18 四本貫手


 


 白玉の『かん』の断切は何があろうと回避しなければならない。それは、三寶さんぽう合祀ごうしの奪取回避にさきんじるのだ。あれをたれては、赤玉奪還の悲願ひがん成就じょうじゅ水泡すいほうす事になる。

 璋璞しょうはくは伝令兵に逼迫ひっぱくした声で問うた。既に叫びに近かった。

鬼射きいる県城及びえいしゅうの駐屯師団に向けて文は⁉」

鬼射きいるには飛ばしましたがえいしゅうへはございません」

 璋璞しょうはくは歯噛みし、自軍の兵へ叫んだ。



「直ちにえいしゅうへ白浪襲来の文を飛ばせ! これより隊の再編成を行う! 一小隊はうつわの娘と共に蓬莱ほうらいへ戻り別小隊と合流! 邑長ゆうちょうさい浩宇こううを捕縛し、この二者を帝壼宮ていこんきゅうへ移送! もう一小隊は儂と共にえいしゅうへ向かい、半数にて天照之あまてらすの八重桜やえおう方丈ほうじょうへ移送する! 残る半数は鬼射きいる兵とえいしゅう駐屯師団に加わり白浪の襲撃に備えよ! けがれた不死石しなずのいしを恐れ邑内ゆうないに踏み入るを躊躇ためらう事決してまかり成らん! 白玉のほこらへ白浪を決して近付けさせるな‼」



 璋璞しょうはく怒号どごうにより、隊は弾かれたように動いた。

 氷珀ひょうはくへ向かった大隊に救援は求められない。仙山せんざん殲滅せんめつも火急の事であるからだ。そも、仙山へ向かった軍はらん大将軍の指揮下にある。あれは璋璞の判断で動かす事はできぬものだ。

 ほんの一瞬――白浪が朝にもたらした仙山大本営の位置情報自体がたばかりである可能性が脳裏を過ぎったが、即時払拭した。あの抜け目なきらん大将軍が確認もずに大隊を送り込むなど考えがたい。暫時ざんじ迷った末、一騎を追わせるに留めた。

 現在最短で事に当たれるのは、この貧弱な二小隊をおいて他ならない。鸞大将軍の判断をあおぐために帝壼宮ていこんきゅうまで馬を飛ばすなどと悠長な事はやっていられないのだ。


 本当に、何と言う事だろうか。


 てい州は五年前にこれが引き起こしたえいしゅうへの統治介入の為に州長を更迭されている。以来、禁軍から派遣された上官兵が州長代理の任に着き、その統治と管理に当たっていた。大将軍の麾下きかであるかんがこれである。彼の隊も禁軍で十指に入る勇猛果敢な隊である。これが破られたのだ。


 ここまでの四面楚歌しめんそかとなった事が果たしてあったろうか。

 璋璞の憶えがある限り、否である。


 保食うけもちを乗せた移送車が丘の向こうへ消えるのを見送って後、璋璞は馬の手綱を引いた。伝令の二人に今後の動きを彼等のあるじへ伝えるよう指令を下すと、「は」と短く声が重なった。

 二兵は、終始こうべを垂れたまま拱手きょうしゅの姿勢を解かなかった。



 中途の補給地点に待機している兵を動かしても、中隊までの編成が成るかどうか危うい。らんの就任以降、璋璞しょうはくの統率下にあった隊も多くはらんの下に移された。当然の事ではあるが、長く手足のごとく自在にはいせた軍兵も、一度らんを通さねば動かせない。そこに、手足を縛られたような不自由をおぼ歯噛はがみするのも無理からぬ事だろう。事がこのような一刻を争う場合は尚更である。

 頭を一つ振るうと、璋璞は顔を上げた。為すべきを為すしかなかった。


         *


 ふぅ、と保食うけもち一息吐く。

 璋璞しょうはくの号令の元、隊は再び分裂を果たした。保食は蓬莱ほうらいへ取って返す形となる。戦況は逼迫しているようだ。当然、禁軍の兵達にも動揺があろう。保食はふわりと笑った。



 そうだな。これぐらい頑丈な作りの移送車なら、絶対に常人には突破できない。逃げられるはずがない。――常人ならば。



 かつて浩宇こううをぶん殴った義母ははもまた怪力の人だった。彼女からは周囲の膂力りょりょくと差異なく振舞う為の手法をつぶさに学んだ。

 ゆっくりと眼を閉じ、三秒を数え、眼をあけた。

 がきん、ともない表情で後ろ手にされていたいましめがくだける。ふっと軽くももに力を入れただけで足首をんでいた物も砕け散る。立ち上がるとごきごきと肩を鳴らし、軽く全身をほぐし、ふっと強く息をいた。

