40 換骨奪胎


 すいどろ丁重ていちょう希希しぃしぃに礼を告げると、かじすいらと共に螺栖らすを出立した。


 別れぎわ、希希は水泥の首に、その細い両腕をぎゅっと巻き付けた。少しだけ鼻先を赤くして「絶対気をつけてね」と言葉を贈る。その幼子の温もりと思いやりが、胸に痛かった。少しだけその身体を強く抱き寄せたのは、豊来ほうらいに対する投影だったと自分でも理解していた。

 希希たち親子の別れを見守って後、百人隊は半数ずつに分かれた。一隊は希希を臨赤りんしゃくの本拠地へ送り届けるべく残り、梶火達危坐きざへ向かう一隊は山を下った。希希達の隊が後発になったのは、その向かう先を水泥に見せない為だろう。そこまでは明かす気はないという意図をんだ。確かに、希希の話を聞いた後では、べなるかなと水泥も思う。

 馬上で振り返るごとに、小さな手を大きくふるしぃしぃの姿が遠ざかってゆく。すい儀傅ぎふが隣で「これでしまいだ」と振り返るのをやめたのを機に、水泥も、もう手を振り返すのをやめた。



 一隊は、水泥が滑り落ちた崖の上へ戻るのではなく、森を迂回する道を行った。これが鬼射きいる県の南端に通じるのだと翠雨から教えられた。鬼射きいる危坐きざ州の最西端に位置する。つまりえいしゅうの南端側を目指すならばこちらの方が確実で人目に付かず進めるのだ。

 森を抜けた先に広がるのは湿地だ。海の水があふれて広がったものだという。試しに指先を浸して舐めて見れば確かに海水だった。つまりこの湿地帯は危険すぎて姮娥こうがの民は近寄れないのだ。それでも臨赤の彼等は平然とした顔でこれを渡る。

 水泥の疑問を表情から読み取った梶火が、にやりと笑った。

臨赤りんしゃくはすでに死屍しし散華さんげに害されない。俺の弟が薬を完成させた」

 水泥が「あ」と口を開ける。

「まさか。あの死屍散華を解毒するという薬の出所は」

「お、知っているか」

「ぼくも買い求めましたので」

「おいおい。金はなるべく取るなと言ってあるのに」

「裏から無理を言って求めましたから」

「まあ、役に立てたようなら良かったがな」

 湿地の中を歩兵と騎兵がゆく。この辺りはまだてい州の内なので囲いの力が効いている。朝焼けのだいだいしゅが辺りを染め上げ、湿地が赤く美しく、水泥は眼をすがめた。これ程に天地を赤く染める景色を、水泥は知らない。彼は海のある暮らしを知らなかった。全ての色を空と水が反射し合う。それはこんなにも美しく果てしないのだ。

 人もまた、合間にくうを挟んで互いを映し合うのだと思えば、世界はなんと心にすくい上げるに容易たやすいのだろうか。しかし、人は敢えて他者の境遇を見て見ぬふりする事がある。合間に存在するくうが理解を阻害する。そこまで考えて、苦笑しながらかぶりを振った。さすがに感傷が過ぎる。

 馬体を隣へ並べつつ、梶火が改めて視線を水泥へ向けた。

水麒すいき。もうそう呼ばせてもらっていいか?」

「はい。かまいません」

「お前がにえに決まった経緯を聞いてもいいか」

 水泥はふふと笑った。随分ずいぶんと懐かしい話だと思いながら「はい」と応える。

 内心、自分と梶火の違いを思った。

 自分は仕草一つで相手の口をするすると割るのを得意としているが、この梶火という男は単刀直入に知りたい事を問う。それで相手もつい答えてしまうのだから、恐ろしい話だ。今正に自分も答えようとしている。この男にはどうにも敵わないという気になる。生来の物なのか、後天的に身に着けたものなのか、なんにせよ、この男が大きな何かに護られているのは間違いない。そう結論付けた。

「そもそも、にえになるための条件の事はご存知ですか?」

「『色変わり』しない五邑ごゆうの男、という事までは。他にも細かい条件があるのかどうかを俺達は知りえなくてな。えいしゅうは七年――いやそろそろ八年か。八年前の火災で、むらに伝えられてきた文書をほぼ全て焼失している。瀛洲だけじゃない、たい輿員嶠いんきょうに伝えられていたものを継承していたものも同時に失った。そして恐らくだが、これを全て記憶しているのが八咫やあただろうと」

「そうですね。それであっています」

「やはりか。――正直、一番邑に残っててほしかったと何度思ったか知れねぇよ、八咫の野郎は」

「猊下は……」

紫炎しえんでいい。八咫から話を聞いてたならかじでもかまわん」

「では、梶火。あなたはいつからにえについてご存知で?」

「何時と言うなら火災が起きる直前だな。長と八咫の手引きで寝棲ねすみに会って聞いた。ただし『かん』と贄の基本的な関係についてだけだ。贄は『色変わり』なき男でなくてはならないというのが条件としてあると知ったのは、それから大分後の事になる。臨赤にいる岱輿の子孫から聞いた」

「寝棲は、全てを伝えていったわけではなかったんですね」

「あの時は本当に時間がなかったからな。一刻も早くあいつらを邑から出立させなきゃならんかった。食国おすくにの迎えが白浪はくろうからくる間際だったんだよ。――結局同行できんかったみたいだが」

