49 これは、八咫が描いた道です



 計らずも自らが水泥すいどろに与えた衝撃を余所よそに、長鳴ながなきは「ううん」と唇を曲げ、腕を組みなおす。

「――いや、しかし結果は同じなのか。『環』で捕らえた者は尾椎側を手にした者に従わざるを得なくなる。異地からすれば五貴人は同陣営だ。彼等ならば素戔嗚を従わせ異地に連れ戻ることもやぶさかではないから反意の心配もない。それと、恐らく神とされるものは五人がかりでなければ捕縛できないほどに強いということなんだろうな……そしてこれを前例として体現していたのが白玉だと。だからどの道、素戔嗚を抑え込むのに五人は必要だということか……」

「……そう、ですね」

 独りち、一人で納得してゆく長鳴に、水泥は溜息を吐いた。そうだ。結局は同じ事なのだ。きっと。

 思い込む事で、にじむ不安を水泥は飲み込んだ。


 一方、長鳴の表情は、次第に硬さを増してゆく。


「しかし、一番成功に近い状況を目指している月桃自身は国土の壊滅を望んでいる」

「そうです」

「そしてその理由ははっきりしておらず、また月如艶は恐らくその事に気付いていない」

「そういうことです」

 ぺちり、と長鳴が自身の額を掌で打った。

「しくじった……!」

「はい?」

「――いえ、如艶が五百年かけて何もできないわけだと……思いまして」


 長鳴の口中に苦い物が満ちる。

 『環』があれば素戔嗚を捕らえられたというならば、異地の思惑と都合次第では五貴人の復活でなくとも良かった訳だ。しかし『環』足り得る骨は全て破壊し尽くしてしまっている。今更口にしてどうなることでもない。してや今目の前にいるのはにえに志願している男なのである。言葉にして発するのは無粋ぶすいを越えて無配慮が過ぎよう。故に長鳴はその点について口を閉ざすと決めた。

 そんな長鳴の内心を見抜いているのか否か。判別の付かない眼差しで、水泥は邑長代理をじっと見据える。しばしの沈黙。ややあって、水泥は口元を一度引き結び、そして開いた。



「……この実現の為には、白玉から木花之このはな佐久さくひめではなく瓊瓊杵ににぎを引き出す顕現を得なければなりません。――その為に、げっちょうはこの五百年間、五邑内に間諜を飛ばして、密かにこれを為しうる者の誕生をさぐりつつ待ち続けていたのだそうです。――それこそが、天照の血を引く男児だった」



「――天照の男児、ですか」

 聞き慣れぬその言葉に、夫妻が同時にぱちくりと瞬きをする。

 八重が「ん」と一瞬唸り、「ううん?」と首をひねった。

「天照?」

「はい」

「天照の、えと、男ってこと?」

「そうです。ぼく自身も、つい先日ようやく知ったばかりですが」

 八重の眉間がひどく険しく寄せられた。

「ちょっとごめんね、一番聞きたい事はあるんやけど、それは怖すぎるから後にするな? 先に整理さして? その、天照の男児さんは、瓊瓊杵の顕現になれる人で、黄泉比良坂も繋げられる人なんやな?」

「はい。そうです」

「え、まって。白玉って継承したら人間の意識残らへんやん? 瓊瓊杵は違うん?」

「わかりません」

「いや、わからんて」

「まだそれが顕現された事がありませんので」

「――ああ、いやまあそらそうやけども」

「ですから、順序をたがえると大変な事になるのです」

「順序」

「瓊瓊杵の顕現となった場合に、肉体の主の「識」が維持される保証はありません。これまでの白玉を見てきたぶんから推察するならば、、肉体は瓊瓊杵に支配されるでしょう。万一、瓊瓊杵の意志が素戔嗚の願いに添う物であった場合、本当に取り返しが付かなくなる。だから、絶対に瓊瓊杵の継承よりも先に黄泉比良坂を開かなくてはならない」