 蓬莱まで戻っている時間も無駄だ。あちらはあちらで浩宇がなんとかしているはず。自分には自分の為すべき事がある。幸い璋璞しょうはくのとる動向は予定通り把握できた。計画と寸分の狂いもない。

 璋璞しょうはくの隊と分岐してから四半刻は経過している。もう十二分に距離はとれたろう。



「よし、――やるか」



 保食から禁軍が取り上げた武器類は、同じ移送車の前面、壁をへだてた先にある。移送車が揺れるたびに、がちゃがちゃと特徴的な音を立てるので、それは把握出来ていた。

 一息を吐くと、軽く腰を落とし、板と板の隙間に四本しほん貫手ぬきてを突いた。ずぼり、と最小限の音で突き刺すと、めりめりと板をがす。三枚を剥がしたところで中に身をすべり込ませる。無造作に放り出されていた刀と外套を見つけてちっと舌打ちした。拾い上げ身にまとうと、勢いそのまま更に奥の壁をやぶった。

 その先にいた四頭馬を走らせる馭者ぎょしゃが絶叫を上げた。即座に左手に握っていた刀で――さやには納めたままだ――馭者の胴を薙ぎ払う。勢い、馭者は台から転がり落ちた。周囲が異変に気付き、怒声を上げる。保食は馭者が掴んでいた手綱を引きちぎり、左手前にいた馬に目星をつけ、それが繋がれていたくびきを蹴ってへし折った。保食の間近に迫っていた一兵がそれを見て「ひっ」と悲鳴を飲み込む。ちらと視線を向けるに留め、馬に飛び乗るや否や、手綱を引いて一目散に駆けさせた。

 馬の胴を脚に挟み上体を安定させ、左右に散る騎兵をさやでなぎ倒してゆく。保食にとって兵を馬上から振り落とす事など児戯じぎに等しい。人より耳が良いため、後方から飛んできた矢の向きもすぐに分かる。それも刀の一振りでまとめて払い落とした。

 そこからは、ただ一方的な戦闘となった。馬の背に立ち上がり、跳躍した保食が全身を旋回させ兵達の頭部を、胴部を薙ぎ払ってゆく。地に足を着けた後の速攻は正に悪鬼の跳梁ちょうりょうける、ける。保食の視線の先にいた者は容赦なく全て地に伏されてゆく。


 正に地獄の様相だった。


 せめて本来の騎兵中隊の規模があれば全滅は避けられずとも態勢の立て直しようがあったろうが、保食相手にたかが五十の小隊では殲滅せんめつまぬかれない。散華さんげとうで切ったわけではないから絶命こそ回避できるが、兵としては長期間使い物にならなくなる。

 間もなく――二足で立つのは保食一人となった。

 軽く周囲を見渡し、全兵をした事を確認すると、保食は手近なところにいた無傷の馬一頭に視線を結んだ。ゆっくりそれに歩み寄り、頃合いを見計らって、そのくびを叩いた。

 馬は静かに保食の眼を見、軽くぶるると鼻を鳴らす。これは賢く落ち着いた馬だ。確信するともう一度その眼を見ながら鼻先を撫でた。と、懐に入れていたものの存在を思い出し、一つ取り出す。

 それは璋璞しょうはくから渡されたあの飴玉だった。包みは再びふところへしまい込み、飴玉は自身の口に放り込む。少し噛み砕いてから馬の口中へ放り込む。馬は再び鼻を鳴らした。


「今はこれだけなのよ。ごめんね、大本営にまで辿たどり着いてくれたらもう一つあげるから、悪いけどがんばって」


 ひらりと身軽く馬上へ上がると、保食は風防付の青い肩掛けで口元と鼻を覆い、手綱を引いた。

 小隊はもう身動きできないだろう。追手が届く事もない。

 ただ一つ、単騎だけが分かれた璋璞しょうはく隊へ向けて走った事は知りながら行かせた。これで更なる混乱が起きれば願ったり叶ったりだ。

「頼むわよ」

 馬に声を掛けると、保食は躊躇ためらいなくしゅうで馬をけさせた。

 目指すは仙山せんざん大本営、麻硝ましょうの元だ。


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