60 神度剣



 長鳴ながなきは思わず息をんだ。

 すいどろは布に包まれた細長いものを無造作につかんでいる。それをやはり無造作に解き、取り出しながら長鳴に近付いてきた。

 中から姿を現したのは刀だった。先の折れた物とはつくりがまるで違う。大柄な水泥が手にしていても頼りなげなところが一切感じられない。長さもあり、幅が広くわずかにりがある。大太刀おおだちだ。三尺は優に超えている。そして特筆すべきは、室内であるというのに、ぎらりと刺すような光を放っていたのだ。

 長鳴の胃のがぎゅうと冷える。しかし水泥はそれに構わなかった。


「長鳴くん。ぼくは「まがい」のほうとうは実際には見た事がありません。ですから、比較対象は天之尾羽張あめのおはばりの一振りしかない。あれは剣の形をしていました。これは刀です」


 長鳴の手前で水泥は腰を落とした。つかに巻き付いていた布をするりと床に落とす。こしらえはまだ仕上がっていなかった。

 間近に見る抜き身の刀は、背筋が寒くなる程に美しかった。

「今回、道祖神像を三体、八咫やあたが取り置いてくれていましたので、三振りのほうとうを打つ事ができました。二振りは礼に置いてゆきます。必要な方に使ってもらってください」

 ちらと水泥の視線が差すのは刀掛台だ。そこにはその残りという二振りがあった。

 次の瞬間、躊躇ためらいも見せず水泥は、つい、と刃を自身の左腕に添えた。


さいさ」

「見ていてください」


 づ、と音がしたような気がした。

 長鳴の頬と目に赤い物が飛んだ。思わず飛び退すさって眼をこする。金臭い。慌てて顔をこするが視界が悪い。それでも慌てて眼を開く。水泥の腕から鮮血がしたたっていた。

「何と言う事を!」

 慌ててふところから手拭いを抜き取り止血する。水泥は顔色をわずかに青くしながら、やはり微笑んでいた。

「切れました」

「見ればわかります!」

「つまりこれは――「しん」を超えたのですよ」

「――は、え、なに?」

 長鳴は、その時確かに水泥の口のが笑みにゆがむのを見た。

 その目も何時になく輝いている。それは、物を作り出す者のさがなのだろう。自身の仕事に納得以上の物を見た者特有の顔をしていた。

 血飛沫の飛んだのは長鳴だけではない。水泥自身の着物もしとどに赤黒いものに汚れている。しかし、彼は満足そうに笑った。床に落としていた布の上にほうとうをそっと置く。



「ぼくは、『神域』の者です。生まれついてそうでした。この顔のただれは、その種がじれている証拠なのです」



「――なにを」

 水泥は、今度は傍らに手をやった。彼の手が取り上げたのは短刀だった。

「――これは、せんの折れた「まがい」を目くらましにして、密かに打っておいた刀形の「しん」です」

「は?」

 水泥はそれでやはり自身の左腕――次は上腕にその刃を引いた。「やめてください!」と思わず長鳴が叫ぶ。

 ――しかし、今度は何も起こらなかった。


 否、違った。斬れはしている。斬れたそばから癒合ゆごうしているのだ。血の一滴も落ちる事無く。


 水泥は小さく首肯してから、その刃で自身のそでをつ、と撫でた。布は、冗談のように綺麗に斬れた。……斬れないものではないのだ。つまり彼は、この鋭利な刃には裂かれない肉体を持っている事を意味する。そして長鳴にはあずかり知らぬ事だが、それは確かに、つい先日水泥の身を切り割き、たらいいっぱいにその血液を満たした短刀そのものだった。

「これは――」

「長鳴くんは、「しん」と「まがい」の正確な違いをご存知ありませんでしたね」

 長鳴はきつく手拭いを締め直してから、つと手を水泥から放して、自身の膝の上に両拳を置いた。

「――ええ。知りません。恥ずかしい事ですが、我々は、えいしゅうは、無知だ」

 水泥は「いいえ」と微笑んだ。

「無知は恥ずべきにあたいしません。最も恥ずべきは、己の傲慢ごうまんを知った時にそれを恥じる感性を持ち合わせぬ事です」

 静かだが、それでいて、今しがた彼自身の肉を割いた刃のように鋭い言葉に、長鳴は小さく息を呑むと「はい」と首肯して見せた。

「長鳴くん。死屍しし散華さんげがこの国にもたらされる以前、天之あめの尾羽おはばりは民の命を奪える唯一のものでした。これは、民の肉体を切り分ける事が出来る唯一のもの、という意味です。ただし条件がある。それは御承知でしょう?」

