24 天之尾羽張



 保食うけもちは自身の動揺にほぞを噛んだ。

 この大師だいしちょうに頼り、ゆだね、従わねばならない無力と怒り。しかしそれ以外に手がなかった現実。仙山せんざんはこのせきぎょくの総本山たる黄師こうしの手を取らねば、もう打つ手がなかったのだ。

 保食は顔を上げると、真っ直ぐにげっとうの顔を見た。

「大師長におかれましては、一点確認させていただきたいがございます」

 つ、と月桃の眼が細められる。

「はい。なんでしょう」



「現在、帝壼宮ていこんきゅうには白浪はくろうよりの使者があり、その背後には妣國ははのくにがあるという事、何故仙山にはお知らせ下さらなかった」



「何?」

 隣で麻硝ましょうが顔を蒼白に染める。保食うけもちわずかに視線を下げた状態でうなずいて見せる。

「このような重大事、貴殿が大将軍より報せを受けていないはずがないと考えますが、如何いかがか」

 月桃は袖元で口元を隠すと、くすり、と一つ笑った。

「聞かれませんでしたので」

「そんな……!」

 ちゅうたつの声が上がりかけるが、隣で紅江こうこうが止める。場の空気が緊迫する中「やれやれ」と月桃が首を横に振った。

「でも、そんな些末さまつな事はどうでもよいでしょう?」

 さしもの麻硝ましょうも声を上げた。

「些末とは……! 月桃殿、万が一にも璋璞しょうはくに余分な疑念を抱かせるような事になっていたら保食の身に何が起こっていたか……!」

 麻硝は尚も言葉をつむごうとするが、月桃は双眸そうぼうを伏せて溜息をいた。

「そんなこと、貴方方が知ろうが知るまいが、今回の手筈と策に干渉するものではなかったでしょう? 白浪はくろうの使者が帝壼宮ていこんきゅうもぐり込んで居ようが関係がない。彼等がせいかいじょうとした事にすれば、それだけ彼等が非道の衆なのだと勝手に思い込むだけです」

「しかし!」

「疑念があれどくだけの兵が自陣になければ奴等は動きませんよ。大体、疑われたなら倒せばいいだけの話でしょう? 藤之ふじのさんならやれるじゃありませんか。お強いのだから。まあ、一対一になってもやらなかったみたいですけど。それに何より」

 つい、と、口元をおおっていたそでの内からてのひら逆手さかてに出して、人差し指で保食を差した。



「――貴方達だって、我々に全てを語っているわけではないでしょうに」



 静かで冷たい眼差しが保食うけもちる。保食もじっと射返し、静かに問うた。

「月桃大師長。貴方の所まででその話は伏せておけ、と言うのが、大将軍の思し召しなのですか」

 「ふ」と月桃は笑う。

「まさか。彼は余計なおしゃべりが多いけれど文面では寡黙かもくたちだからね。まあ見えていないのだから仕方がないのだけど。そんな事は書いてきていないよ。分かっている事でしょう? 聞かなくても」

 保食は溜息を落とすと「おっしゃる通りですね」とこぼし、真っ直ぐに顔を上げた。

「お待たせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。急ぎ蓬莱ほうらいへ戻りますので、お約束の物をお願いいたします」

 月桃は、心底愉快そうにくすくすと笑った。

「いいですよ。分かりました。お貸しいたしましょう」

 月桃の手がぱん、と打ち合わされる。その掌が離れると共に、その間に燐光りんこうを放ちながら一振りの剣が姿を現してゆく。

 その全長は、およつか。月桃はその剣の下に両手を回し、受け止める形をとった。

 かちゃ、と物悲しい音を立てて、その剣は彼の手の上に舞い降りた。



「さあ、お待たせいたしました。これが唯一にして「しん」の寶刀ほうとう天之尾羽張あめのおはばりです」



 それは、予想に反して思いのほか特徴のない剣だった。

 一見して細い諸刃もろはに見える刀身とうしんに、つばさえないこしらえ。つかに朱の布を巻きつけている以外にはなんの飾り気もない。しかしこれが神の切断を可とする唯一の刃であり、歴代の白玉の器を切り分けてきた剣そのものなのだ。

 長らくほうとうと呼ばれてきたものだが、剣形であるのになぜそうなのかを多くの者が知らない。

 実際にそれを目の当たりにして、ようやく理解する。

 ざわりと全身の毛が逆立さかだつ。保食は容易たやすくその剣に自身が切り刻まれる様を想像する事ができた。

 と、月桃がするり、とそのつかを握った。保食は思わずびくりと後ずさる。月桃は喜色満面の笑みでその切っ先を保食の心の臓へと向けた。

「さあ、腕を出してください。お約束の『かん』を付けさせていただきます。ああ、腕では御邪魔になるようでしたらくびでも構いませんよ?」

 何でもない事の様に言ってのける月桃に、麻硝が口を開きかけたのを保食は視線で制した。


「左腕でなければどこでも」

「よいお覚悟です」


 にっこり、と表現できそうな笑みを浮かべて、月桃は満足そうに剣を下ろすと、ゆったり腰を曲げて保食の顔をのぞき込んだ。


「先にお話しした通りですが、『かん』は半分以上『色変わり』をしない五邑ごゆうの男の頭蓋骨とうがいこつ脊椎せきついを使って作ります。これは、まあご承知の通り、ほうとうにて切り出してこしらえます。の部分になるのは、頭蓋骨の眼窩がんか部。これで虜囚りょしゅういましめます」


 虜囚――と月桃は断じる。よくもまあいけしゃあしゃあと、と思わぬはずもなし。これからその『環』を使って保食を繋ぐというのだ。……いや、繋ぐからか。


尾椎びつい仙椎せんつい側は捕縛した側に巻き付き、両者を半永劫はんえいごうに繋ぎます。『環』をつけると貴女の活動、所在、声、行為、その他あらゆる経験は私に筒抜けになります。また、貴女の力を私の意のままに封じる事も可能となります。そして、貴女がどこにいようが、どんな状態にあろうが、私の意志一つで貴女を私の元へ呼び戻す事ができるようになります」


 んで含めるような物言いに戦慄せんりつする事を禁じえない。保食はただ視線を逃さずにいるだけで精一杯だった。


「大切な大切な、この世に一振りしか存在しない「真」の寶刀、天之尾羽張あめのおはばりを御貸しするのです。万一の事があった場合には、貴女が死んでいても『環』を使う事によって私の元へ引き戻す事ができます――ですから」


 ぐ、と鼻と鼻がぶつかる程の近くに、しんえん程に見開かれた真白の月桃のまなこが迫る。



「貴女が死ぬのはどうでもいいですが、努々ゆめゆめ、その手からは剣を離さないで下さいね」



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