56 いい加減懲りろ



 男女取り交ぜた四人は、すいどろが止める間もなく、きよ香の行く手をはばんだ。

余所者よそものがきたかと思えば、すぐに色目使いやがる。やっぱり罪人の血は争えねェな。やる事も考える事もきたねェや」

 そう吐き捨てるようにわらったのは、赤茶けた髪のせた男だった。

 浜上がりなのか、男共はいずれも尻っぱしょりだ。女だけが婀娜あだ小袖こそでまとい、小首を傾げて腕組みする。こちらは――じっと、きよ香をにらんでいた。

 次いで、矮小わいしょう短躯たんくで眉の太ましいのが、腹を揺らしながらその身で押すようにきよ香に詰め寄る。その様を見ただけで水泥の首筋にぞわりと怒りがのぼる。しかし、追ってつむがれた言葉は更に酷い。

「傷モンのぶたが図々しい。むらの人間でお前の素性を知らんモンなんかいねぇからな。相手にされたくて必死か? ああ?」

 「よせよ」と、その後ろから静かな声を発したのは、冷たく美麗な顔をした優男やさおとこだ。婀娜女が、その男の腕に自身の腕を絡める。

ししより獰猛どうもう、猿より噛みつく手の付けようのない醜女しこめだぜ。ぶすなりに股でも開いて邑から連れ出してもらおうと必死なんだよ。瀛洲ここにいる限り、まともな人間扱いなんて、こいつには夢のまた夢だからな。いっそあわれじゃないか。あんまりなぶってやるな」

 静かな口調ながら、その優男の眼に宿る憎悪の火が一番ぎらりと重々しい。

 きよ香は、静かに凍り付いた顔のまま、何も言い返そうとはしない。視線はいつかのごとく地べたにめられていた。投げつけられる暴言が終わるのを待ちながら、じっと立ち尽くしている。――いや、よく見れば赤茶けた髪の男がきよ香のくんと前垂れをつかんでいるのだ。だから動くに動けない。



 きよ香の、着物を、不躾ぶしつけに、男がつかんでいる。



「っ‼」

 そう認識した瞬間に、水泥の頭にざっと血がのぼった。反射的に脹脛ふくらはぎに力が入る。衝動に任せて殴り掛かるべく駆け出そうとした。しかしその目前に、優男が「はっ」と嗤うのが聞こえた。


「あんなみにくただヅラなら、どう見てもおんなりだ。いっそお前とはお似合いだろうよ」


 その言葉が自身を指していると水泥が理解するのが早いか。もしくは男が言い終わるのが早いか。またはきよ香の右手から藤籠が落ちるが先か。――そのいずれよりも先んじて、きよ香の左腕が優男ののどに伸びた。

 次の瞬間、「ごっ」という凄まじい音が響く。



 きよ香が優男の喉を掴み、自らに引き寄せ額に頭突きをしていたのだ。



 「あ」と、思わず水泥は喉を鳴らした。無意識だった。

 唖然として二の足を踏んでいると、低い声音できよ香が言い放った。

「あの方はおさの客人。無礼な物言いはした方が良いです」

「くっそ、このでぶがっ……」

 再び、「ご」と凄まじい音が鳴り響く。

松八まつや

「こっ、この死にぞこないの蔓斑つるまだらがっ……気安く俺の名前をよ」

 「ごっ」

「いっ、いたっ、きよっ、お前やめっ」

「松八」

 「ごんっ」「ごんっ」

 松八、と呼ばれた優男は、ついに腰がくだけたかその場に膝を折った。

「やめて……っ」

「まつや」

 優男は半泣きできよ香を見上げ、他の連中は唖然あぜんとして身動みじろぎもならず、きよ香の額からは、だらり、血が垂れる。

 凍り付いたきよ香のまなじりに、とろり、血が流れ込む。



玉潰たまつぶされるだけじゃ気が済まんのか、あんたは。いい加減りろ」



 「ひっ」と息を呑んだのは、その場にいたきよ香以外の全員だった。

 無論、水泥も含む。


         *


「見てた」

「――はい」

「……聞いてた?」

「――はい」

 きよ香は「ふぅ」と溜息を零し笑った。


「いやなところ見られちゃったなぁ」


 すいどろは眉間に皺を寄せながら、濡らした手拭いできよ香の額をぬぐう。いてみて気付いたが、きよ香自身の傷は浅い。つまりこの手拭いを真っ赤に染め上げているのは、ほぼあのまつとか言う優男からの返り血なのだ。

 

 ならば――まあいいか、と思った。

 