「――寶刀は、純潔でなければ切れない」

 水泥は首肯した。


「「まがい」は刀。これは物理的には刃物ですから、五邑ごゆうの肉体は切れる事を意味します。また刃物なので夜見も斬れる。ただし治癒してしまうためほふる事はできない」


 長鳴は頷いて見せた。


「対して、「しん」たる天之尾羽張あめのおはばりは剣です。これは神を切る。しかし純潔の身でなくては切れない。また物理的な切断力もない」


 水泥は、自らの傷口に巻かれた手拭いに手を添えた。


「「真」と「擬」の違いは、。この一点にかかります。白玉はくぎょくを宿した後の器の娘はすでに『神域』に入った神と同格の存在。ゆえに「まがい」ではと同様にほふれません。――民の命を奪いうるが故に、天之あめの尾羽おはばり瓊高臼にこううすに厳重に保管されて、はくげつ、どちらの皇帝にも決して渡される事がなかった」


 水泥は、「真」の短刀を脇に置くと、再び大太刀の方を取り上げた。それを長鳴に手渡す。長鳴は、両掌で刀を受け取った。掌の上でひやりとした刀身が、水泥の血を纏ったまま、またぎらりと輝いた。


五邑ごゆうは物理的に「まがい」に斬られるが、純潔でなければ「しん」には切られない。対して夜見は「擬」であればほふられないが、純潔のままであれば「真」には切られる。そしてどうあっても死屍しし散華さんげには殺される」


 ぽたり、と、止血したはずの手拭いから一滴の血液が滴り落ちた。刀の上に落ちたそれが、他の血と交じり合う。



「つまり、五邑ごゆうの血を引き、純潔ではない『神域』の者であれば、「しん」と「まがい」いずれにもほふられないのです」



 長鳴の喉がこくりと音を鳴らす。

「それは、つまり、どちらも殺傷具としては不完全だと」

「そういうことになります」

 と、次の瞬間。長鳴の手の中で、寶刀の表面の血がすっと消えた。まるで刀身に血液が吸い込まれたかのようで、長鳴は息を呑んだ。

「これは――」

「この不完全を撤回し、全てを斬断し得るには、純度の高い不死石しなずのいしで作った刃と、純度の高い死屍しし散華さんげで作った刃、この両者を必要がありました。この後者の為に、ぼくの血液を使ったのですが、三振り分に行き渡らせるのは相当な量が必要で……少し使い過ぎましたかね。さすがにぼくもふらふらになりましたよ」

 水泥は困ったように笑った。

「そして、この刀で本当にそれが可能かどうか確かめるためには、先に上げた条件に該当する者を試しに斬るしかない」

 長鳴は、こくりと嚥下した。

「――それは、つまり」



「今のぼくを殺せる刀は誰でも殺せるという事です」



 水泥は、ふふふと声に出して笑った。

 本当に、心の底から喜んでいる事が分かる笑い声だった。自身の鮮血で染まった手拭いを、心から嬉しそうに見つめながら。

「すごいな。本当に出来てしまった。長いこと色んなものを作ってきましたが、これ程の達成感を得られたのははじめてだ」

 言いながら、水泥はふいと視線を長鳴に向けた。長鳴の表情は、酷く苦し気だった。

「どうしました? 長鳴くん」

「つまり、あなたは」

 長鳴の言葉に、水泥はただ笑って首を横に振った。

「これ以上は、どうか。――知っても知らなくとも、結果は変わりませんから」

 その一言で、長鳴はそれ以上の問いを封じられてしまった。

 長鳴は、ただ黙って俯いた。

 葛藤があった事は間違いないだろう。しかし、彼はそれを自身の中に封じてそのまま逝く事を決めている。そう、目が語っていた。

「ああそうだ、長鳴くん、ここを見てください」

 指で示されたなかごの部分に目をやると、果たしてそこにはめいが刻まれていた。

「これは――神度剣かむどのつるぎ、と書いてありますか」

「そうです」

 水泥の指先が刀身をなぞる。ゆっくりと、その感触を確かめるように

「「真」の寶刀は、自らその刀身に名を現すそうです。「まがい」には銘は刻まれない。これ以上の刀から返される評価はありません。ぼくは――」



「ぼくに与えられたこの人生は、幸福です」







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