46 盥
「西の端」から入った
蓬莱は戸毎の差は
と、長鳴が大門を潜りながら苦笑を見せた。
「こちらが邑長邸――なのですが、現在僕達はこちらにはおりませんでして」
「そう、なのですか」
一瞬、顔に考えが出ていたかと思ったが、どうもそういう事ではなかったらしい。
「先の火災の折に多くの屋が焼失しまして。その後家を失った者の多くを一時こちらへ住まわせる運びとなり、僕達兄弟と八重は、ここから程近い場所にある邸に移り住んだのです。そのままそちらで。以降は、こちらは主に会合などで使うに留めております。住居、という意味では、離れに兄の娘と、それを養育している母達が起居していますが、それだけですね。あとはもう、ほぼほぼ邑の施設です。自警団の集会所と、医務を兼ねた診療所としての機能で七割でしょうか」
「そうでしたか」
長鳴と八重が、ちらと顔を見合わせながら苦笑する。
「ここは、大きさと
「なによりも、分不相応なもんを一家だけであれこれ抱え込んだままにしとけるほど、うちの邑には余裕があらへんからな」
「そういうことだよね」
長鳴が水泥に視線を向けた。
「何より、そういった行いは、余計な不穏なものをも呼び込む
その言葉から、今の彼等夫妻の考え方が明白に伝わる。実感が
邑長邸の中は、黒光りする程に磨き上げられた板張りの廊下でぐるりを囲んだ造りになっていた。そこを素足で上がる様に通される。これもまた異なる風俗でわずかに戸惑った。
荷を置きながら靴を脱いでいると、下女らしき出で立ちの女性が水を張った
が、長鳴は「客人へのもてなしです。受けてください」と言う。
その女性は――不思議な空気感の持ち主だった。
まず、なんといっても全体がふわりとやわらかそうだった。頬がふくよかだった。長い
そんな若い女性に、爪も
長旅で更には革の靴を履いていたのだから、汚れ以上に匂いを気にしたが、女性は気にも留めぬ様子で指の間まで綺麗に洗い、手拭いで拭き上げるとさっと立ち上がって
見送った背中は、矢張り脚を引き
通された部屋もやはり板張りで、
座するや否や、水泥はここしばらくの内に瀛洲で起きたことを矢継ぎ早に問い、長鳴がそれに答え、八重が補足を時折加えた。
結果水泥に知れたのは、大将軍の玉座簒奪は成功していたという事。そして水泥が遅れた事は既に大将軍側も承知の上で、文と使いの者の説明で、粗方彼等が理解を済ませているという事実だった。
八重ではなく
現在はその始末に追われていて実現されていないが、近く大将軍と蘇熊掌の会合も予定通り執り行われるそうだ。
沙璋璞を
故に、大将軍から彼等に送られた言葉は、「瀛洲邑長夫妻末永く息災で」という短文に
そこでようやく水泥は安堵した。大筋は予定と変わらなく順調に進んでいた。素直に「ああ、よかった」という言葉が口から出るほどに。
その辺りで、下女が茶を運んできた。先とはまた別の下女だったが、こちらは水泥の顔を見るなり一瞬ぎくりと硬直した。慣れた反応だったために特になんとも思わなかったが、そう言えばさっき足を洗ってくれた女性は、水泥の顔を見てもなんの反応も見せなかったなと、ふと思い至った。その違和感から、あんなにも事細かに彼女の容色を注視してしまったのだろう。そう己に納得させる。
でなければ、理由が見当たらないではないか。
三人の前に茶を置くと、下女は無言のまま退出していった。所作の一つ一つがやはり
一口すすってから茶托に戻すと、水泥は姿勢を改めた。
「急な来邑に御対応いただき、こころより感謝いたします。あらためて、蓬莱邑長
かたん、と八重が茶托に茶碗を落とした。
「兄々の、ですか」
「はい」
水泥は、はっきりと、ゆっくりと、視線を八重に合わせた。
「――いま、
「はい」
「兄は、蓬莱へ向かって邑を出たのではなかったはずなんですが」
つまり八重のこの眼は
「はい。ぼくは
長鳴が姿勢を正す。
「お尋ねしてもよいですか? それは、いつ頃のことでしょうか」
「そうですね――七年近く経ちましたね」
「じゃあ、邑を出てから割とすぐ言う事やんな」
「はい。八咫もそう言っていました。あの、先日こちらへ来られたと言う禁軍の使者の方は、恐らく大将軍の麾下の方ですよね?」
「はい。そう仰っておられました」
「だからこそ、その方には、大将軍の真意は伏せられていたはずです」
「真意、という事は、八咫について、大将軍が禁軍側に故意に伏せている事がある、という事ですか」
「はい」
「あの、じゃあ、兄々は今どこにいるんですか? 仙山やあらへんのですか?」
「彼は今
「――は」
「それは、仙山の命で、ということですか」
「いえ、違います」
八重がひゅっと小さく息を呑んだ。
「ほな、兄々は今、仙山とはどういう関係になってるんですか? まさか、敵対している――とかなんですか」
水泥は、ふうわりと微笑んだ。
「違います。仙山が、八咫の
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