21 真実



 璋璞しょうはくに拾われるや否や、宮廷に早馬を出した。

 次いで、独断でえいしゅうに全隊を走らせる。切れた脚が繋がるのを待つのももどかしいと即時出立を指示した。

 揺られる移送車の中、自身の脚が接合するまで、ただ沈黙を守り過ごす。璋璞のその目には、じわりとした自身に対する怒りがにじんでいた。


 忸怩じくじたる思いで拳を固く握る。


 器の候補であった保食うけもちを取り逃がした結果、次期白玉はくぎょく継承の危機は未曽有のものとなっている。こうとなってはもう四の五の言っていられない。器候補筆頭である天照之あまてらすの八重やえおう方丈ほうじょうへ連れ行き、なんとしても監視下に置かねばならぬ。

 移送車の中で、璋璞しょうはく保食うけもちの言葉を思い出していた。

 保食のあの言い様であれば、恐らく仙山せんざんは、いまだ事の真実には至っていない。であれば状況は更にまずい。

 璋璞しょうはく達は、初めから手をこまねいているしかなかった。ただ待ち人がきたる事を祈るしかなかったのだ。彼等はそれを知らない。故に、これ程の暴走となったのだ。



 ――止めねばならない。



 でなければ、正しく地獄のかまの蓋が開いてしまう。

 つい数日前まで自身が腰掛ける場所に保食うけもちが座していた。つい、と座面を撫でる。血が滲むほど、強く唇を噛み締めた。

 国の為に身命を賭していたはずが、気付けばこの体たらくだ。民の為に働いていたつもりで民を苦しめ、武人としてすいを極めてきたつもりで、このかいなの内にかくまってきたつもりだった娘に敗れた。

 全てがつもりに過ぎなかったのだ。

 自身を嗤いながら、それでも璋璞しょうはくは前を見る事を止めなかった。

 止めてはならないのだ。それだけは、決して赦されない。



 これを投げては――投げ出しては、もう、民の生き伸びる道を取り戻せなくなる。



 えいしゅうに駐屯する黄師こうしには早馬を出した。

 せめて急襲ではなく、きちんと先触れを出した上で器候補の娘を連れて行くという誠意は見せたいという、その思いだった。保食の泣き出しそうな叫びが、その顔が、璋璞しょうはくの脳裏から離れなかった。



 璋璞しょうはく隊が鬼射きいる県に脚を踏み入れるのは、それから二週間後、卯月の頭の事になる。


          *


 しゅうで駆ける馬上にいた保食うけもちは、すでにじょう州を抜け西に駆け抜けていた。州とげん州をへだてる阿閉殷あえいん山脈の最南端に設置してある補給拠点を経て馬を変えたばかりだった。

 軽快に走る彼女の耳に、自分以外の馬が駆ける音が届いた。後方から一騎が迫りくる。

 ちらと振り返り、その口元が厳しく結ばれる。

保食うけもち大姉だいし!」

 馬上より叫ぶ女兵士の顔を見るや、保食は馬の脚をゆっくりと止めた。

「――紅江こうこう

 紅江こうこうは口元の覆いを外しながら、厳しくも安堵の吐息を漏らした。

「大姉。ご無事で何よりです」

「あなたこそ、偽報ぎほうの役を負うなんて、なんて無茶な事を。危険すぎるから他の者に任せるようにと言っておいたじゃない」

 紅江こうこうは不適に笑うと「だからこそ、大姉は二報を用意するようにとおっしゃったのでしょう? ちゃんと我々は聞き入れたじゃないですか」と、も造作もないような口調で言ってのけた。

「最も危険な虜囚りょしゅうの役を自らになわれたのは大姉ですよ? 我々がその影で黙ってぬくぬくと帰還をお待ちできるとお思いですか?」

「――あたしは、それだけの事を貴方達にしてきたもの」

 紅江こうこうは、ふ、と笑う。

「我々も、それだけの事を大姉の係累の方々に負わせてきたのです。お互いに職務を全うしたまでとはいえ、背負う荷が減る訳ではありませんし、正しい事だったなどとは口が裂けようが言いません。しかし向かうべき道が重なる今、そこに拘泥こうでいして歩みを遅らせる事は最もあってはならない事です」

 毅然とした顔で言ってのける紅江に、保食は苦笑した。

紅江こうこうは本当に賢いな。いつも教わる事ばかりだわ」

「私も、豊来ほうらいを育てていなければ分かっていなかった事ばかりですよ」

 移送車の内から、保食の耳に彼女等の声は届いていた。

 紅江こうこうていばく県に詰める黄師を詐称していた。と本名を名乗ったのは保食が聞いている事を知っていたからだ。彼女の奏上を盗み聞いた保食は、移送車の中で思わずせた。

 白浪はくろうていせいかいじょうを陥落させ、静海城を護っていた禁軍大将軍麾下きかかん隊を撃破。白浪の大隊の多くは妣國ははのくにの者であり、悪鬼あっき跳梁ちょうりょう跋扈ばっこの様相。彼奴きゃつ等は心身を変幻せしめ、民を食らうという。

 それを聞いた璋璞しょうはくの焦燥、衝撃、困惑は、離れていても染みる程に理解できた。

 白浪は月朝に使者を送り込んだばかりの状態だ。使者は実質人質と同義。その最中、領土の州城を陥落させるなどあり得ない。璋璞しょうはくが誤報を疑うのも当然だった。しかしそこへ新たな伝令が駆け付けた。