 二人、鍛冶場かじばの板の間でし向き合っていた。きよ香は正座でちょこんと座っている。行儀よくその両手は膝の上だ。水泥自身も、手当のために正座している。

 「いい加減懲りろ」という言葉の後、その場を震わせたのはまつすすり泣きだった。意気地のない事に、他の連中は凍り付いたまま、やはり身動ぎもできずにいた。

 否、それは水泥も同じだったか。


 水泥が呆然と立ち尽くしたままでいると、すっくと立ちあがったきよ香は、近くに落としていた藤籠を取り上げた。不自由な脚で歩き出すと、するり、若草色の前垂れが解けて落ちた。赤茶けた髪の男の手に、その紐の端が掴まれたままだったのである。

 きよ香の身に巻き付いていた不自由が、しがらみが、するり解き放たれたような、そんな風景にも思えた。

 ゆるい坂道をのぼりくる彼女を、水泥は黙って待っていた。やがて、きよ香も水泥が自分を見ているのに気付く。

 瞬間、きよ香はぎくりと震えたが、水泥がゆっくりと笑って手を差し伸べると、彼女もようやく全身の力を抜き、いつもの笑顔を浮かべて、そっと藤籠を差し伸べた。


 中身の朝餉あさげは干した白身魚を混ぜたかゆで、まだ十二分にあたたかかった。


 「ふぅ」、ときよ香が溜息をく。

「ごめんなさい、本当にへんなところを見せてしまって」

 小さな声での謝罪に、水泥は頭を横に振る。

「どこからどう見ても、君が一方的にやられていた。寧ろ、すぐに助けに入らなくて、ごめんなさい」

「わたしの……」

 言いながら、きよ香の手が、額の傷を拭う水泥の手にかかり、そっと下に下ろす。

「わたしの従兄弟いとこ叔父おじは、ゆうを――長をおそった咎人とがびとで」

「え」

らえられたんですが、牢から逃げようと火を着けたんです。……随分と昔の事ですが」

「そう、でしたか」

 それが、八年前にえいしゅうを襲った火災の事だというのは、水泥にも察せられた。外された手拭いをそのまま掴んでいるのはなんなので、すすいでしまおうと、右隣に置いていたたらいの方へ水泥は体を向けた。

 「ふふ」、と、どこか投げやりな笑いがきよ香の唇から零れ落ちる。


「――それで、色んなものが燃えました。それから、そのせいで黄師こうしむらに入り込んできて、邑人むらびとが百人近く死にました。――幼馴染のしぃの爺ちゃんも亡くなった。松八の幼馴染の、みつも」


 ぱしゃり、思わずたらいの中に手拭いを取り落とす。

 目を向けると、きよ香はうっすらと微笑んで、部屋の片隅を見つめていた。


「松八は、みつと、大きくなったら所帯持とうって約束してたそうです。でもあの火事で死んだ。――蔓斑つるまだらの家の事なのはすぐに知れ渡って、両親は殴り殺されました。わたしは焼かれたけれど生き残ってしまって……松八は、それがゆるせなかったんです」

「それは、君のせいじゃ」

「ええ。わたしのせいじゃない。でもわたしがつるまだらなのは変わらない」


 ――ぴちょん、と、水泥の指先から落ちたしずくが、たらいの表面で、ねた。


火傷やけどが落ち着くまで長邸でめんどう見てもらいました。家も焼けてしまっていたし、邑の人らからの恨みも深いから、一人では危ないと、奥様方が長邸の下女にして下さったんです。そうやって守ってもらったの。――こんな容姿だし、蔓斑だしで、どこにも嫁の貰い手がなくて。だから、このままじゃくのばあちゃんみたいに引っ込んでよと思ってたら、松八が嫁にほしいって書状をよこして来て」

「――は」

「それまで二人で話した事なんて一度もなかったのに。大事な話があるというので何かと思ったら漁師小屋に連れ込まれて。そういう口実で、報復の為にけがすだけ汚してやろうと思ったと言うので――つぶしてやったんです」

 何を、と言うのは、さっき聞いた通りなのだろう。

南辰なんしん様には、両方はやり過ぎだと叱られましたが」

 なんの両方を、とは聞き返せなかった。

み千切られなかっただけありがたいと思ってほしいです」

 何を、とは言わなかったので、確認する事はした。――止したが、思わずちぢみ上がった。

「しぃの爺ちゃんには、いっぱいきたえてもらったから。わたしはひとりでも生きて行けるし、自分の事は自分で護れるけれど――」

 ぎゅ、ときよ香の眉間が寄せられた。


「――ぬか喜びさせて、がっかりさせてしまった。心配してくれていた奥様方に、一番申し訳が立たない」


 「はぁ」とこぼれ落ちた吐息が、静かに重くたらいの内に溶けていった。






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