46 盥



 すいどろたち三人の一行は、流石さすがむらびと達の目を引くものとなった。確認に駆け寄った自警団の者に、長鳴ながなきが問題はないことを伝えながら先へ急いだ。

 「西の端」から入ったえいしゅうは、蓬莱ほうらいに比べて幾分ひなびて見えた。朝廷風を早くから取り入れ、その文化文物によくした期間の長い蓬莱ほうらいとは異なり、長らく異地いちの風俗を維持してきた瀛洲である。五百年の維持はつまり時代にそれだけ遅れた事を意味した。それがここ数年でわずかばかりに進んだわけであるが、実際水泥が感じた古臭さは、それでもかなり進歩した状態なのだった。

 かやきの屋根を乗せた屋が多く立ち並ぶ。故に、長鳴ながなき八重やえに通された邑長邸が、白壁に囲まれ瓦屋根を乗せていたのを見た時には、ああ、これは貧富の差がつけられているのか、と思い至った。

 蓬莱は戸毎の差は然程さほど大きくない。邑長ゆうちょう邸とその他の屋を構成する部材に大差はない。ただしその大きさと囲う壁は異なった。風俗と考えが異なると、同じ五邑でもここまで違うものかと、軽く衝撃を受ける。仙山せんざんも確かに風俗は異なるが、その主な理由は風土によるものである。ここまであからさまな差異はない。

 と、長鳴が大門を潜りながら苦笑を見せた。

「こちらが邑長邸――なのですが、現在僕達はこちらにはおりませんでして」

「そう、なのですか」

 一瞬、顔に考えが出ていたかと思ったが、どうもそういう事ではなかったらしい。

「先の火災の折に多くの屋が焼失しまして。その後家を失った者の多くを一時こちらへ住まわせる運びとなり、僕達兄弟と八重は、ここから程近い場所にある邸に移り住んだのです。そのままそちらで。以降は、こちらは主に会合などで使うに留めております。住居、という意味では、離れに兄の娘と、それを養育している母達が起居していますが、それだけですね。あとはもう、ほぼほぼ邑の施設です。自警団の集会所と、医務を兼ねた診療所としての機能で七割でしょうか」

「そうでしたか」

 長鳴と八重が、ちらと顔を見合わせながら苦笑する。

「ここは、大きさと堅牢けんろうさがありますからね。僕達家族だけで占有するのはもったいないし、無駄が大きすぎる」

「なによりも、分不相応なもんを一家だけであれこれ抱え込んだままにしとけるほど、うちの邑には余裕があらへんからな」

「そういうことだよね」

 長鳴が水泥に視線を向けた。

「何より、そういった行いは、余計な不穏なものをも呼び込むいんになります。身の丈に合わないものは、結果不自由と難を身にまとわせる事になるだけですから」

 その言葉から、今の彼等夫妻の考え方が明白に伝わる。実感がこもっていたのは、それが経験に即したものだからだろう。しかし、邑長邸から邑長が居を移し、これを解放するというのは生半可なまなかの事態ではない。せんの火災の大きさが推察された。


 邑長邸の中は、黒光りする程に磨き上げられた板張りの廊下でぐるりを囲んだ造りになっていた。そこを素足で上がる様に通される。これもまた異なる風俗でわずかに戸惑った。保食うけもちやしきは確かにえいしゅう風を維持しているが、蓬莱ほうらい並びに仙山せんざんは基本的に姮娥こうがの風俗に準ずる。つまり脱靴だっかの習慣がない。水泥も当然そうだ。

 荷を置きながら靴を脱いでいると、下女らしき出で立ちの女性が水を張ったたらいを持って水泥の足元にしゃがみ込んだ。その動作に一瞬の力みと溜めがあったのを水泥は見逃さなかった。これは恐らく脚をいためている。だのに続けて水泥の足を洗おうとするので慌てて止めようとした。

 が、長鳴は「客人へのもてなしです。受けてください」と言う。余所よそ在所ざいしょでしつこく我流を通そうとするのも見栄えが悪いものである。気は進まぬが渋々了承した。


 その女性は――不思議な空気感の持ち主だった。


 まず、なんといっても全体がふわりとやわらかそうだった。頬がふくよかだった。長い睫毛まつげたたえた目元が涼しかった。ふいとおくれ毛をかけた耳がきれいな福耳だった。無造作にひっつめていても分かるつややかな長い黒髪に、前垂まえだれの若草色がよく映えていた。恐らく年嵩としかさ保食うけもちと大差ないだろう。保食の美を、咲き誇る芍薬しゃくやくに例えるならば、この女性のかもす空気は、百合だ。――姿勢正しくりんと一人たたずむ、山間やまあいの白百合のようなのだ。

 虚飾きょしょくの一切を削ぎ落したかのような、いさぎよくもろうけたものだけでその命は出来ているのではないか――そんな気がして、水泥は圧倒された。

 そんな若い女性に、爪もがれた三十路男の足を洗わせているのかと思うと、申し訳なさに背筋が凍った。

 長旅で更には革の靴を履いていたのだから、汚れ以上に匂いを気にしたが、女性は気にも留めぬ様子で指の間まで綺麗に洗い、手拭いで拭き上げるとさっと立ち上がってたらいを抱え上げた。あまりの手早さに、それ以上遠慮をするいとまさえなかった。