「そうですね。あの、その岱輿の子孫という方は、白浪とは関係がない方だったんですか?」

露涯ろがいの子、といって伝わるか」

「――はい」

 双方、口中に苦いものを覚える。何度聞いても不快にならずにはいられない話だ。

「――寝棲の野郎は、一つの『環』の解除につき一人の贄がいると言っていた。だから、あと三体のにえを用意しなきゃならんと」

 「ええ」と水泥はうなずいた。

寝棲ねすみの本名はじょ寝棲しんせい員嶠いんきょうじょ郷凱ごうがいの甥にあたりました。郷凱は員嶠衛士えじしゅうの人間で、邑の中核を為していた一人です。当時の寝棲はまだ十と幼かったのですが、郷凱との繋がりもあり、すでに衛士衆に出入りしていたそうです。――それもあって、八尋やひろ氏ともずいぶんと懇意にしていたとか……」

「八尋?」



「員嶠で贄となった人物です。仙鸞せんらん八尋やひろと言います」



 「あ?」と梶火が片眉を上げる。

「仙鸞――八尋だと?」

「はい。員嶠邑長の嫡子だった人だと聞いています。つまり、八咫やあたの伯父に当たる人だとか」

「……成程な。そりゃ親族に決まっているか」

「はい」

 梶火は眉間を険しくした。

「ええと、それはつまり、えいしゅうのがれてきた八咫やあたの親父を除けば……」

 水泥ははっきりと首肯して見せた。



「はい。八俣やまた氏以外の仙鸞せんらんは、あの時皆殺しにされました」



 断言に、梶火は重い吐息をこぼす。

知己ちきの身の上の事と聞けば、感じるむごさが増すな」

「それが道理でしょう」

「――そう言えば、にえにするのは生きている男でないと駄目なのか?」

 「ふっ」と水泥は思わず笑った。

「どうした」

「いえ、僕の仕えていた娘がまるきり同じ事を言っていましたので」

「――それは、えらい物騒な発想をする娘だな」

「ええ。仰るとおりで」

 思い出してついつい笑ってしまったが、すぐに気を取り直した。

「結論から言えば生きている男でなくてはなりません」

「――そうか」

「寝棲は、八尋氏をにえに『かん』を解くところに遭遇そうぐうしています」

「え」

「寝棲も長らく内密にしていた事ですが、黄師が八尋氏に対して説明するのを物陰に隠れて盗み聞きしたと。彼は当時十歳、小柄だったが故に見つからずに済んだと言っていました」

 かじの脳裏に当時の寝棲ねすみの姿が浮かぶ。今にして思えば、確かに然程さほど大柄な部類ではなかった。

「黄師は、八尋氏になんと言っていたんだ?」

「贄に出来るのは、完全に『色変わり』しない、生きた男でなければならない。何故なら、白玉はくぎょくとらえている『環』の肉体がそうだったからだ、と」

「『環』の――そうか、そもそもそれも人間の骨だからな。当然か」

 溜息交じりの梶火の言葉に含まれる思いは苦々しい。水泥は微かに目を細めた。投げる視線の先では、太陽が赤く強く白く輝きだしている。夜明けが近いのだろう。


「理屈でいえば単純なのです。『環』を解きたいなら、『環』に新たな肉体を与えればよい」


「なに?」

「『環』は連結した頭蓋骨と脊椎で構成されています。なので、贄の肉体からこの部分を取り除き、残りの骨肉を『環』に与えれば人として成立し黄泉よみがえる。これで結果的に『環』が解除されるというわけです。そして取り除かれた贄の頭蓋骨と脊椎は新たな『環』になる。とても、単純だ」

「――は?」

 梶火が顔を強張こわばらせる。

「それは、まさか」



「はい。五百年前に『環』になった者達が贄の肉体を奪い取り、この世に黄泉返るんです。――姮娥に等しく、として」



 梶火の口元が盛大にゆがむ。

「こんなに厭な気分になる文字通りの換骨奪胎かんこつだったいなんざ聞いた事がねぇぞ俺は……」

「似た例が他にもあったらぼくだって厭ですよ」

 珍しく鼻の頭に皺を寄せてから、水泥はすっと息を吸い込む。

員嶠いんきょうで八尋氏を贄として黄泉返った『かん』は、阿部御主人あべのみうしと呼ばれていたそうです。これは瀛洲えいしゅうの白玉の祠に置かれていた「かぐや姫の物語」に出て来る人物と名が一致するそうです」

「「かぐや姫の物語」の内容は、俺も八重から聞いている。あの書籍をほこら白玉はくぎょくが所持していたわけだから、つまり月朝側は黄泉よみがえりの件をはじめから承知していたという事だな?」

「そうです」

 再びの風になぶられた髪を、水泥は指先でざっと掻き揚げた。

たい輿員嶠いんきょうで黄泉返ったのは、石上麻呂足いそのかみのまろたり阿部御主人あべのみうしの二名。そして恐らく、今頃蔡浩宇さいこううを贄として、蓬莱ほうらい葛城かつらぎの皇子みこが復活しています」

「――蓬莱の長が」

「残るは瀛洲の大伴御行おおとものみゆきと、方丈の大海人おおあまの皇子みこの二名。これらを総じて貴人きじんと称します」

「五――そいつらは異地の貴人だったのか」

「はい。異地の帝の本懐は『』です」

「――素戔嗚を、だと? 妣國のか?」

「はい。あれはそもそも異地にありし神であり、荒ぶる武、そのものです。異地はそれを取り戻したい。なんらかの理由であちらも力が必要なのでしょう。――これは八咫が仙山にもたらしてくれた情報です。手に入る限りの文献から推測し、確かな筋から話を聞き出した上での結論です。状況から見て恐らく間違いないかと」

「いや、確かにそれなら辻褄つじつまが合うな」

 梶火は思わずと言った態で自身の口元を片手で覆った。



「――そうなると、たい輿員嶠いんきょうが、乱をおこしたせいで邑が潰されて『環』が外されたというよりは、寧ろ贄にするべき男の条件が整ったから『環』を外した上で邑を処理された、と読んだ方が正しい気がしてくるな」




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