 瓊高臼にこううす付きの黄師こうしを名乗るきむ慈琳じりんと言う兵が奏上したのは、白浪は白玉の器の殲滅せんめつ目論もくろんでおり、更なる一大隊が現在えいしゅうに向かっている、というものだった。その報せをもたらしたのが瓊高臼の者であれば、もう璋璞しょうはくには疑うべくもなかったろう。


慈琳じりんは?」

「先に大師長の元へ報告に走りました。大姉が戻られ次第動かれるであろうからと」

「――ありがたい」

 

 紅江こうこうの表情からは、自身の三交に対する信頼の厚さが見て取れた。それが保食には苦しかった。そこに並ぶべきもう一人の事を思い出さずにはいられなかったからだ。

 そもそも、保食と紅江こうこうの関係は捕らえし者と囚われし者だった。それがこの七年で共闘を企てる仲に至るというのは、本来考えつかないはずの事である。それも皆、すいどろという人の心のやわい場に手が届く麾下きかが保食の下にいてくれたおかげだ。

 保食は、ただ幸運だったのだろう。

「ところで、璋璞しょうはくはどうなりました?」

「――単騎で追いついてきたので、馬ごと脚を切った。二日三日で回復するだろうから、車にでも乗せて癒合ゆごうを待つだろうね。その間にも鬼射きいる県に向けて隊を進めるだろうな。禁軍の大隊の目的は氷珀殲滅だと言っていたから、そちらへ援軍を求める事はしないと思うわ――だから、彼は帝壼宮ていこんきゅうに戻るまで真相に辿り着く事はできない」

「見事に策中にはまってくれたようですね」

 保食は小さく唇をむ。



「――まさか、自身が籍を置く禁軍の大多数が既に寝返っているとは、いかな璋璞しょうはくでも思いつきはすまいよ」



 せいかいじょうを陥としたのは白浪ではない。

 そもそも何も起きてはいないのだ。


 今回の事変に白浪の関わりは一切ない。彼等は何も事を起こしていない。そう。これは七年前のわだちと同じ――すなわち、白浪にその策をなすりつけようという、仙山と――禁軍大将軍による謀略なのだ。


 保食が璋璞しょうはく隊を細かく分散させるべく画策したのは、えいしゅうに向かう途上で璋璞が自隊よりせいかいじょうへの援軍を割いては不都合だったからだ。隊の一部でも静海城に向けられてしまえば、事の露見が早まる。為に、璋璞しょうはく隊にそれを許すだけの余力を残させてはおけなかった。故にくぐいおとりとして出し、隊の分散を図ったのである。そして、すいどろには、その確認のために後続を一任した。


 璋璞の隊が一部なりともくぐいを追ってきていれば分散策が成功した事になるので、襲撃を受けた地点で鵠は自らの数珠を千切り棄てる。これを確認できれば、水泥は作戦成功を仙山に鳥で報告する。

 もし隊が追ってこなければ、鵠は道中にある補給地点にて数珠を千切る事なく捨て置き、保食の援護と救出に取って返す。その場合も、水泥はやはり仙山に鳥を使い報告する。

 その後の水泥の出立を何時にするかは、保食に一任されていた。



 保食は、その確認完了の時点で、えいしゅうへ向かうよう水泥に指示した。

 それは、死による離別の宣告と同義だった。

 水泥は――『環』となるべく自ら東へ向かうのだから。



 一方、璋璞しょうはくには何があろうと真っ直ぐにえいしゅうへ向かってもらわねばならなかった。他に余所見をすることなく、天照之あまてらすの八重やえおうを確保させ、帝壼宮ていこんきゅうへ帰還してもらわなくてはならなかった。

 


 帝壼宮ていこんきゅうへ着き次第、その場で璋璞しょうはくの身柄は拘束される手筈となっている。



 せいかいじょうの真実が早々に露呈すれば、璋璞しょうはく隊には逃亡される恐れが高い。万一その時に天照の娘が璋璞しょうはくの掌中に落ちていれば、人質とされかねない。それだけは何があろうと避けなくてはならなかった。

 璋璞しょうはくは、保食に密書で、禁軍大隊が仙山第二拠点へと向かっているとたばかったが、後に実際は氷珀へ向かっているのだと言った。しかし、彼が宮城で大将軍からそう聞かされていたその策こそがたばかりだったのである。

 実際のところ、禁軍大隊はやはり仙山第二拠点へと進行していた。しかしそれは第二拠点を叩くためのものではない。大将軍に与しない隊――つまりは璋璞の率いる隊を捉える為のものだ。璋璞しょうはく隊の内の一小隊がくぐいを捕らえたと言っていたのも、鵠が甘んじて受けた拘束だ。報せが璋璞しょうはくの元へ届いた頃には自力で小隊を殲滅させている。それぐらいの事は易々とやってのける程度の実力は鵠にもある。腐ってもくぐいは保食第一の麾下だ。今頃は禁軍の大隊と合流し、璋璞しょうはく隊の兵を捕縛しているだろう。


 全てはこの七年、麻硝ましょう等によって綿密に組み立てられた計画なのだ。今更あなのあろうはずがない。


 保食と紅江の二騎は、土煙を立てて先へと駆け続けた。





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