 見送った背中は、矢張り脚を引きっていた。



 通された部屋もやはり板張りで、ぐさで編まれた丸座布団が数個かれているきりという簡素な状態だった。

 座するや否や、水泥はここしばらくの内に瀛洲で起きたことを矢継ぎ早に問い、長鳴がそれに答え、八重が補足を時折加えた。

 結果水泥に知れたのは、大将軍の玉座簒奪は成功していたという事。そして水泥が遅れた事は既に大将軍側も承知の上で、文と使いの者の説明で、粗方彼等が理解を済ませているという事実だった。

 八重ではなくゆうが帝壼宮に白玉の器として向かった事だけは想定外だったが、それでもじょえん沙璋璞さしょうはくの捕縛は既に済み、この後は白浪はくろうへ遣いを通し、白皇の遺児を迎え入れるよう働きかけるばかりの状態になっているという。

 現在はその始末に追われていて実現されていないが、近く大将軍と蘇熊掌の会合も予定通り執り行われるそうだ。

 沙璋璞をだまして帝壼宮に八重を連れ込ませようとしたのは、白玉の継承の為ではなく、寧ろそれを絶つために、それが可能な人間を大将軍の保護下に置くためだったのだ。しかし、八重は既に長鳴の妻となっていた。ほうとうでの切り分けが出来ない以上、白玉の継承維持を目論む手勢が彼女を利用しようとその身を奪取する危険は消えた事を意味する。

 故に、大将軍から彼等に送られた言葉は、「瀛洲邑長夫妻末永く息災で」という短文にとどまったのだ。


 そこでようやく水泥は安堵した。大筋は予定と変わらなく順調に進んでいた。素直に「ああ、よかった」という言葉が口から出るほどに。


 その辺りで、下女が茶を運んできた。先とはまた別の下女だったが、こちらは水泥の顔を見るなり一瞬ぎくりと硬直した。慣れた反応だったために特になんとも思わなかったが、そう言えばさっき足を洗ってくれた女性は、水泥の顔を見てもなんの反応も見せなかったなと、ふと思い至った。その違和感から、あんなにも事細かに彼女の容色を注視してしまったのだろう。そう己に納得させる。


 でなければ、理由が見当たらないではないか。


 三人の前に茶を置くと、下女は無言のまま退出していった。所作の一つ一つがやはり蓬莱ほうらいとは違うのだ、という事がわかった。感慨深く思いながらわんを取り上げ長鳴達を見れば、その茶の飲み方や椀の扱い方までやはり違う。ここまでくると苦笑しか出なかった。自分は随分と不調法に見えているだろう気がした。

 一口すすってから茶托に戻すと、水泥は姿勢を改めた。

「急な来邑に御対応いただき、こころより感謝いたします。あらためて、蓬莱邑長蔡浩宇さいこううの親族にあたります。蔡水麒さいすいきと申します。本日は瀛洲の方々にお願したい儀があり、こうしてまかりこしました。合わせて八咫やあたより伝言を申し付かっております」

 かたん、と八重が茶托に茶碗を落とした。

「兄々の、ですか」

「はい」

 水泥は、はっきりと、ゆっくりと、視線を八重に合わせた。

 八重やえが厳しい顔で長鳴ながなきに目配せする。長鳴は八重に軽く首肯して見せる。

「――いま、蓬莱ほうらいからて言わはりましたよね?」

「はい」

「兄は、蓬莱へ向かって邑を出たのではなかったはずなんですが」

 つまり八重のこの眼はいぶかしんでいるのだろう。理解したすいどろは、いつものふわりとした微笑みを浮かべて見せた。

「はい。ぼくは仙山せんざんに属しています。八咫やあたともそこで知己ちきとなりました」

 長鳴が姿勢を正す。

「お尋ねしてもよいですか? それは、いつ頃のことでしょうか」

「そうですね――七年近く経ちましたね」

「じゃあ、邑を出てから割とすぐ言う事やんな」

「はい。八咫もそう言っていました。あの、先日こちらへ来られたと言う禁軍の使者の方は、恐らく大将軍の麾下の方ですよね?」

「はい。そう仰っておられました」

「だからこそ、その方には、大将軍の真意は伏せられていたはずです」

「真意、という事は、八咫について、大将軍が禁軍側に故意に伏せている事がある、という事ですか」

「はい」

「あの、じゃあ、兄々は今どこにいるんですか? 仙山やあらへんのですか?」

「彼は今帝壼宮ていこんきゅうにいます」

「――は」

「それは、仙山の命で、ということですか」

「いえ、違います」

 八重がひゅっと小さく息を呑んだ。

「ほな、兄々は今、仙山とはどういう関係になってるんですか? まさか、敵対している――とかなんですか」

 水泥は、ふうわりと微笑んだ。



「違います。仙山が、八咫のめいしたがって動いているんです」




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