47 生命線



 長鳴ながなき八重やえの全身に鳥肌がたった。

兄々にいにいの、命って」

「あの、どういう――八咫やあたは、何を」

 水泥は微かに目を伏せた。

「彼が――えいしゅうにいた頃の八咫が、参拝をこなせないことで白眼視はくがんしされ、はぶかれ者として扱われていたことは聞いています」

 その言葉に、長鳴は眉間をしかめる。

「それに関しては……本当に、不徳の致す限りです」

 八重がちらと視線を送り「それはもううちが制裁したんやから終わりにしとき」とさえぎる。

 そんな二人の様子に、水泥は笑む。

「『梶火と長鳴がいてくれたから、むらを出て来られた』――そうも言っていましたよ」

 はた、と夫婦そろって視線を水泥へと向ける。

「八咫は、ずっと八重さんのことを気がかりにしていましたから」

「うちのことをですか?」

「別れ際が――辛い物になってしまった事を悔いていました。置いて行ってしまったと」

 言葉の意を汲み、八重は頭を振る。

「あれは――仕方のないことです。兄々のせいやない」

「はい。ですが彼は見たものを丸ごと忘れられない人だから――最後に見た八重さんの目を忘れられなかったそうです」

 わずかに唇を開いた後、八重は下唇を噛んだ。

「――それは、おかんも言うてます。あの二人は、おんなし目ぇを持っとるから。おかんも忘れられんと……父の最期の姿を」

「……ええ。それも八咫から聞きました。お母さまもずいぶん苦しまれているのではないかと案じていましたよ」

 三者の間に沈黙が落ちる。

 この場にいない、稀有な目を持つ二人の負った、想像も付かない苦しみを思った。

 ややあって、水泥はゆっくりと唇を開いた。

「本当に重いごうですが、我々は彼のそののうに多く助けられました。八咫は仙山にきてから文字を覚え、参拝布の文様が文書であったと理解した。こちらにあった焼失した文書も、たい輿に残されていた石板も、蓬莱ほうらいに伝わってきた巻物も、全てその脳に納めている。ぼくにも文字は読めますが、量が膨大すぎて、その全てを読み込み理解するなど到底できません。それでも八咫には足りなかった。不足内容があると見抜いたのです。だから彼は仙山をも出奔した。――瓊高臼にこううすと、方丈ほうじょうに伝わる文書を求めて」

「それで――今帝壼宮ていこんきゅうに、ということですか」

 唖然とした長鳴の言葉に、こくりとうなずくと、水泥は自身の両膝の上の拳を強く握りしめた。

「八咫以上に正確に現状を把握し、本懐達成のために計画を立て実行に移せる者はいません。ですから仙山は彼の計画に乗ったのです。単刀直入に申し上げます。ぼくは瀛洲の白玉はくぎょくほこらから解放するために参りました」

 長鳴がぐっと緊張で姿勢を正したのが伝わる。

「それは、にえに、なられると、そう言う事ですか」

「はい。最終的には、ぼくがその任に当たる事になっております」

 迷いのない水泥の答えに、長鳴の顔からざっと血の気が引く。

 水泥が、す、と隣に置いていた布の包みを取り上げ紐解く。

「その為に持参した刀がありましたが、この通りの有様です」

 中には、刀身の折れた刀が一振りあった。八重の顔がああ、と引きる。

「完全に折れてしもてますね」

「はい。ですので、一から刀を打たねばなりません。ですので、鍛冶場をお借りしたいのです」

「――成程。そういうことでしたか。理解しました」

 溜息交じりに長鳴が微笑んだ。

さい殿。率直に申し上げますが、僕達は如何いかにしてにえとなり『環』をはずすのか、その詳細について知り得ていません。貴方はそれをご存知なのですよね。それを僕に伝えて実践させようと」