「ちょっと待って」

 八重が手を上げる。

「その、ヨモツなんたらいう坂の事はまあ先にやらなあかんのは分かったけども、え、何?『神域』?」

「はい。『神域』です。神々の魂がおわ御蔵みくらです。歴代の白玉を継承した娘たちは、全て神格を得て『神域』にその「識」が入っています」

 八重の目がいぶかしいものを浮かべて水泥に向けられる。

「今まで白玉になった女の子たちは、みんな意識が残ってるいうこと?」

「そうです」

「『神域』って言う場所に生きてんの?」

 水泥はわずかに目を伏せ「生きている、という表現でよいのかは定かではありませんが――」とつぶやいてのち、ついと真っ直ぐに視線を寄越よこした。



「自我はあります。神々は各々の『神域』を持ちます。神の数だけ『神域』があると考えていただいて結構でしょう。そして神格を得た者は自らの血統の祖神がいる『神域』に呼び込まれ、神と同一化する。ようは祖先の魂と合一ごういつするのです」



 気のせいか。室内の空気がすっと冷え込んだ。

 長鳴の背を、ざわりとしたくら不穏ふおんい上る。

 白玉の器となる。それは死だと理解していた。奪われた犠牲だと読み解いてきた。

 しかしそれが「識」の消失ではなく神との同化と言うならば話が違う。朽ちるのではなく、神の領域へと至るという。ならば。


 ――これでは、見方によっては、僥倖ぎょうこうとなり兼ねないではないか。


 長鳴は数度またたくも言葉は発せず。その代わりに、八重がついと背筋を正した。

「……なんでそんな事あんたにわかんの」

 低い八重の声に、水泥はふうわりと笑んで見せた。

「――月桃が、そう言っていました。あれは、『神域』の者であって人ではないので」

「いや。ひと、ではないって、五邑とか姮娥とかそういったたぐいの話ではなく?」

「あれは、素戔嗚と同じく、いわば神そのものなのです」

「――その、神さんが、つまり」

「はい」

「素戔嗚を利用して、国を滅ぼそうとしてはると」

「そうです」

 長鳴の表情が憤怒に等しいものに変わる。

「――貴方方は、なぜそんな者と結託けったくしているのですか」

 水泥は黙ったまま自身の左掌を見た。傷だらけで分厚い皮と短くなった爪。この手で生み出し刻んできたあらゆるものを思い、ぐっとそれを握りしめた。その手首には、内に虹の煌めきを湛えた水晶の数珠が巻かれている。それがぎらりと光った。



「――我々には力がない」



 握りしめたのは、明らかな無力だった。

「長鳴くん。姮娥の総人口は凡そ五千万です。その内、禁軍は五百万、黄師が百万。対する仙山は、現在一万五千に満たないのです。この手勢で贄を用意し白玉奪還まで実現することは困難があまりに大きい。方丈の『真名』の『環』解除には、黄師の頂点である月桃と密かに結ぶよりなかったのです」

「それは、分かりますが……」

「仙山設立当初の本懐には、白玉の奪還後、この力を以てして異地に攻め入り、我等が祖を売り渡した異地の帝を討ち果たし、五邑の被った積年の犠牲に対する報復を行う事も含まれていました。黄泉比良坂を開く事は必達目標だった」

「異地への報復って、そんなこと――」

 水泥は首を横に振った。

「――勿論、いまは違います。多くはもうそんな事は忘れているし、そんな事まで考えている余裕はない。四年前の瓊高臼との戦いで、そんな初心は灰燼かいじんに帰した。ぼくたちは、あまりに多くの仲間の命を失い、決して手を結んではならないものと結んだ。しかし、どうしてもこの道しか選べなかった」

 水泥のまなうらに、両手で頭を抱えてうずくま八咫やあたの背中が黄泉よみがえる。


(――なあ、すいどろ兄さん、俺さ……どうしても忘れられねぇんだよ。寝棲のあの時の言葉が)


 ぱたぱたと、幾筋もの涙が八咫の頬を伝い落ち、荒れた砂地の上に吸い込まれていったのを、水泥もまた忘れられずにいた。



「――これは、八咫がえがいた道です」




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