41 従兄弟


 すいどろは頭を殴られたような気がした。

「確かに……」

 梶火は小さく咳払いをした。

「――長らく違和感はあったんだ。そもそも、いくら叛意はんいがあったとはいえ、むらつぶすまでする事か、と。だが、主目的が死屍しし散華さんげの回収ではなく『かん』の黄泉よみがえりだったならば、その揺籃ようらんでしかない邑は不要になれば処分もするだろう。死屍散華の量は国土をおおくしてなお余りに余っている。現状以上徴収ちょうしゅうする意味がないどころか姮娥こうがにとっちゃすでに害でしかない。それでも諸悪の根源である白玉を殺さなかったのは、『環』を黄泉よみがえらせなくてはならんかったからだと言われれば合点がてんが行く」

「そうですね……ぼくも今に落ちた気がします」

 梶火は苦い笑みを浮かべた唇を、自身の親指でぬぐう。

「ああ、まったく御見おみそれするぜ。げつがああまでして欲した死屍しし散華さんげだっていうのに、ふたを開けて見りゃあ自滅しかねねぇほど無尽蔵むじんぞうにありやがる。しかも、持ってた異地いちからすりゃあ、どうでも良い副産物程度の物に過ぎんかったってわけだ」

「どうでも良い……ですか?」

「ああ、無価値無害と言っていいだろうよ。俺等自身をかえりみれば明白だ。触れれば多少寿命が縮む程度の作用しかしねぇ。よくて餓鬼に与えりゃちっとばかし成長促進するくらいのもんだぜ」

「……たしかに」

「異地からすりゃあ安い対価で大物を要求できてお得な買い物だったろうよ、まったく巫山戯ふざけやがって……俺等が飲まされ続けた煮え湯の扱いの軽さよ」



「――挙句あげくが、姮娥こうがの民をも見殺しにしているこの現状というわけか… ※魯鈍漢ろどんかん共が」



 ぼそりとこぼれ落ちた水泥すいどろの、低い声音に本音がにじむ。それがかじの背筋に、つるりと冷ややかなものを走らせる。無意識にもれるほどの怒りであったと、水泥自身に自覚がなかった。

 梶火は、再び一つ咳払いをする。

「……なあ水麒すいき黄泉よみがえりが完了すれば、五貴人は異地いちへ戻ると考えているんだな?」

 梶火の問いに、一瞬だけ詰まった。

「――はい。それが八咫と仙山の結論です」

「目的が素戔嗚すさのおならば、五貴人自体は別に必須ではないとは考えないのか?」

「――わざわざ不死者として黄泉返らせたものを、そのまま別天地べってんちに放置しておくものでしょうか?」

「寿命の異なるものの混入は争いの元ともなるぞ。姮娥こうがの現状がそうだ」

いつにするものの不死は、長期的な戦いを見据えた時、大きな手札となるでしょう」

「ああ……それは、確かにそうか……」

 水泥は手綱を強く握り直した。

「しかし、望んだところでこれも容易たやすせるものではありません。彼等が異地へ戻るには黄泉よもつ比良坂ひらさかが繋がっている事が前提になります。しかし、これをつなげ開くために何をしなくてはならないかがどうしても分からなかった。だからそれを知るために八咫は方丈ほうじょうへ向かうと決めたのです。白玉と赤玉を元に戻すには、これを避けて通れない」

 そこで梶火は顔をしかめながら嗤った。

「だからと言っておいそれと乗り込むような場所でもあるまい……簡単に言ってくれるが、あれは敵の本拠地だぞ」

 最もな指摘に、しかし水泥は視線を下げてぽつりと零した。


「――贖罪しょくざいだと言っていましたよ」


「贖罪?」

はくの遺児を取り戻すために、彼はとても無理な手を打った。そしてそれは失敗に終わり、結果的に多くの仲間を死なせた」

 水泥と梶火、両者の脳裏に、りし日の少年の姿がよぎる。赤銅色によく焼けた肌と、ひどく硬い髪質の少年だった。無論、歳月のへだてがあるため、二人の知るその容色は大きく異なっている。しかし決して変わる事のない性質がある。


 彼は、一度進みだしたら決して引き返せないのだ。


「……梶火は、目覚めの事はご存知ですか」

 梶火の眉間にぎゅっと皺が寄せられる。

「――ああ。妣國ははのくにの連中の身に発生する暴走現象だとか」

 「ええ」と水泥は首肯する。

「あの目覚めで、仙山の多くの仲間が共食いにより死にました。あれは流れが悪かったのだと、ぼくは考えています。遺児奪還の策を失した時と目覚めの過剰発生が重なったのは偶然に過ぎません。しかし八咫は自らのえいしゅう出奔と、目覚めの発生時期が重なった事から、自身の行動の関与を疑った」

