22 玉座簒奪



 どれだけ急いで帝壼宮ていこんきゅうつかいを飛ばし、『真名まな』から『かん』を使ってさんぽう合祀ごうしを引き寄せようと、実行までにかかる時間は数日では足りぬ。その間に白浪はくろうに進軍され、えいしゅう白玉はくぎょくを切られたら全てが終わりだ。だから、本来であれば璋璞しょうはくの判断は全て最善手だった。それ以外にないと言い切ってもよかったろう。

 ただし、それが偽報ぎほうの上に積まれたものでなければ、である。


 決して忘れてはならないのは、最善手というのは敵からもよく見える物だと言う事である。自らにとっての最善とは、敵からすれば最悪だ。そして、仙山頭首である弓削ゆげの麻硝ましょうという男は、この真理の裏をかく事にべらぼうにけていた。

 自らにとっての最善手を組み立てた上で、更にそれを斜めにずらした策をるのである。それは、こちらの動向を読ませぬためだ。


 仙山が描いた策はこうである。


 先ずは璋璞しょうはくに、保食うけもちに対する疑念を抱かせる。この男は年に二度しか蓬莱ほうらいを訪れない。この為、計画には数年を要した。かつてはその体格から武人と見抜かれぬよう、保食は身体をきたえる事を禁じられていた。それを逆に鍛え上げさせたのである。次いで実戦に慣れるため、幾度となく前線に臨んだ。結果、璋璞はその術中にはまった。



 そして『真名まな』の在処ありかが掴めた事から事態は動いた。



 ここに至るまでの沙璋璞さしょうはくの動きはこうだ。

 璋璞がひきい、蓬莱ほうらいの監視に当たる騎馬中隊は二百の人員で構成されている。それは各五十ずつの四小隊に分けられる。

 まず、この全体で蓬莱を出立し、帝壼宮ていこんきゅうへ帰投すると見せかけ、うちの一小隊にうん州へ向かったくぐいを追撃させる。この分散で璋璞が一小隊を消費したのは予想より多かったが、こちらにとっては好都合だった。

 その後、三小隊となったもので保食を捕縛。次いで、蓬莱に反逆の意図ありと判断の上、ゆうちょう蔡浩宇さいこううの捕縛に一小隊を投入。蓬莱へ差し戻す。残りの二小隊にて保食を移送すべく、帝壼宮ていこんきゅうへと向かう。


 ここから先は、完全に璋璞の想定外だろう。


 二小隊がじょう州の南に抜けて間もなく、紅江こうこうの伝令によって、白浪によるせいかいじょう陥落という偽報ぎほうもたらした。その後更に慈琳じりんによって、白浪がえいしゅうを陥落すべく一大隊――つまり千人規模の兵を送り込もうとしているとの続報を流し、駄目を押した。

 これで璋璞が瀛洲へ向かわぬはずがない。

 こうして移送と救出の二つの任を発生させ、更なる隊の分散を避けられなくさせた。保食うけもちをその道中に連れて回るのは、万一えいしゅう近辺で白浪と接敵した場合、危険極まりないからである。避けて然るべきだ。

 璋璞は、ここでむ無く最後の二小隊を分断し、内の一小隊で保食を蓬莱へと再度移送。先に蓬莱へと向かわせた一小隊と合流させ、この二小隊によって保食、浩宇の両者を帝壼宮ていこんきゅうへ移送するよう命令を下した。

 南に抜けるのを待ったのは、えいしゅうへ向かわせるための進路を、北寄りのげんてい州間ではなく、南寄りのていほう州間にさせる為だった。隊の規模を小さく出来れば出来る程に、弟州内を通過し、白浪に落とされた静海城に援軍のための隊を裂く可能性は下がる。静海城は州北部にあった。

 最後の一小隊を璋璞は自ら率いてえいしゅうへ向かい、その半数で八重やえおうを帝壼宮へ移送。残る半数を瀛洲に残して、鬼射きいる兵とえいしゅう駐屯師団と共に、来るはずもない白浪の襲撃に備えようとするだろう。

 決して失えない天照之あまてらすの八重やえおうの移送である以上、璋璞しょうはくは必ず移送の隊に加わる。

 なお、蓬莱で二小隊を合流させると言う計画は、保食がこの一小隊を討つ事で頓挫とんざさせた。四小隊合流を完全に阻止するためである。その後、単騎を報告の為に見逃した事で璋璞しょうはくが率いる隊に更なる足止めを食らわせる事にも成功した。



 想定外だったのは、白浪が時を同じくして帝壼宮ていこんきゅうへ使者を送り込んでいた事。

 そして、仮にも右将軍である璋璞しょうはく自らが単騎で保食の元へ駆けつけるという暴挙に出た事である。



 ――それが保食であったから、という点を思考の俎上そじょうに上げることを、保食はえて避けた。そう思いたくなるのは、未練の為せる事のような気がしたからだ。


 その後は、計画通りに天照の娘を大将軍の元へ送り込んでもらえればいい。

 保食は、小さく溜息を吐いた。

 実際、寒気がする程、事は順調に運んでいる。ここまでうまくいくものだとは思っていなかった。

 策を練っていた麻硝の横顔が脳裏に浮かぶ。やはりあの男は恐ろしい。一体どんな神経をしてこの世を、人間を眼差まなざしているのか。どれだけその傍にいても、保食には計り知れない。

