45 誰やねんあんた⁉


         *


 長鳴ながなきすいどろは、二人連れ立って穿うがあなくぐった。かじが砕いて広げはしたが、それでも大柄な二人にこの孔は小さい。

 先に孔を抜けた長鳴が、後続する水泥の方へと首を巡らせる。長い蓬髪ほうはつに、右顔面をおお広範こうはんあざを持つ大男だ。一見してこれを警戒しなかった自分を今更不思議に思うが、ふ、と彼が向けた視線と、その後に浮かべられた笑みから、ああ、この物腰故か、と合点がてんが行く。

 やわらかく暖かいのだ。そのまとう空気が。

 水泥は、肩と頭を同時に打ち付けながら、何とか腕に抱えた包みだけは取り落とさないように死守し、孔を潜り切る。それを受けて、長鳴は「ごくろうさまです」とねぎらう。

 「ふぅ」と水泥の唇から安堵の吐息が漏れたので、長鳴は笑った。


「――ところで今更ですが、ぼくはこんなに堂々と邑に入って大丈夫なのかな」


 わずかな困惑の色を見せる水泥に、長鳴は一度ゆっくりまばたいてから、邑側と水泥とを交互に見て、今度は微妙な笑みを浮かべつつ首肯して見せた。

「――多分、大丈夫ですよ」

「たぶん」

「仮とは言え長の僕が連れ立っているのですから。文句は言われないと思います、きっと」

「きっと」


 何故だろう、寧ろ不安になるのは。


 磯は潮のに満ちている。今日は風があるためか飛沫が細かく散り、二人の着物を薄く濡らした。水泥にとっては初めての磯である。石蓴あおさでぬめった岩礁がんしょうは少しでも気を抜けば足を取られかねない。

 長鳴はその手に壺を詰めた籠を持ちながら、ひょいひょいと先へ進んでゆく。さすが慣れたものであると感心した。一方の水泥の荷は背嚢はいのうと水を詰めた革袋、それと片手に抱えた布の包みである。手間になるという意味では、どちらの荷も大差がない。それでこの歩みの差が出るのだから、やはり慣れた道行というものは大きい。危なげなく一歩一歩進みながら、ようやくの思いで岩礁を抜けた。

 乾いた土と砂の混じった浜へ足を着けてようやく安堵した水泥が一息を吐くと、長鳴が「あ、そうだ」と声を上げた。

「どうかなさいましたか?」

「文句を言う者はいないと思うのですが、少々うるさく騒ぐ者はいます。そこは、申し訳ありませんが御容赦くださいね」

「それは、」

 十分にまずいのでは、と言おうとした矢先だった。



「ちょっとー! 長鳴⁉ あんたいつまで何やってんのさー! すぐ帰るって言うたから待ってたのに!」



 やや離れた先から上がった若い女性のものらしき抗議の大声に水泥は思わずびくりとした。既に岩礁は抜けていたが、つい足元を滑らせるのではと警戒が余計に現れた。そしてそんな水泥の姿を長鳴の背後に見た少女が「はあ⁉」と更に頓狂とんきょうな声を上げた。

