27 生まれ変わるなんかできる訳ない



「思っていたよりは帰ってくるの早かったけれどね、さすがに待ちぼうけてしまったよ」

 わざと軽い口調でそう言いながら、浩宇こううはゆっくり立ち上がった。おどけたように肩をぐるぐる回して見せると、保食うけもちは溜息を吐いた。


 ゆっくりと、保食は浩宇の側へと歩み寄ってくる。

 やはり、どうしようもなく綺麗だと、そう思った。

 わずかに、その右脚を引き摺っているのが見て取れたが、浩宇は何も言わずにおいた。


「――遅くなって悪かったわね」

「冗談だよ。十分に早かった。こちらの片付けが終わる前に帰ってこられていたら自信満々で見送った僕の面子めんつが立たないもの。丁度良かったよ」

 にこりと笑いながら見下ろす浩宇を前に、保食は無言で襟元に巻いたてんらん色の布をはぎ取った。そこには『かん』が巻かれていた。

「おやおや、随分と悪趣味なところに」

「――脚や腕では、逃げられないとも限らないからな。奴からすれば」

「そんな言い方をして。全部聞かれているんでしょうに」

「利き手を配慮してもらえただけありがたいわよ」

 暫時ざんじ、二人の間に沈黙が満ちた。何から口にすればいいのか、二人とも選べなかった。もう後戻りはできない場所にいるというのに、それでも何かを探してしまうのは、二人の間に横たわる下らない思い出があまりに多すぎるからだった。

 ふ、と笑ったのは浩宇の方だった。

「さあて、保食、心の準備はいいかい?」

 その問いに、保食はついに表情を険しくして「だから‼」と叫んだ。

「なんであんたはいつもいつもそうなんだ! あたしに聞くことじゃないだろ⁉ 心の準備がいるのはあんたのほうだろうが‼」

 両掌りょうてのひらで顔をおおって肩を震わせる娘に、浩宇は困ったように笑った。

「ごめんね、僕が我儘わがままを言ったせいで、保食には厭な思いをさせる事になった」

「――ねぇ、なんであたしだったの?」

 掌の下から問う保食に、浩宇は僅かに胸を痛めた。

 でもきっと、それは只の気分だ。状況が見せたゆるやかな感傷だ。――そう思い込む事にした。

「そりゃあ、いけ好かない野郎に殺されるよりは、美人に引導を渡してもらいたいじゃない?」

 厭そうに――極めて厭そうに顔を歪めた保食は、ばたばたと涙を落としながら、「あんたほんっとに阿呆あほうだな」と吐き捨てるように言った。それで、浩宇は呵々大笑かかたいしょうした。

「ごめんね。最期までこんな馬鹿な男で」



 二人は靴をいたままやしきの中へ踏み入った。形をとどめてはいるが、爆撃の影響を受けて障子しょうじふすまも破れ、あちこちが破壊されている。離れを過ぎて更に奥へ進むと、急に冷やりと空気が変わる。回廊の果てに五段だけのきざはしがあり、その先に祠があった。

 保食うけもちが姿勢を正す。りんとした眼差しを向けたまま、うっすらと唇を開いた。そこから甲高い音が鳴る。保食の口から発せられたそれは、口中で舌をすぼめる事で出される。吐く息でも吸う息でも同じ高さがかなでられる。まるで音で周囲に結界でも張っているかのようだ。実際、こうして何度か共にこの場へのぞんだ事があるが、呼吸一つでここまで場の清浄化をはかれるのは保食をおいて他にない。

 ちりん、と何処どこかで鈴がなった。



「白玉、参る」



 ざわ、と熱風が正面から叩きつけられた。浩宇は思わずを細め手をかざすが、保食はそうする事がない。常に真正面から全てを受け止めている。それを目の当たりにするたびに、やはりうつわ足り得る女というのは、それだけ他とは違うのだと痛感させられる。

 良いのか悪いのかはさておき。

 白玉はくぎょく参拝の作法は恐らく邑毎に異なるのだろうが、その違いを各邑は共有していない。何をもって白玉が扉を開くのかは、本当は分かっていないのだ。分からないままたい輿員嶠いんきょうは消えた。

 しばらくして、その熱波が消えた。



 浩宇が、かざした手を下げると、そこはいつもの石の壁の中だった。



 四方を石の板で囲まれた、狭く暗い空間の中央には石の台があり、その中央に三方さんぽうが乗せられている。その様はまるで石棺せきかんのようだった。

 保食がすたすたと歩み寄り、三方へと手を伸ばした。そして、そこに乗せられていたものをゆっくりと待ちあげる。

 それは、とても美しかった。両掌で支えられる大きさの白く半透明なそれは、鎖に繋がれ三方さんぽうに安置されている。触れるとやわく、ほんのりと冷えていた。そっと手に取ると――。


 ふぅ、と瞼を開いて、ゆっくりとほほえんだ。


「長い間閉じ込めていてごめんね、白玉。――今から解放するから」

 ぱたぱたと『かんばせ』の上に涙が降りかかる。そして、一度元の三方の上に戻すと、浩宇の方へと体を向け直した。

浩宇こうう

「うん」

「ごめん、梨雪達にはまだ会えてない」

「うん。わかってるよ」

「浩宇」

「保食」

「――ごめん」

 右脇に下げていた剣に、保食は手をかけた。かちゃりと物悲しい音がした。

 浩宇はゆっくりと微笑むと保食に背を向けた。

「僕こそ、君一人に抱えきれないくらいの重荷を背負わせる事になってしまった。今更ゆるしてくれなんて言わないけどさ」

「悪い事したとか思ってたんだ、あんた」

「そりゃあね」

 すらりと抜かれた剣が、柄を頭部に添えるようにして浩宇の脊椎にあてがわれる。微かな寒気が浩宇の背中を這い上がった。


「ねぇ保食。最期に聞いてもいいかな? 君、生まれ変われるってまだ信じてる?」

「――信じてない」


 浩宇はふっと笑った。

「まあ、そうだろうね。ごめんね、古い話を――」



「生まれ変わるなんかできる訳ないじゃない。あたしが今から背負せおう罪は地獄の涯まで行っても終わらない。あたしは、二度と輪廻りんねには戻れない」



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