48 盲点


 長鳴ながなきまぶたを伏せると、ひとつ大きな溜息をいた。

 『環』足り得る。それすなわち死である。

 それは、己の肉体を「死をともなう道具」として見なされると言う事だ。

 脳裏をよぎった事実は、背筋を凍らせるほどの危機意識を長鳴の身の内に生じさせた。しかし、兄達の境遇を思えば今更だ。結果的に、どれだけ自分だけがむらの内で護られていたかを思い知らされる。

 ゆうかじも、常に死と隣り合わせで生きている。

 そして、今長鳴の隣に座す八重やえもまた、その「死を伴う道具」として見なされ生きてきたのだ。それを受け入れてきた。

 安全な場所にいたのは己だけだ。ならば、ここでようやく自らも同じ土俵に立てたと思えば、この震えも武者震いとして解釈しえよう。そう考えろと、自らを奮い立たせた。


 ようよう腹が決まってから、長鳴は苦笑交じりに眉をしかめて見せた。


「――確かに、大将軍からは兄の代役を務めるよう伝言をいただいております」

 すいどろもまた少しだけ笑った。

「ずいぶんとひどいお願いである事は承知の上ですが」

「まったくです」

 間髪入れぬ長鳴の返しに、両者ようやく目を細めて笑う。

 水泥はその手から刀を離すと、改めて姿勢を正した。

にえの儀式を執り行ってもらった後、本来であれば、禁軍が高臼こううすに先んじて、僕の『かん』と、解放した白玉、それから復活する大伴御行おおとものみゆきを迎えにくるはずでした」

「ああ、つまり、この段階で瓊高臼を出し抜いて帝壼宮に運ぶはずだったと」

 水泥は頷いた。

「そういうことです。大将軍から報せがまだ来ていない以上、現在『かんばせ』と、黄泉返った葛城かつらぎ、それから贄となった蔡浩宇の『環』は瓊高臼にとどまっているはずです。つまり、現在は、大将軍と大師長が、互いの出方を様子見している状態にある」

 そこで長鳴が「あ、そうか」と声を発した。

「大師長は贄の『環』を手にしているのか……」

「そうです。だからこそ、これ以上『環』を月桃の手に渡す訳にはいかない」

 八重が、ふと真顔になった。

「あの、すんません」

「はい」

「うちの頭ではもうちょっと、話が難しすぎて、追い付けとらんのですが」

「正直な話、僕もかなり混乱はしています」

 夫妻の困惑顔に、水泥はうなずく。

「ご無理ありません。――では簡潔に、何が最もまずいのかをご説明しますね。素戔嗚すさのおあまてらすと再会したい。しかし黄泉よみとの大神おおかみ――これが姮娥こうがの国土全域を意味するわけですが――これがこの姉弟を繋ぐ道を塞いでいる状態なのです。だから、この国を」

「壊滅させたろと、……そういうことですか?」

 頬を引きらせた八重に、水泥は微笑みながら「はい」と返した。

 八重は盛大に顔をしかめると、それを両手でおおった。

「いややもう信じられへん……」

「ええ、本当に」

「信じられへんのは、それをあんたが笑って言うとるところなんやけど」

 「おお」と思わず水泥も半笑いになる。

「それは……重ね重ね申し訳ありません」

「もう、かまへんけどな……」

 ちらと指先を下げて両瞳りょうめだけを出し、八重は水泥を恨めしそうに睨む。余程よほど気味きみが悪かったのだろう。「申し訳ない」と、後頭部をまたぽりぽりときつつ謝罪してから、水泥はようやく真顔になる。


「国土全域の崩壊など、破砕はさいの力を移し出したほうとうを持つ素戔嗚以外に実現できることではありません。ぼくたちは、せきぎょくと白玉の交換を最終目標にしながら、この素戔嗚と月桃の共謀きょうぼうを阻止しなくてはならない」