「でっか‼ ていうかうわびっくりした! 誰やねんあんた⁉ 知らん顔やん!」

 少女の方へ手を向け、長鳴は苦笑に顔を引きらせた。

「――ご紹介します。僕のさい八重やえです」

 少女は――いや、よくよく見れば少女と言う程は幼くはない。表情がくるくるとよく動くのと、短い髪型のせいで幼く見えるだけで、実際は妙齢の乙女と言ったほうが正しい。

 が、問題はそこではなかった。

 水泥は呆気に取られて八重の顔をまじまじと見つめた。それに気付いたのか、長鳴が怪訝な表情を作る。

「あの……どうかなさいましたか?」

「ああ、いえ。その……知人に、とても似ていたものですから」

 水泥は険しい顔で尚も八重の顔を見詰める。眉根を寄せて険しい色を浮かべた八重のその目鼻立ちは、年齢差や性別を考慮しても、確かに八咫やあたに酷似していた。

 そこでようやく気付いた。

 水泥の顔から血の気が引く。

「待ってください。彼女、八重と言いましたか」

「はい。八重やえおうといいます」

 水泥の表情が見る間に険しいものに変わってゆく。

「妻と? あなたの?」

「は、はい」

天照之あまてらすの八重やえおう……」

「はい、そうで――」



「なんで器の娘がまだいるんだ⁉」



 水泥の怒声が辺りに響き渡る。びくりと震えた八重の眼の前で、水泥は長鳴の襟元をつかんで叫んだ。

沙璋璞さしょうはくはすでに来ていたはずだ! 帝壼宮ていこんきゅうには誰が行った⁉」

 長鳴の表情が険しくなる。それを見て八重も事態が容易いものではないことに気付いたのか、その表情を険しくする。

「――説明が難しいのですが、彼女に変わり、兄が」

 水泥の心臓が厭な跳ね方をした。

「兄、とは、瀛洲えいしゅう邑長ゆうちょうの事ですか?」

「はい」

「それがどうして――沙璋璞は次期白玉の器を宮城内で護るためにという理由で瀛洲へ動くように仕向けたはずで……」

 長鳴が襟を掴んだままの水泥の手をそっと外させる。微かな緊迫と、苦しい色がそこにあった。

「詳細は省きますが、兄は八重の変わりにあたいすると判断されました。――それでどうか察してください」

 水泥はこくりと生唾を嚥下した。その説明で分からぬ程、己は察しが悪いようには出来ていない。それは紛れもなく、邑長自身が次期白玉の器足り得ると沙璋璞が判断した事を意味する。

「それは、それではその方は」

 長鳴は視線を僅かに逸らしながら続けた。

「兄は――いえ、こうなった以上、本当ならそう称するべきではないのかも知れませんが――兄は、己の責務にじゅんじるために邑を出ました。宮廷ではらんりょうの名をいただいております。本来の字名は熊掌ゆうひいみなせい、と」

 水泥の脳裏に、先程別れたばかりのかじの安堵した横顔が浮かぶ。あの時確かに彼はこう言っていたのだ。


 ――なら、瓊瓊杵ににぎにしろなんにしろ、せいが白玉に獲られる事はないってことだな。


 水泥は全身の血が逆流したように感じた。顔を東の涯へ向けるが、既にその天空には何一つの騎影も認める事はできない。

 理解した。繋がった。

 間に合わない。追いついて伝える手段がない。そもそも既に、その人物は帝壼宮にいる。伝えてどうなる。どうしようもない。いや、なによりも、



 



 そこで待ち受けているのは既に玉座を奪取した大将軍ではあるが、万一想定外の事が起きた場合、これを白玉に獲られれば全てが御破算となる。更には、このせいという人物の処遇を案じていた梶火の意にそぐわない結果ともなる。

 あの時、確かに梶火とは、瓊瓊杵を顕現する天照の条件として、性別が男性であることではと推測を立てたし、相互に確認もした。しかしこれでは話が食い違う。何がどうなっている。

 そして、今考え得る可能性として最もまずいのは、大将軍の玉座簒奪が失敗に終わっていた場合だ。

 よしんばそれが成功していたとしても、帝壼宮で事が再び逆転した場合、瀛洲のさんぽう合祀ごうしが『環』で方丈ほうじょうに呼び戻されてしまえば、もう仙山側としては取り返しが付かない。完全に手出しができなくなる。だからこそ『かんばせ』の解放と時を同じくすべくいそいでいたのだというのに……。

 今、水泥が持参した刀は折れて使い物にならない状態なのだ。

 くばかりの心が水泥を常になく荒くさせていた。

「長鳴くん」

「は、はい」

「ぼくが意識を手放していた内に思っていた以上に事はずれ込んでしまっていたらしい。現状の確認をさせていただきたいのと、それから鍛冶場をお借りしたい。刀を打ち直さなくてはならない。それも早急に」




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