42 青い

 

 一隊は湿地を抜けた。眼前にはこれまでとは異なり、渇いた砂地を多く含む景色が広がっていた。岩も点在している。と、急に全身を被膜が覆うような感触がして、世界は色を失った。てい州の囲いを出たのだ。

 夜闇の途切れぬ、統治の及ばぬ荒野――州境しゅうざかいである。

 梶火かじほ水泥すいどろの周囲の護衛が心なしか距離を詰める。これまでよりも警戒が必要な地域に入った事を意味しているのだろう。

 薄闇の中で、梶火が「水麒すいき」と名を呼ぶ。

「もしかしたら既に知っている事かも知れんが、邑長から死屍しし散華さんげが消失するのと入れ替わるようにして、別の力の蓄積ちくせきが始まったそうだ。それを破砕牙はさいがと呼ぶらしい」



 一瞬の間を置いてから――水泥はゆっくりとまばたき、それからじっと梶火の目を見た。



「破砕牙、ですか。

「そうか。それが瓊瓊ににの力の名なんだと。それから奴は、邑長の事を自分の子孫だと言ったらしい」

「子孫、なのですか」

「ああ。恐らく天照の血は異地の帝の血に近いんだろうな。八咫は――その、おすくにとのことは聞いているか」

「――ええ。はっきりとは口にしていませんでしたが」

「あの二人は、互いを交とした結果、種が焼け切れているそうだ。瓊瓊杵いわく、満ちた肉体の子は、道と繋がる前にその種を焼かれたため『神域』に入る格を喪った――と」

「八咫は、顕現候補からは脱落している、と」

「そういうことになるんだろう。あと、過去にも該当者がもう一人いたらしいが、これは受諾がされず、失敗に終わったらしい」

「そうでしたか」

 水泥は厳しい顔をしてうつむいた。

「何がどう作用するかわかったもんじゃねぇよ」

 びう、と風が両者の顔面に叩きつけられる。

 梶火の声音は、天のそれを移し取ったように――くらい。

 道なき道を行く彼等の頭上に、満点の星々がさざめいている。肌の上を、ひやりと冷たい風が撫でていった。

「破砕牙を顕現できるのは、天照の血を引く者に限られるとしよう。死屍散華を消失した二人の共通点をそれだとすれば、だがな。しかしそれならばこれまでにも何人もいたはずだ。事実、長の母親も、八咫達の母親も、無論八重もそうだ。――こうなってくると、考え得る可能性はただ一つ」

 は、と水泥は息を呑んだ。



「――性別ですか」



「恐らくは」

 梶火は厳しい顔で首肯して見せた。

「俺は、これまで天照の血統に男が存在したのか、しなかったのか。そんな事は知らない。しかし、俺の知る限り、二人以外に存在しない事も確かなんだ」

 と、再び被膜を通過した感触がした。視界全体を明るい天空が満たす。すでに夜明けの刻限だったのだ。太陽のまぶしさに水泥は思わず目をつむった。ここよりえいしゅうに入ったのだと理解する。

「夜明けだな」

「ええ」

 水泥は、すがめていた目をゆっくりと開いた。そして――天をあおいで言葉を失った。



「――青い」



「ああそうか。初めて見るか。瀛洲のそらはな、青いんだよ」

 梶火はふわりと目を細めて笑った。

「囲いの外では、やはり夜明けは分かりにくいな」

「本当に。――あの、梶火。最後に一つ、贄について最も重要な条件を伝えらしていました」

「なんだ」

「贄は、当人が了承していないと成立しないのです」

 梶火が息を呑んだのが隣にいる水泥にも伝わった。

「――つまり、志願者が五人そろわなくてはならないと」

「はい」

「五百年かかるような条件じゃねぇだろと思ったが、案外そうでもなかったらしいな。完全に『色変わり』しない男が五人、それも自らの意志でならなきゃならんと」

 ちらと梶火が水泥に厭そうな目を向けた。

「――それはもしかしなくても、『環』の連中もまた自らそれに志願してなったという事になるか」

「恐らくは」

 はあああ、と梶火が重い溜息を零した。

「考えるだけで頭が痛い」

「奇遇ですね。ぼくもです」

「異地の奴等は一体何を考えてそうまでして白玉はくぎょくを捕えようなんてしたんだ? 仮にも自分達の神だろうが」

「こちらの赤玉とは、根本的にまるで違うものなのかも知れませんね」

「そうだな」

 二人は、そこでようやく深い溜息をらした。

「つまり水麒、お前が贄に決まったのは、完全に『色変わり』しない男で、自らその任に着いたから、という事だったんだな」

「はい」

「――本当に、知らない事だらけだったな」




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