い指が表情豊かにその動作で妙を伝える。

「彼は、多くの民を巻き込み、自らのせいで失わせたと思っていたようだが、彼が動いた事でその命を救われた者の方が圧倒的に多かったんだよ。――それを知るよしはなかったのだろうけれどね」

禍福かふくあざなえる縄のごとし――か。ほんと、あいつらしいな」

 顔を見合わせて笑った後、梶火はそれを真顔に戻した。

「あいつは、瓊瓊ににの顕現としての格を失っていると聞いたが、力は奴の中に発生していた、と言う事だよな。これについて、あんたはどうみる?」

「うーん、正直難しいところだよね。僕の知見の範囲ではわからない」

「道を繋げたのはせいだ。八咫じゃない。青に破砕牙が現れる事は理解できるが、八咫に現れた理由が分からない。八咫には無理だったと青は瓊瓊杵に言われているんだ」

「種が焼け切れている、というあれだね。――うん。力が彼の内に発生した事に関しては何も言えないけれど、彼が格を失した理由ならば薄々検討はつく。僕の推察でよければ聞くかい?」

「頼む」

「彼は、天照の男児だね」

「ああ」

「片や、白の遺児は素戔嗚の直系だ。天照と素戔嗚は姉弟で、瓊瓊杵はこの両者の天孫に当たる。その種が重なった、という事が重く作用したんじゃないだろうかね」

「つまり」

「種が濃くなり過ぎた、ということだろうね。方丈ほうじょうに子が誕生しにくくなったのも血が重なり過ぎたせいだ。恐らくそのあたりと類似の現象なのだろう」

「結果、焼けた、と」

「近すぎる種同士で混じり合えば、子に受け継がれるものも重複してしまう。そうすれば子の命は生まれる前に壊れてしまうんだ。それは姮娥こうがでも同じだよ」

 梶火の眼裏に、遠い日の少年の彼等の姿がよぎる。もうそんな外見をとどめているわけではないだろうに、何時でも彼等について語る時は、八年前の姿しか現れない。当然のことなのだが、それが僅かに物悲しかった。光陰の流れる速さと重みが、両腕に圧し掛かるような気がした。

「梶紫炎。もしかしたら五邑にはわかりにくいかも知れないが、僕らにとって種に触れるというのは、正確には繁殖行為そのものを意味しないんだよ。妣國の民は補食によって種を混ぜる。姮娥の民は自身の肉体に保持している種石しゅせきを相手に移譲する」

 梶火は眼を見張り瞬いた。


「種石?」


 完全に初耳の事だった。

「そう、種石。つまり核だね。姮娥は繁殖行為によっても子は成されることがあるが、基本的にその確率があまりに低い。だから子を求める目的で行うのは、繁殖行為ではなく目合まぐわいだね。これは自身の胎から核を抜いて、母体の胎に納める事を意味する。これの置き場が『受け皿』だ。各人は核を一つしか持たない。一度他人に移譲した核はもう取り戻せないし、他に母体を求める事も出来ない上、自身より雄性の強い者の種石を被せられれば、自身の種石は消失してしまう。だからこそ三交を定めるというのはそれだけ重い誓約なんだよ。――そして、五邑との繁殖行為は、これに勝ってしまう。困った事にね」

「……じゃあ、交が成ったというのは」

「それこそ核の移譲が為された間柄かどうか、という事だよ。ああ、確か姮娥の場合の交が成ったと、君達のそれとは指す事象が違ったね」

「――え」


「五邑の場合の交が成った、というのは、相互に相手を唯一の伴侶と魂が認めた上で種が接触した場合にのみ発生する誓約のようだね」




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