58 詳しくお聞かせくださいますよね


         *


「――はじめてのお参りが済んだ後、母はこっそりわたしの結果を保管小屋まで確認しに来ました」


 そう、きよ香はぽつりとこぼした。


「事の発端は、従兄弟いとこ叔父おじです。あの人も布にした髪の色が変わらなくて、それで、叔父の母親――大叔母がお参りを全部肩代わりして、ました」

「――……そう、だったか」

「幼い頃はお参りに行かせたフリで。長じてからは酒癖と本人の気質のせいにして。使わせた布は燃やして捨てたそうです。父親にあたる大叔父は規則を曲げるのを嫌う人だったらしいですが、従兄弟叔父のお参りが成ったのは八歳を超えてからで、その時にはもう鬼籍に入っていたから、うまく……誤魔化せたのだと」


 ない話ではない。突然変異的に、邑長の家系外にそういう者が出る事はある。えいしゅうにおいては禁忌であろうその確認を、危険ととがめを承知の上で行うのは、もありなんと水泥も思う。

 家系に前例があったならば、尚更だ。

 きよ香は膝の上でくんを握りしめる。


「従兄弟叔父本人は、結局最後までその事を知らずにきました。ただ「お前は絶対に失敗するから駄目だ」の一点張りでお参りがゆるされずに、認められずに……周りに知られればおとしめられると、苛立いらだちと、劣等意識と、怒りをつのらせたのでしょう。彼の心持ちは、私にもわかります。こんなこと、邑では言えやしなかったけれど……」


 水泥は目を伏せて溜息をいた。

 その大叔母自身にもかくたる証拠があったわけではないのだ。しかし、勘働きがしたのだろう。これが露見するのはまずいと。

 また、これも知らぬ事であったろうが、例え男だろうと『色変わり』がなければその血統には注視が向くことになる。本人ではなく、その孫子に発現するかを見られるのだ。

 すいどろにはあずかり知らぬ事だが、しのの『色変わり』がない事は、遅かれ早かれに把握される事だったのである。

 もう一度ひとたび苦い吐息をこぼしてから、すと目を上げる。

 水泥の目は、きよ香の白い右肩に吸い寄せられた。肩と、それから二の腕までもがむき出しになっている。止血のためたもとを引き千切ろうとしたが、縫い付けが強固だったらしく最後までは外せなかったのだ。そでのぶらりと垂れ下がる様が、蒼白になったおもてが痛ましい。また、たらいから引き揚げた髪に残された血が、彼女の胸元を赤黒く汚していて、まるで暴行を受けた後の様相をていしていた。

 きよ香の口元が、引きるようにゆがんだ。

「わたしの布を見た時の母の胸中を思うと――いたたまれません。だってたなを見ればわかるもの。布の色は白く変わるもので、変わるべきなの。変わらない者だけが、これはまずいということに気付く。変わる人は我が事じゃないから、他人の結果なんか、目に入らない」

 険しい顔で、「はぁ」ときよ香は溜息を吐いた。

「人と違うというのは、それだけ危険なの。だから、」

 きよ香の手が自らのふところに差し入れられる。するり、と一枚の布が滑り出た。水泥の目がそれに吸い寄せられる。



「――命がけで、母も隠してくれました」



 きよ香の手に握りしめられていたのは、色変わりしていない白と黒の布だった。

八重やえの代わりにお参りをする時には、八重の布を使いました。自分の布は出してないの。だからまだ誰にも気づかれていない」

「――では、どうしてまだこの布を持っているのですか? 従兄弟叔父という人と同じく燃やしてしまえばもう誰にも気づかれなかったでしょうに……こんなもの、見つかれば命取りとなり兼ねない」

「母が!」

 きよ香の顔に悲愴と怒りと切実が浮かぶ。きっと水泥をにらんだ。

「母が縫ってくれたものです! 他のものは全部焼けました! わたしにはもうこれしか残ってないの‼」


 ぼろりと、その茶緑の眼から涙がこぼれ落ちた。


「母もそう、大叔母もそう! 母親だからわかるのよ! こんな狭い邑では些細な異端ですら命取りになり兼ねないの! 我が子が異質と知られたら、周りがどう扱いどう見なしてくるかなんて厭になるくらいわかるの。女は――そういうことを見逃しにしておけるほど鈍感にはできていないし、そうして生きてはいけないの! そんな寛容かんような部落だったら火災の時に百人も死んでないわ‼」

 きよ香がぎゅっと握りしめた参拝布を自らの胸に押し付けようとした――のを、水泥はぎょっとして止めた。再び強い力で手首を握られたきよ香は、今度は胡乱な目を向ける。

「な――なんですか?」

「だったら尚更だ」

「え?」

 水泥は真剣だった。

「そんな大切な品なんでしょう。気を付けて扱わなくては」

「だから、なに」

「自分の今の姿を見て」

 水泥の視線がきよ香の胸に向かう。

「君のじゅは、今ぼくの血でけがれている。そんなところに寄せては布も汚れて――」



 ぱぁん、と、鮮やかな音が響いた。



 水泥の視界の端で、ひらり、たらいの中に布が落ちる。

 それに視線を向けた。白と黒の布が、じわりと赤にむ。

 それから、ゆっくりときよ香に目を向けた。

 きよ香は、その目に涙をめていた。水泥の頬を打擲ちょうちゃくした右手の手首を、左手で握りしめていた。

「馬鹿な事言わないで! あなたの血が穢れている? 人間の血はただの血よ! 赤くて生臭くて生きてる証拠! ただそれだけのものじゃない‼」


 ああ。

 水泥は、まぶたを伏せ、そして天をあおいだ。

 その胸の内に隠し持っていた言葉が、ついにつるりと口のから落ちた。あたかも満ち過ぎた器からこぼれるがごとく。



「ぼくは――五邑ごゆうではないのです」



 きよ香の目が、胡乱うろんに染まる。

「ど、ういう……ことですか」

 水泥は目を開く事が出来ない。そのままうつむき首を横に振った。

「今更――人ではなかった事を悔やみはしませんが、この血に関してだけは呪っている。ぼくは君ほど強くはあれません。……生まれた事を呪う程にはいかっているんですよ、これでも」

 水泥の両手が、そっときよ香の両頬を包む。

 苦しい眼差しが乙女の両瞳に注がれる。ぽたぽたと、切り口からまだ鮮血はしたたり落ちていた。それがきよ香のくんの上にまだらを描いてゆく。

「父は――ぼくの父親は、本当にどうしようもない魯鈍感ろどんかんで……本気でこの国を消そうとしている。ほんとうに信じられないくらいのくずだけれど、でも、確かにその血を継いでしまっているから……死んだらぼくはあれと同じ物になる。そういう天命ならば受け入れようとも思います。死ぬほど厭だけれど仕方がない事もある。でもそれでも……‼」

 きよ香の手が、そっと水泥の両手をその上から包む。

「それでもあれを止めないと君を護れない……ぼくはもうそのほうが厭だ……!」

 それはもはや、悲鳴に等しいささやきだった。

 血の満ちた盥を間に挟み、二人真っ直ぐに見つめ合う。きよ香の視線がその時、明瞭はっきりと、水泥の魂に――届いた。


「そこまでおっしゃるならば、きっと何か意味があるんでしょう? くるわの件、詳しくお聞かせくださいますよね」





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