35 川
そうして、その手の散華刀に
生命の害になると承知の上で、その任に置き続けたのだ。
つまりこれが
故に大将軍は真っ先にこれを分散し、力で叩く事を決めた。
その為に選ばれた少数精鋭が四名。
仙山において最も腕が立つ
次いでその第一の麾下である
保食の世話役と側近を兼ねた
そして最後が蓬莱の邑長、
浩宇は、計画が予定通りに進めば、間もなくこの世から姿を消す。彼は、四年前に死んだ
皮肉な話だ。
最も後方で守られるべき役割を
重点が
帰結すべき場所に向かう彼等は、ある一つの流れに乗った。あるいは触れた。結果その流れは大河となり、いずれは大海へと辿り着く。
その大海に何が待ち受けているのかは、
そう信じるからこそ、水泥は今この道を走っていた。
この『
*
「――それで、
野営の火を囲みながら、ふと水泥が訪ねると、
「いや失礼。あの方は、元気と言うならば常にそうですな」
口元を
「ああ、想像が付きます」
「一度動き出したら止まりませんからな、閣下は」
「確かに」
「そう言えばつい先日」
「はい」
「また妙な事を言い出しまして」
「というと?」
「
「はい――――い、え? は? 川? 川ですか?」
「そう、川です。巨岩を運んできて野趣溢れるものを増設したいと。そこに魚を流して手掴みだの釣りをしたりだのして、その場で焼いて食えるようにしようと」
「なんでまた……」
「どうにも子供の頃の思い出があるようで」
「はあ。それをわざわざ宮廷内で?」
「壁を一部壊して滝も作りたいと」
「――警護はどうするおつもりなんでしょうか、あの方は……」
「その説得をするために麾下一同が招集させられたのですよ。川を作るためにですよ? 手掴みがやりたいがためにですよ? あの方は御自分を猿か何かと勘違いしていらっしゃるのではと私ですら開いた口が塞がりませんでしてな」
「
横から
それに釣られて、水泥も声を上げて笑った。
行程を共にして二日目。同行者の
裵剛などは随分と
水泥は、小さく吐息を漏らした。
「どうなさった?」
裵剛の問いかけに、「いえ」と首を軽く横に振ると、水泥は天球を見上げた。星の
「護衛にお二人を付けてくださったのは、大将軍によるご配慮だったのだなぁと思って」
二人へ視線を向けた水泥に、二人とも小さく頷いた。
「なるべく、気負わぬ愉快な道中とするようにと申し付かっております」
「ああ、ありがたいな。そうだ。そういう人だった。――ほんとうに、なつかしい」
李毛は胡坐を掻きなおしてから、火を少し掻き混ぜた。ぱちぱちと火の粉が散る。
「蔡殿もやはり、大将軍とは突拍子もない事をなさったのですか?」
「しましたねえ」
「どんなことをなさいましたか?
「屋根をね」
「やね、ですか」
「火薬で吹き飛ばしまして」
「――やりかねませんな、あの方ならば」
「何度やりましたかねぇ……。恐らく片手では利きません」
「どれだけ仙山を破壊したのですか、あの方は――」
「……それはもう、片手では利きません」
そこではじめて水泥は微かに難しい顔をした。
「彼が
「――ええ、閣下からもそのように聞かされております」
水泥は顔を上げると、一口水を含んだ。微かに苦い気がした。
「彼について、詳しい事は禁軍の皆さまご承知で?」
「いえ、最側近の麾下の者ばかりですね。それでももしかしたら、貴殿程の事は知り得ていないかも知れない」
「――難しいところですね」
膝の上に下ろした革袋の内側で、たぷ、と水の跳ねる音がした。
「今ぼくたちの間を結ぶのは、彼という人をおいて他にない。しかし彼の事をあるがまま思い出として語る事も難しい」
李毛が背嚢の中から干し肉を取り出した。各人に配り終えると、口の中で何かを称えた。赤玉への祈りの言葉だったが、それを知る水泥も裵剛も聞かぬ振りをする。
「蔡殿は、大将軍閣下の策をどこまでお聞き及びで?」
裵剛の問いに、水泥は小首を傾げた。
「まず、僕はこれから
裵剛と李毛は困った顔で笑った。
「しまったな。我々よりも余程明瞭にご理解なさっておいでだ」
二人の言葉に水泥は頭を振る。
「
ぱちぱちと火が
微か風が煙の向きを変え、それが李毛の目に染みた。強く眼を閉じてから開くと、一瞬、ひどく冷めたような顔をした水泥が見えた気がした。再び数度瞬いてから見たその表情は、またこの二日で見知ったやわらかな彼の表情であった。
見間違えたのだろう。そう思った。
「ところで、蔡殿がお持ちのその刀は、ご自身で製法を編み出されたという、あの半散華刀なのですよな?」
視線で
「ああ、いえ、これは違います」
ひょい、と李毛も片眉を上げる。
「おや、違いましたか」
「ええ。あれは置いて来ました。僕はこの旅で、
水泥が
「あれは、命を奪ってしまう。最期の時にまで罪業を増やしたくはありません。足止めの助けになればそれで充分でしたから、僕が持参するのは、この刀で十分なのです」
つ、と外套の端から見え隠れしていた細い剣の鞘を、外套で完全に覆い隠した。
道中に禁軍の兵を最後まで連れて行かぬ事は、水泥が判断した。
彼等が瀛洲にまで到達すれば、三寶合祀の害を受け易くなるだろう事は無論念頭にあったが、彼等はこの水泥の旅路の最終目的を知らない。
大将軍麾下に加わっている彼等は、今回の策を以下のように理解している。
一に、月如艶の排斥、その麾下である沙璋璞とそれに従う兵の捕縛。この二点をして
実行策と大きく違うのは、そこに白玉の解放が既に含まれている事である。
水泥が『玉体』の『環』の贄となるために今瀛洲へ向かっている事が知れれば、自然最後の方丈に残った『真名』の『環』のための贄をどうする気なのかと言う疑問が生じるだろう。その時に、
やはり伏せていて正解だった。
水泥は、二人とはその翌日に分かれた。弟州に入って後は
弟州の東からは、かつて寝棲達が通った山間部を抜ける事になる。荷の用意も万端であったし、日程もあと三日ほどと言うところだった。
最大の悪路として注意を
水泥を乗せた馬体が大きく態勢を崩したのは、正しく切り立った崖の上での事だった。
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