35 川


 黄師こうし赤玉せきぎょくの信仰を守るべき僧兵そうへいである。これが民を害する武具をおおやけに持つ事は望ましからざる事だ。よって、兼ねてより黄師内にて最も武に秀でると評された沙璋璞さしょうはくに白羽の矢が立ち、これを禁軍に移し散華刀さんげとうを持たせた。精鋭の兵も武器諸共与えられ、蓬莱ほうらいと直接深く関わらせた。



 そうして、その手の散華刀に死屍散華ししさんげを直接吸い上げさせたのである。

 生命の害になると承知の上で、その任に置き続けたのだ。

 


 せんざん内にも散華さんげ刀は存在するが総数は少ない。

 臨赤りんしゃく内にはほぼ皆無である。

 つまりこれが姮娥こうがの民同士を主体とした消耗戦となった場合、沙璋璞の隊が最も厄介となる。

 故に大将軍は真っ先にこれを分散し、力で叩く事を決めた。

 その為に選ばれた少数精鋭が四名。


 仙山において最も腕が立つ藤之ふじの保食うけもち

 次いでその第一の麾下であるくぐい

 保食の世話役と側近を兼ねたすいどろ――蔡水麒さいすいき

 そして最後が蓬莱の邑長、蔡浩宇さいこううであった。


 浩宇は、計画が予定通りに進めば、間もなくこの世から姿を消す。彼は、四年前に死んだ寝棲ねすみに変わり、『顔』の『環』の贄の任についたからだ。そしてその贄の儀式を執り行うのが保食である。

 皮肉な話だ。

 最も後方で守られるべき役割をになわされた者達が、こぞって不死石しなずのいしの安置をまぬかれていた。必然、四人は絶大な膂力りょりょくを有し、結果、最前線にて勝敗を決する役目までも負う事となった。


 重点がかたより過ぎているだろうとはすいどろも思うが、全ては流れの上にある事だ。致し方あるまい。


 帰結すべき場所に向かう彼等は、ある一つの流れに乗った。あるいは触れた。結果その流れは大河となり、いずれは大海へと辿り着く。

 その大海に何が待ち受けているのかは、ようとして知れないが、それでも間違いないのは、この五百年はここで断ち切られるという事だ。海原うなばらに漕ぎ出さねば、恐らくその真実に辿り着く事は出来ない。例えこの眼でそれを見届ける事は出来ずとも、こころざしを同じくした誰かが必ずそこへと辿り着いてくれる。

 そう信じるからこそ、水泥は今この道を走っていた。

 えいしゅうにて待ち受ける、さんぽう合祀ごうしの『玉体ぎょくたい』。

 この『かん』の贄となるために。


         *


「――それで、らん大将軍は、お元気でいらっしゃるのですか?」



 野営の火を囲みながら、ふと水泥が訪ねると、はいごうがぶっとき出した。

「いや失礼。あの方は、元気と言うならば常にそうですな」

 口元をぬぐいながら目尻に皺を寄せる裵剛に、水泥も苦笑を浮かべる。

「ああ、想像が付きます」

「一度動き出したら止まりませんからな、閣下は」

「確かに」

「そう言えばつい先日」

「はい」

「また妙な事を言い出しまして」

「というと?」

帝壼ていこんきゅう内に川を流すと」

「はい――――い、え? は? 川? 川ですか?」

「そう、川です。巨岩を運んできて野趣溢れるものを増設したいと。そこに魚を流して手掴みだの釣りをしたりだのして、その場で焼いて食えるようにしようと」

「なんでまた……」

「どうにも子供の頃の思い出があるようで」

「はあ。それをわざわざ宮廷内で?」

「壁を一部壊して滝も作りたいと」

「――警護はどうするおつもりなんでしょうか、あの方は……」

「その説得をするために麾下一同が招集させられたのですよ。川を作るためにですよ? 手掴みがやりたいがためにですよ? あの方は御自分を猿か何かと勘違いしていらっしゃるのではと私ですら開いた口が塞がりませんでしてな」

はいごう、言い過ぎだ」

 横からいさめる李毛りもうせながら笑っている。

 それに釣られて、水泥も声を上げて笑った。

 行程を共にして二日目。同行者の為人ひととなりも見えてきた。

 裵剛などは随分と強面こわもてであり、また口数も少なかったため当初は余程武人らしい人物なのかと思われたが、単に人見知りの口下手なだけであったらしい。水の枯渇によって、今は統治の失われた神州しんしゅうの出身であり、交も子もないため随分と自由な身の上なのだと率直に語る。思い出したようにぽつぽつと語る事の言い回しが一々妙におもしろく、かつ本人も笑い上戸であったため、思いの外愉快な道中になった。

 水泥は、小さく吐息を漏らした。

「どうなさった?」

 裵剛の問いかけに、「いえ」と首を軽く横に振ると、水泥は天球を見上げた。星のきらめきが澄み渡り美しかった。

「護衛にお二人を付けてくださったのは、大将軍によるご配慮だったのだなぁと思って」

 二人へ視線を向けた水泥に、二人とも小さく頷いた。もうが微笑みつつ口を開く。

「なるべく、気負わぬ愉快な道中とするようにと申し付かっております」

「ああ、ありがたいな。そうだ。そういう人だった。――ほんとうに、なつかしい」

 李毛は胡坐を掻きなおしてから、火を少し掻き混ぜた。ぱちぱちと火の粉が散る。

「蔡殿もやはり、大将軍とは突拍子もない事をなさったのですか?」

「しましたねえ」

「どんなことをなさいましたか? らん閣下は」

「屋根をね」

「やね、ですか」

「火薬で吹き飛ばしまして」

「――やりかねませんな、あの方ならば」

「何度やりましたかねぇ……。恐らく片手では利きません」

「どれだけ仙山を破壊したのですか、あの方は――」

「……それはもう、片手では利きません」

 そこではじめて水泥は微かに難しい顔をした。



「彼が仙山せんざんあらわれなければ、我々は自業自得のあくさくによって民意と天意をうしない、早々に瓦解がかいしていた事でしょう。我々は彼ありきでかろうじて生き延びたしゅうです。――しかし、彼が現れた事で失われた命も多数ある」



