54 昼餉
*
「ご無礼いたします」
途端――ざん、と山が吠えた。
吹きさらしの
ようよう風が落ち着いてから、水泥はひとつ咳払いをした。不格好にも顔面にばさりとかかった黒い
女性はその手に
「
はじめて耳にした彼女の声は、思っていたよりもか細く、またかすれていた。あまり大声を上げるのを好まないのが、その
気配までもが
そこで何故か――悪い事をしているような気になった。
何故と言って、理由は思い当たらない。ふと、彼女と視線が合わぬ事に気付いた。
見上げられぬ限り、水泥は大抵の人と視線が合わぬが、彼女は更に伏し目がちに、一途に、地に散った花弁を見つめている。
そこで、己があまりにも彼女を凝視している事を自覚し、加えて、今の自身の
――ああ、これは、いかん。
平気の平左を装いつつ、彼女から背を向け、近場に投げ捨てておいた
女性に対してこんな思いを抱くのは、全くはじめての事だった。
脚は出たまま、
「すみません、お見苦しい物を」
第一声でそう発すると、彼女はようやく視線を水泥へと向けた。
「みぐるしい、とは」
そう問い返されるとは思わなかったので、返答に
「――
と、普段は理由にしない
彼女の右眉が、ぴくりと一瞬動く。
「それは、お顔の事ですか」
水泥は、敢えて笑みを深くした。
「はい。若い女性の目で見て楽しいものではないでしょう」
しかし彼女は――藤籠を下げた右手首を、もう一方の手でゆっくりさすりながら、ちいさく溜息をこぼした。
「――肌の
なおも言い募る彼女に、水泥は更に笑った。
笑うしかなかった。
彼女自身は、
浴びせかけられる嫌悪の視線が、平気だった事などない。苦しくなかったわけでもない。辛くなかったわけでは決してないのだ。彼女は、それは隠すべきものではないと、あなたは悪くないのだと、そうはっきり言っている。幼い自分の
手ぬぐいで乱雑に髪を
隠したかったのか、己が。恥じているのか。
――何を?
わからなくて、また笑った。
「人が人の容姿をどう受けとるものか、それはよくは分かりませんが、ぼくは、この顔でよく人を驚かせますので」
「わたしも
はっきりとした声音でそういうと、彼女は足元に藤籠をおき、ばさり、と、若草色の前垂れと共に、薄黄色の
「っ」
思わず水泥は息を詰める。
本来白くきめの細かい肌なのだろう。肉付きのよい女の両脚には、引き
「わたしは、見苦しいですか」
一言一言、はっきりと区切る様に言う彼女の
なにをやらせているのだ、こんな若い女性に。
「――すみません」
としか言えず、それを受けて彼女も「いえ」とまくり上げたものを下ろした。
――と、ぴーひょろろろ、と、山のどこかで呑気な鳥の音がした。二人同時に音の主の影を求めて顔を上げる。それで、視線があった。
見つめ合う。瞬く時すら、同時だった。
彼女が再び視線を
「では、女性の前で裸をさらしていたことをお詫びしましょうかね」
「不要です。ここは漁師の
というわりに、視線は水泥の身体から
こほ、と彼女はひとつ咳払いをし、ゆっくり体を曲げて藤籠を取り上げた。
「そろそろ、鍛冶場の中へおじゃましてもよろしいですか? 昼餉が冷めます」
ああ、そう言えば、最初から彼女はそう言っていた。
「はい。ありがとうございます。散らかしていますがどうぞ」
軽く首肯して見せると、彼女は水泥の
そして、その瞳の色が、薄茶に緑を散らしたものなのを、その時はじめて知った。
二人並び、ゆっくりと鍛冶場の表へ向かう。
さわさわと、なにか落ち着かなく浮き足立ったものが水泥の両肩を撫でている。うれしいような、なんとなく歯がゆいような、不思議な心地がした。
「今日は何をいただけるのでしょうか」
素知らぬ振りで問いながら手を伸ばすと、意を汲んだ彼女は水泥の手に藤籠を預けた。
「麦飯、たくあん、
「それはまた、ずいぶんとご
手元の藤籠の中を目を丸くして覗き込む水泥を見て、彼女はようやく、満足そうに小首を
「でしょう?
その笑顔があまりに
「申し遅れました。
彼女もまた、小首を
「
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青嵐――新緑のころのやや強い風。初夏の風。
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