「はい。そういう計画です」

 水泥はゆっくりと首肯しながら、『環』と贄の仕組みについて説いた。

 ううむ、と長鳴は青い顔を引き攣らせる。

「……それは、つまり、あなたの頭蓋骨と脊椎を、あなたの身体から引き抜くための儀式を僕が行う、という意味ですよね?」

 その問いに、水泥は満面の笑みを浮かべた。

「その通りです」

 八重がひっと悲鳴を上げる。

「いやや! あんたなんでそんな話笑ってできんの⁉」

「ああ、すいません。性分でして――よく身内の者にも気味悪がられました」

「あたりまえやわほんまに! さぶいぼ立ったわ‼」

 八重が騒いでくれたのは、却ってよかった。長鳴は今にも嘔吐しそうな様子である。やはり微笑みどころは考えなくてはならないらしい。


 ――うまいつもりだったんだけどなぁ、笑うの。


 自覚と他者評価は得てして合致しないものらしい。そう学んだ水泥は、ぽりぽりと後頭部を掻いた。

「本当にすみません、気味の悪い思いをさせてしまって。でも別に素手で骨を引き抜くとか、そういった事をお願いするわけではありませんから」

「そう、でしたか」

 眉尻を下げた長鳴が「ほぅ」と溜息を吐く。

「ある儀式を執り行えば自ずと骨は肉体から抜けます。この儀式に使われるのがほうとうです。――この折れた剣は、瓊高臼にこううすにある「しん」の寶刀、天之尾羽張あめのおはばりを元とし、新たにぼくが打ったものになります」

「あなたが打たれたものだったのですか」

「はい。敢えて粗悪品に仕上げてありますが」


 「ん?」と長鳴の片眉が浮いた。


「敢えて――とおっしゃいましたか」

「はい」

 水泥ははっきりと答えた。

「「まがい」の域にも至らぬようなまがい物しか僕には打てぬと、げっとうに思わせねばなりませんでしたので」

「月桃?」

「はい。黄師の大師長です。いみな月夜見げつよみ

 あの、こごった眼の色をした姮娥の顔が脳裏をよぎり、水泥の背を嫌悪と憎悪が走る。ほんとうに、心底早く死ねと願って止まない。



「あの瓊高臼にこううすの長は、姮娥こうがの壊滅を望んでいます」



 しん。と室内に長い沈黙が落ちた。

 八重も長鳴も、水泥が口にした言葉の意味を理解できなかった。否、したくなかった。しかし一度耳にしたものをなかった事にはできない。長鳴が眼を閉じて天井に顔を向けた。ひどく厳しい顔をしていた。

「あの、聞き違いだったらおびします。姮娥の――壊滅、とは」

「文字通りの意味です。月桃は、この広大な国土を文字通りに壊滅かいめつ瓦解がかいさせ、更地さらちにする事を望んでいるのです」

 八重がこめかみに手を当てつつ、もう一方の手を水泥に向けてかざした。

「まって、ちょっと待って。その人、確かせきぎょくのとこで一番偉い人なんやんな?」

「そうです」

「なんでそんな人が国が亡ぶのを望むんや。――民はどないする気なんや」

「月桃は、民を含め全てが滅びる事を望んでいるのです」

「待って⁉ 意味がわからん‼」

 悲鳴に近い絶叫を上げて八重は頭を抱えた。

 水泥は厳しい表情を八重と長鳴に向けた。

「それは我々にも知れません。しかし、結果的にこの月桃の望みと、素戔嗚の望みが引き起こす事態は合致するのです」

「――は?」

 もう吐息に近しい音が八重の喉をかすれさせる。



素戔嗚すさのおが自らの望みを叶えるためには破砕はさいという力が必要です。そしてげっとうはその理由を知っていました。破砕牙とはほうとうにその力を映し出す事ではじめてその真の力を発揮させるものなのです。つまり、素戔嗚が本懐を達成するためは、どうしても寶刀を手にしなければならない」



 水泥は、自身の手の中の折れた刀剣をゆっくりと撫でてから、再び布で包みなおし、隣に置いた。

 そう。水泥は破砕牙と寶刀の関係を知っていた。

 知った上で、梶火が破砕牙について言及した時には答えなかった。



 これが――全ての生命線であったからだ。



「……破砕牙と寶刀の関係については、蓬莱ほうらいの文献に残されていました」

「蓬莱に」

 水泥がこくりと頷く。

白浪はくろう素戔嗚すさのおと手を結んでいる事が分かった以上、素戔嗚の目的が白浪の手にある「まがい」の寶刀にある事は明白です」

 そこで長鳴が片手を挙げる。

「あの、先程もおっしゃって見えましたが、その「まがい」とは?」

「ひとことでいえば、「しん」よりのうおとる寶刀のことです。「真」にはできて「擬」にはどうしてもできないことがある」

 膝の上においていた諸手を持ち上げ、水泥は両拳を握る。

「「まがい」は所詮しょせんマガイ」モノなのです。「しん」程余す事無く破砕はさいの力を引き出す事はできません。――ぼくに「真」を打つ力があると月桃に知られれば、アレは絶対ぼくに刀を打たせようとする。そんなのは死んでも御免だ」