 長鳴は自身の口元をおおいながら「ううむ」とわずかに背中を丸める。

「――これは、難事だ」

「はい。とてつもない難事です。――ああ、それからもう一点、肝心な事をお伝えし損ねていました」

「肝心な事、ですか」

 長鳴と八重が同時に瞬く。

 水泥は、ゆっくりと息を吸い込んだ。これは、もう伝えていいだろう。


「はい。これも蓬莱の書に書かれていた事です。――曰く『黄泉戸よみとの大神おおかみを破砕する事により、黄泉比良坂よもつひらさかは異地ではなく太陽に向けて開かれる』――と」


 長鳴は目を見張った。

「太陽へ?」

「はい。天照とは太陽の事ですので。黄泉戸大神こうがこくが失われれば、素戔嗚は異地ではなく、天照の下へ飛べる」

「――そうか。国土破壊如何いかんが、結果として道の開く先を異地か太陽かへと分けるのか」

「そうです。しかしこうなると異地いちの目論見とは食い違ってくることになる。異地いちみかどの真の目的は素戔嗚を異地に呼び戻すこと。白玉は、この目的のために貸与されたに過ぎないのです。そしてこの素戔嗚の捕縛は、五貴人にしかできないとされてきた。瓊瓊杵を餌におびき寄せる以外に素戔嗚を動かす手札が異地にもなかったのです」

 長鳴は「少し待ってください」と言って、腕を組んで黙り込んだ。八重が申し訳なさそうな顔で頭を軽く下げた。

「すんません。この人こうなると長いんです。半日とか平気で固まるんですわ」

「大丈夫だよ、流石さすがに客人の前でそこまでやらないから」

 それでもかなりの長考をはさんだ後、ようやく長鳴は口を開いた。


「――ええと、異地との誓約に従い、赤玉と白玉を元の通りに交換するためには、やはり黄泉比良坂よもつひらさかを繋いで開かなくてはならなくて、さらには素戔嗚も捕らえて渡さなくてはならないから、瓊瓊杵を餌におびきよせる必要がある。また、素戔嗚を捕縛できるのは五貴人に限られるとされているから、こちら側としても、今白玉を繋いでいる『環』を贄で解除しなくてはならないことには変わりがないと」

「そうですね」

「それはつまり、顕現けんげん素戔嗚すさのおを『かん』で捕縛ほばくしようとしているげっとうのやり方が一番異地いちの求めに応じるのに合致していると」

「そうです」

「――素戔嗚を捕縛できるのは五貴人に限られるとされたのは、恐らく彼等を黄泉よみがえらせれば自動的に贄の『環』が手に入るから、これを用いればよいと。――ああ?」

 その頓狂な声と共に、長鳴が腰を浮かした。



「――そうか! 必要なのは『環』か! 他の邑人からも『環』を生成し得る事を今の僕達は知っているけれど、それはこの五百年の民の増加と歴史があったが故で、当時の異地はそんなことになるとは認識していない。だから素戔嗚を捕らえられるならば別に誰の『環』でもよくて、絶対に五貴人じゃなくてはならないわけではないかも――知れない? ん? 違うか?」



 水泥は――硬直した。

「――そ、うですね。そこに関しては、我々にもそういう解釈はあります」


 水泥の身体が震える。完全に――盲点だった。

 

 五貴人が贄を得ることで不死者となるのは結果論だ。その帰還が真実必須であるかどうかはかくたることではない。それは帝の胸の内だ。

 梶火に対しては、五貴人の不死化と、彼等を素戔嗚と共に帰還させる事が異地の帝の本懐であると説いたが、もしかしたらそうではなかったのかも知れぬ。

 最初に不死化を見抜いたのは、麻硝ましょうだ。古い記憶と、懺悔に苛まれた美貌が水泥の脳裏に浮かんだ。あの男も、十二分に苦しんでいる。それを憐れにも、無様ぶざまにも思っていた。そしてあの論に破綻はなく、皆が五貴人の異地の帰還を必須だと、そう思い込んだ。


 血の気が引いた。誤り――だったのかも知れぬ。

 帝の真意が知り得ない以上、全ては推測の域を出ないことだが、五貴人の帰還が必須ではないのなら、赤白の再置換も、寶刀による『環』の断切で事足りるのだ。



 眩暈めまいがする。思わぬほどに重い不穏ふおんが――水泥の身の内に満ちた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る