 そして、最初にその大筋の案を描いて見せた禁軍大将軍――らん成皃せいぼう。その智略と執念を思い、微かに身震いした。


「本当に、恐ろしいくらいに順調ですね」

 

 まるで保食の心を読んだように紅江こうこうはその言葉を口にした。彼女の横顔へ一瞬だけ視線を向けると、保食は苦し気に顔を歪めた。


「――紅江こうこう、済まない」


 突然の保食の謝罪に、紅江こうこうがきょとんとした顔を見せる。

「突然どうなさいました?」

隴欣ろうきんの事だ」

 文によって彼の自死を報らされた事、そしてそれをすいどろには伏せたままにした事、その全てが彼女に対する不誠実と思われたのだ。水泥の心と、これから彼に成し遂げて貰わねばならない働きに、余計な影を差さない事を保食は優先した。合理ではあるが、しかしその選択はあまりに非情。

 保食は、ずっと、慙愧ざんきの念にさいなまれていたのだ。


 ――しかし、紅江こうこうは依然として不可解そうな表情を変えない。ばかりか、不思議そうな笑顔を浮かべた。



隴欣ろうきんがどうなさいました? 大姉だいしたれて間もなく瓊高臼にこううすより迎えがあり、あちらへ移されました。『真名まな』の『発露はつろ』を抜き、状態は安定しておりますよ。今は豊来ほうらいと共に我々の帰投を待っております」



 保食は後頭部を殴られたような衝撃を覚えた。

「――いやまて、じゃああのふみは……」

 全身を血流が駆け巡る。あれは――あれもまた偽報だったのだ。誰かが隴欣ろうきんが自死したものとして報せ、保食に揺さぶりをかけてきたのだ。


 ――一体誰が? 何のために? 


 保食うけもちの眉間に皺が寄る。その口中がにわかに乾いてゆく。ざわざわとした焦燥が全身を覆ってゆく。

「あの、大姉?」

 心配げに保食の顔を覗き込んできた紅江こうこうにはっとすると、保食は口元だけで笑んで「なんでもない」と首を横に振った。

「急ごう。――あたしの仕事は、まだ終わっていない」

 保食の態度をいぶかしみながらも、紅江こうこうは首肯して馬の手綱を引いた。

 保食はぐっと唇を引き結んだ。


 今は、誰が何の為にこんな偽報をもたらしたのか全く見当が付かないが、そこに考えを移している場合ではない。何よりも優先しなければならない事がある。


 二騎は更に西へ西へと駆けた。やがてその進む道は深い渓谷を見下ろす山間部に入った。その険しい道のりを注意深く抜けると、やがて視界が大きく開ける。過ぎた山間部は、その壁の役割を果たすものだったのだと理解できる。


 薄淡く白く光る、なだらか過ぎる程なだらかなゆるい勾配の山――としか呼びようがないいただきがそこへ現れる。なだらかであるのに、その頂は遥か天高き果てへと延びていた。それだけ裾野が広く大きいという事になる。


 天の色はねりいろ聴色ゆるしいろ棚引たなびかせ、時折流れ落ちる星が尾を引き頂をいろどる。それは、人為よりも神意を強く感じさせてやまない。空気を吸うだけで、その場が他の何処いずことも違う事が分かる。かつて璋璞しょうはくが長い時をここで過ごした事を思えば、五感に触れる全てが、まるで彼の記憶そのもののようにも感じられた。それだけで、胸が痛かった。

 はじめてここへ脚を踏み入れた訳ではない。しかし、この頂を仰ぎ見る度に、璋璞しょうはくの生きた足跡を思わずにはいられない。何を見てもあの面影が付きまとう。――まるで身の内に巣食う病のようだ。

 だからこそ一刀の下に切り捨てた。もう二度とかつての日々に戻りたいなどと思わぬよう。その為に、敢えて自らの手で断ち切ったのだ。


 保食は大きく息を吸い込み、吐いた。



 せきぎょく信仰の総本山、ただ一つの赤玉の為のいただき――瓊高臼にこううす山。

 ここに、現在の仙山せんざん大本営はある。



 白浪はくろうが月朝に使者を送り込み、事を起こそうとしているのと時を同じくして、仙山でも白玉奪還作戦が実行に移される事になった。

 軌をいつにする時と言うのは、得てしてこういった偶発が起こりやすいものなのかも知れぬと保食は思う。

 しかし今回の事は完全なる偶発ではない。正しくは、仙山に協力体制をとっていた禁軍大将軍の手の者により、大本営の所在をさぐる白浪の動きが察知され、その報がもたらされた事に端を発する。

 白浪が仙山を探り始めたのであれば在所への到達は早いだろう。であれば当初の計画通り、氷珀ひょうはくの大本営は破棄し瓊高臼へ移動、次いで瓊高臼の首脳陣と合流するのが妥当。

 しかし、これが実行に移されればじょえん璋璞しょうはく側に悟られるのも時間の問題となる。彼等もそれを見逃すほど馬鹿でも甘いものでもない。

 仙山、瓊高臼の両陣営がくみしている事が露呈ろていすれば、更にはその裏に禁軍大将軍がいる事など瞬く間に明らかとなろう。これを公にするとは即ち――、



 禁軍大将軍による、げつじょえんからの玉座簒奪が決行される事を意味した。




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