「――ええ、閣下からもそのように聞かされております」

 水泥は顔を上げると、一口水を含んだ。微かに苦い気がした。

「彼について、詳しい事は禁軍の皆さまご承知で?」

「いえ、最側近の麾下の者ばかりですね。それでももしかしたら、貴殿程の事は知り得ていないかも知れない」

「――難しいところですね」

 膝の上に下ろした革袋の内側で、たぷ、と水の跳ねる音がした。

「今ぼくたちの間を結ぶのは、彼という人をおいて他にない。しかし彼の事をあるがまま思い出として語る事も難しい」

 李毛が背嚢の中から干し肉を取り出した。各人に配り終えると、口の中で何かを称えた。赤玉への祈りの言葉だったが、それを知る水泥も裵剛も聞かぬ振りをする。夫々それぞれに事情と考えがある。

「蔡殿は、大将軍閣下の策をどこまでお聞き及びで?」

 裵剛の問いに、水泥は小首を傾げた。

「まず、僕はこれからえいしゅうに赴き、仙鸞せんらん八咫やあたという人物から託された言葉を瀛洲邑長とその係累の方々、及び八咫の身内の者に伝えます。少数で移動すれば、小隊を率いた上で迂回する沙璋璞の隊より早く到着できますからね。それを受けて瀛洲の方々にも動いていただくことになる。天照之あまてらすの八重やえおうには、彼女を白玉の器として扱うのではなく、全てをご承知のらん大将軍が身元預かりとしてその庇護下に置かれる事。そして彼女の到着前にげつ如艶じょえんを拘束し、その玉座の簒奪が完了している事。そして到着と同時に沙璋璞を拘束する事。それから五百年前の当時に何があって赤玉と白玉の交換などと言う事が異地いちの帝と契約されたのかを、この両者から聞き出し、その契約を破棄した上で赤玉を奪還、白玉の返還を成し遂げる事――この辺りでよろしかったでしょうか?」

 裵剛と李毛は困った顔で笑った。

「しまったな。我々よりも余程明瞭にご理解なさっておいでだ」

 二人の言葉に水泥は頭を振る。

齟齬そごがなかったのであれば幸いです」

 

 ぱちぱちと火がぜる。


 微か風が煙の向きを変え、それが李毛の目に染みた。強く眼を閉じてから開くと、一瞬、ひどく冷めたような顔をした水泥が見えた気がした。再び数度瞬いてから見たその表情は、またこの二日で見知ったやわらかな彼の表情であった。

 見間違えたのだろう。そう思った。

「ところで、蔡殿がお持ちのその刀は、ご自身で製法を編み出されたという、あの半散華刀なのですよな?」

 視線ではいごうが問うと、ふふ、と水泥は笑って小首を傾げて見せた。

「ああ、いえ、これは違います」

 ひょい、と李毛も片眉を上げる。

「おや、違いましたか」

「ええ。あれは置いて来ました。僕はこの旅で、姮娥こうがの皆さまに刀を振るうつもりはありませんでしたから」

 水泥がうつむきながら微笑む様子に、裵剛も李毛も言葉を失った。

「あれは、命を奪ってしまう。最期の時にまで罪業を増やしたくはありません。足止めの助けになればそれで充分でしたから、僕が持参するのは、この刀で十分なのです」

 つ、と外套の端から見え隠れしていた細い剣の鞘を、外套で完全に覆い隠した。



 道中に禁軍の兵を最後まで連れて行かぬ事は、水泥が判断した。

 彼等が瀛洲にまで到達すれば、三寶合祀の害を受け易くなるだろう事は無論念頭にあったが、彼等はこの水泥の旅路の最終目的を知らない。

 大将軍麾下に加わっている彼等は、今回の策を以下のように理解している。

 一に、月如艶の排斥、その麾下である沙璋璞とそれに従う兵の捕縛。この二点をして鸞成皃らんせいぼう大将軍による軍事革命と簒奪を為す事。他は大きく水泥が語った事と変わりはない。

 実行策と大きく違うのは、そこに白玉の解放が既に含まれている事である。

 水泥が『玉体』の『環』の贄となるために今瀛洲へ向かっている事が知れれば、自然最後の方丈に残った『真名』の『環』のための贄をどうする気なのかと言う疑問が生じるだろう。その時に、仙鸞八咫せんらんやあたの存在を既に知る者がその結論に到達しないとも限らない。そしてやはり麾下の数人はその名を知っていた。

 やはり伏せていて正解だった。

 水泥は、二人とはその翌日に分かれた。弟州に入って後はかん隊の一小隊に護衛され、これも予定通りの日程を経てそれとも別れた。

 弟州の東からは、かつて寝棲達が通った山間部を抜ける事になる。荷の用意も万端であったし、日程もあと三日ほどと言うところだった。

 最大の悪路として注意をうながされていた箇所で、天候が突如として崩れたのは、もう運がそう流れたとしか言いようがない。山の天候が変わりやすいというのは知れた事だが、これはその規模をはるかに超えていた。

 水泥を乗せた馬体が大きく態勢を崩したのは、正しく切り立った崖の上での事だった。




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