「死んでも、ですか」

「はい。死んでもです。絶対厭です。今現在、仙山の大本営は高臼こううすにある。ぼくは仲間を人質にされているも同然なんです。あんな魯鈍漢ろどんかんのためにぼくは何もしたくないけれど、知られたら厭でもやらざるをえなくなる。――それ以前に、そもそも国土壊滅なんていうたくらみは絶対に阻止しなくてはならない」

 水泥は次いで、自身の両拳を開き、上に掲げるようにして見せた。

瓊瓊にに顕現けんげんが実現されれば、月桃は自身が手にしている天之尾羽張あめのおはばりを素戔嗚に譲り渡すでしょう。でもそれは本当に最後の最後です」

「断言できる理由をうかがっても?」

 長鳴の問いに、水泥は折れた刀の包みにそっと手を触れさせた。

「――ほうとう並びに瓊瓊にに顕現けんげん素戔嗚すさのおに譲り渡す時、月桃は必ず交換条件を出します」

「交換条件……ですか」

 水泥の目が、刹那せつな、ぎらと鋭く床を刺した。



「月桃は、顕現の肉体と、素戔嗚自身を『環』で縛る事を必ず要求します」



 しもの言葉に、長鳴も八重も呆気にとられた。

「な、なんて?」

「すさ、え、神を縛ると……?」

 水泥の眼光が、そのまま二人に向けられる。

「あれは何人なんぴとたりとも信用しない冷酷のです。全てを掌握下しょうあくかに納めるまで、決して手綱をゆるめる事はない。――恐らく、現時点ではもうすでに、月桃の手元には使える骨が残っていない。だから奴は、『環』にするための骨を、あと最低二つは作らなくてはならないのです」

 長鳴の背に怖気おぞけが走る。

「それ、は……まさか、半分以上、『色変わり』がない男を……新しく寶刀で切り、『環』にする、ということです、か?」

 青褪あおざめる長鳴に、水泥は「そうです」と断言した。

「現時点で帝壼宮は大将軍の掌握下にある上、月桃はじょえんともたもとを分かって久しい。故に、月桃は方丈ほうじょうにあるはずの遺骨も、帝壼宮にあるはずの「まがい」も手に入れる事はできない。骨を二つ手に入れ両者を縛るまでは、手元から天之尾羽張あめのおはばりを離す事はない」

 ぐ、と包みを握りつつ、水泥は大きく息を吸い込んだ。その目の奥に、鋭い光がよぎる。

 月桃の手元に残されていた『環』はあと一つきりだった。それは保食うけもちに使うと宣言されていた。


 絶対に、あれの望むようにはさせぬ。

 決めた。必ず全てを頓挫とんざさせて、殺してやる。


八咫やあたの立てた計画では、ぼくのえいしゅう到着後、この刀では用をせなかったとげっとうに報告を上げ、高臼こううすから天之あめの尾羽おはばりを瀛洲へ運ばせて時間稼ぎをする予定でした。その間にぼくがここで新たなほうとうを打ち、ゆうくんにぼくをにえにしてもらうはずだった。でも、ぼくが遅れたせいで状況が変わった。大将軍からの伝言通り、長鳴くん、代わりに君にお願いしなくてはならなくなりました。――申し訳ないことですが」


 水泥がわずかにこうべを垂れる。それを受け、長鳴はかすれ声で「いえ」とかぶりを振った。

 長鳴は、こくりと生唾を嚥下えんげする。

 水泥は、月桃の手元には、と言ったが、実のところ、現時点でもうこの国には『環』に使える骨がないのだ。

 それは、熊掌がやったことだ。

 熊掌が、方丈にあった『環』足り得る骨を全て破壊した。

 そして、そうするよう求めたのは――他でもない長鳴自身だった。


 では、新たに『かん』を生み出すとして、それが可能なのは誰か? 長鳴の身近にある心当たりは二人だけだ。



 他でもない、自身と――梶火あにである。




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