「あいつ、あれを自分のせいだと思ってやがったのか」

「思う以上に自罰的なのです、彼は。――出奔間際に父親が死に、それを捨て置いて出て来た負い目がある」

「ああ……」

「一度やると決めた行動は撤回できない。しかし、彼の目は、一度見た物は絶対に忘れられない」

 梶火がぐっと詰まる。

「それは」



「――父親の遺骸を見ているのです、彼は。父のつぶれた脳が、その場にいた妹の顔が、あの目が忘れられないと、そう言っていました」



 暫時の間をおいてから、梶火は苦く口を開いた。

「これは、俺が臨赤りんしゃくに加わってから知った事だが、妣國ははのくに素戔嗚すさのおは、奴の姉であるあまてらすと再会する事を祈念しているそうだ。だが、そのためには二人の間の天孫である瓊瓊杵ににぎかすがいにしなければならない」

「はい。それはぼくも聞いた事があります」

「それから、目覚めというのは、あまてらす黄泉よもつ比良坂ひらさかとの間に命令と受諾が成立した後に発生すると聞いている」

「はい。しかしそれが具体的にどういったことかまではぼくは知らな――」

「俺は――」

 水泥の言葉をさえぎる。梶火のほほが苦くゆがむ。

「俺には、心当たりがある」

「え」

 水泥が顔を向けると、梶火はその視線を太陽へと向けた。


「瀛洲の長は、八年前から――その身から死屍しし散華さんげを消失し続けていて、もうその身に一片いっぺんも残していない」


 水泥の馬が、騎乗する主の動揺を読み取ったか、ぶるると鼻を鳴らした。

「――なん、今なんと言いました?」

 梶火は厳しい表情で太陽に向かい言葉を続ける。

「瀛洲の邑長、熊掌ゆうひは、この八年間、白玉はくぎょくほこらに立ち入る事ができずにいる」

「――は?」

「代わりに、瓊瓊杵ににぎを名乗る男の下へ飛ばされている。その男がいる空間の事を『神域しんいき』というそうだ」

 梶火の眉間に、深い皺が刻まれ、水泥は息を吞む。

「八年前、長の身にある事が起きた。恐らくそれを契機として天照の命令と許諾が成立し、結果として目覚めが始まったと俺は考えている」

「それは、なんだったのですか」

「……すまんが詳しくは言いたくない。方丈ほうじょう四方津よもつが関係している事だけは伝えておく」

 やや沈黙を経てから、水泥は意を決したように口を開いた。

八咫やあたもです」

「何?」

「八咫もなんです。彼もまた死屍しし散華さんげをその身から失っていると」

「ああ。それも臨赤で聞いた」

「ご存知でしたか」

「俺の心当たりの契機というものに、八咫は関与していないと思う。だから、恐らくは邑長の引き起こしたことに呼応した結果、奴も死屍しし散華さんげを喪失したのではないかと思う」

「呼応――成程、そういう事も考えられますか」

「あの二人の共通点を、俺は一つだけ知っている」

 梶火は、深く息を吸い込んだ。



「――あの二人は従兄弟だ。両者とも、母系の姓をあまてらすという」



 一瞬の内に、水泥の背中をざっと怖気おぞけが這い上がった。

「天照――八咫と、瀛洲の邑長が、ですか」

「ああ。あいつは瀛洲では天照之あまてらすの八咫やあたを名乗っていた。二人に血縁がある事は、長の母親の育ての親から聞いた事だから間違いない。俺と長の母親は、同じ男に養育されたんだ」

「そう、でしたか」

「邑長は、自分がその瓊瓊にに顕現けんげんの器――形代かたしろの子と化しつつあると言っていた」

 水泥は眉間に皺を寄せた。

「すみません、あの、瓊瓊杵の、器、ですか?」

「ああ、俺もまだ話を聞いたばかりで飲み込み切れてねぇんだが……邑長いわく、白玉というのは、瓊瓊杵と、それを拒絶している奴の妻とが合祀されたものらしい。今までは女達によってこの妻の方が白玉として継承されてきたが、長がもし白玉を継承すれば、恐らく顕現されるのはこの瓊瓊杵の方だろうと」

「……その、妻と言うのは、木花之佐久夜姫このはなさくやひめ、ですか」

「知っていたか」

「八咫が、白玉の名は木花之佐久夜姫このはなさくやひめだと。我々が知る白玉は少なくともそうだと断言していました」

 梶火が片頬を歪めて笑った。

「――あいつ、一体何時からそれに気付いてたんだ?」

「七年前には」

 水泥の応えに「あああ!」と梶火は再びぺちりと自身の額を打った。

「畜っ生、やっぱり行かせるんじゃなかった! あいつが一番核心に近いじゃねぇか。そんな奴があちこちウロチョロすんなよ……!」

「まあ……八咫やあたえいしゅうから出てきてくれていなければ、当該文献には行き当たれていないんですがね」

 小声での指摘に、情けなくも梶火は眉尻を下げる。

「いやそれも分かってるけれどもな? 気持ちとしてこうな?」

「仙山で周りの反対を押し切って、単独でたい輿に潜入してきたからこそ手に入った情報なんですよ?」

「うっわ、あいつっ……マジかよっ!」

 思わず手綱から外した諸手もろてで頭を抱え梶火がる。その横から儀傅ぎふが「馬鹿‼ 危ねぇ梶火‼」と叫んだ。





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魯鈍漢ろどんかん――馬鹿者。思慮の足りない愚か者。

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