43 甘い
最後に二人で話をすると言い、
断崖絶壁の
初めて目にする海と瀛洲に、水泥は言葉を失う。
それは大海を見下ろすのと同じ事だった。
瀛洲は、まるで巨大な鳥のようだった。その両翼を広げてうずくまり、大海を胸で受け止めるように
打ち寄せる
「美しい
「ああ。俺の全てがここにつまってる」
小声で梶火がそう
しかし、梶火は少しだけ苦しそうに微笑むに留めた。それで水泥もそれ以上問う事をよした。
その瞳の色には覚えがあった。ただし、水泥の知る瞳の色の方は白かったし、
馬鹿になれるほど、誰かを思える心が少しだけうらやましかった。
「水麒」
「はい」
「聞いた策の通りに運んでいれば、
「ええ」
「で、
「はい。それを璋璞隊に先んじてお伝えする事がぼくの任の一つでしたが、事故でこんな事に。しかし、結果的に変わりはしないでしょう。白玉の継承は完全に絶たれます」
梶火が微か俯いて、聞き取れないくらいの小声で呟いた。
「……なら、瓊瓊杵にしろなんにしろ、
「? 何か仰いましたか?」
「いや、何でもない。なるべく急いでそれを邑長に伝えてやってくれ。もしかしたら既に長も
「分かりました。確かに伝えます」
にっと笑うと、梶火は馬の手綱を引いた。
「では、俺も行く」
「はい、本当にありがとうございました」
僅か、梶火は名残惜しそうに、確かめるようにゆっくりと
「武運を、祈るよ」
水泥は、ぐっと詰まりそうになるのを堪えて、同じく頷く。
「ぼくは、出会った境遇が違ったら、あなたの下に付きたかった気がする」
ははっと梶火は笑った。
「
「本心です」
水泥の目をみて、梶火は苦笑した。
「ありがとう。嬉しいよ」
馬上から見下ろす梶火と、見上げる水泥。互いにこれが最期の時になると理解していた。梶火の眼が、微かに真剣な色を浮かべる。
「水麒」
「はい」
「――
あ、と水泥は眼を大きく見開いた。
「もし、お前がどうしても必要だと判断したなら、または望んだなら、この知を使え。囲いに入れていいかどうかの判断は
思わず涙が浮かびそうになり、水泥は眼を閉じて首を振った。
「――あなたは、本当に甘い」
梶火は幸せそうに笑った。そして、少しだけ苦しそうにした。
「知っている。俺は、俺に与えられたこの人生は、幸運だった」
「梶火、そろそろ」
やや離れた場所から
「ではな。互いに死出の旅路だ。再会は来世かも知れんが、その時は共に祝おうな」
「はい。あなたこそ、どうかご武運を」
梶火の左の拳と、水泥の右の拳が打ち合わされる。
水泥は崖の上から彼等が天に飛ぶのを見送った。海の彼方へと駆け去ってゆく二十の騎影と三十の飛翔を見送り、ああ、あれは
臨赤とは、それを取りまとめる人物の心そのままに、境界を踏み越えて行く集なのだと分かった。そして、自分の中にもやはりあった、
あらゆる者に対して平等であろうとする事は難しい。そしてそれを軽々と飛び越えて行く、
自身はそうはあれないからこそ、更に。
*
時は
あれ以来、
やがて
「瀛洲邑長夫妻末永く息災で」
思いも寄らぬ文言に、長鳴と八重は顔を見合わせ言葉を失った。本当に、その一文が全てだった。
文を届けた人物は禁軍の所属である事と、大将軍の直属の
黄師が持ち込む荷の受け渡し場所として、東の入り口の端に新たに設けられた
李毛を出向かえたのは長鳴と
「
「ああ」と、長鳴は声を上げた。
「あの、兄とは」
「ありがたい事に懇意にさせて頂いております。
「そう、でしたか」
しばし呆気に取られて後、「あの」と長鳴がおずおずと尋ねる。
「お体の具合は、如何程でしょうか」
李毛はからりとした笑い声を聞かせた。
「お陰様を持ちまして、何物にも
「それは――本当に良かったです」
長鳴は薬効が確かであった事に安堵した。
「いえ、確認は何度も致しましたが、実際に服用頂いている方のご意見が聞けることが何よりも実証になりますので」
「本当に、一同感謝致しております」
李毛は、改めて深く深く頭を垂れた。
「――ところで」
隣で難しい顔をして文を広げていた八重が、やはり難しい顔のまま李毛に問う。
「一体、この禁軍大将軍とかいうお人は、何を考えとるんや」
「そうだね。ちょっと、僕にもわからないな」
二人の言葉に、李毛は声もなく笑った。
「だって、こんなん、こんなん、ありえへんやろ……。器にできる娘が減ったんやで? 三人しかおらんはずの? いくら熊掌が行ったからって、こんなんで済ませるわけないやない。頭おかしい人なん……?」
予想外が過ぎる展開に、八重は混乱が頂点に達していた。暴言を吐く事でしか心を落ち着かせる手立てを持たなかったらしい。終に李毛は噴き出した。
「いや、失礼。
そこで八重がはっとして顔を青くする。
「待って、これ不敬罪とかになる?」
「いえ、大丈夫でしょう。お笑いになられるとは思いますが」
「あの、ちなみに今、帝壼宮で兄は」
長鳴が問うと、そこで、突如李毛の表情が真剣味を帯びた。
「蘇藍龍は――為すべきを為しているとお考え下さい」
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