17 「真」と「擬」


         *


 急に車が停まり、体がかしいで保食うけもちは目が覚めた。


 手足の自由を奪われている保食は、そのままころりと横に倒れた。すっかり寝入ってしまっていた。お陰で、頭の中はすこぶ明晰めいせきである。浅すぎた眠りのツケを取り戻して、釣りがくるほどには。

 座面に転がったまま、薄目を開けてあたりの様子を探る。ざわざわとかしましい。格子窓の外を見れば、すでにじょう州の囲いを抜けたのか、空は留紺とまりこんに染まっていた。


 ――事が動いたな。


 あふり、と欠伸あくびを一つこぼしてから、がばりとその身を起こした。

 無表情のまま瞼を閉じて、外の声に耳を澄ます。保食うけもちは、他に秀でて耳が良いのだ。

 捉えたのは璋璞しょうはくの声だ。何事だと、常にない焦燥がその声ににじんでいる。まさか、ありえん! と、らしからぬ叫びが上がる。

 保食は後ろ手にいましめられた指先を、ごぎりと鳴らした。

 璋璞しょうはくよ。戦というものは数で決まる。これはもう、圧倒的な武力差、兵の数、兵站へいたんの数、これだけで決まると言っても過言ではない。禁軍黄師こうしの総量と、仙山せんざんの総数では大きくへだたる。数値の上で仙山が勝てるはずがないのだ。

 だのに、なぜこの時に事が動くのか。



 その意味を知った時、お前達ははじめて世界の数量という恐ろしき本質を目の当たりにする事になる。

 


 お前達のが映さなかった世界の側面が、お前達が見ようとしなかったあらゆるものが、お前達のいてきた道を瓦解させるのだ。

 寿命が長いというのは本当に気の毒だと心底思う。自身が選び世界に組み上げたものが世界から拒絶されるところを、己が眼で直視しなければならないのだから。いっそ五邑ごゆうの民であれば、先祖の策が時代に合わなくなったから、だから致し方なかったのだ、という言い訳も立つと言うのに。なまじ生き永らえるばかりに身が切れるような結果と結末を見届けなければならない。嗚呼、それはなんて。


「――不幸だな」


 保食の口元に、にい、と酷薄な笑みが浮かんだ。


         *


 璋璞しょうはくもたらされた知らせに文字通り戦慄していた。

 早馬を走らせてしらせをもたらしたのは、ていばく県に詰めていた黄師こうしであった。奏上そうじょうの折にと名乗ったその兵士は、拱手きょうしゅしつつ声をった。



ていせいかいじょう陥落! 敵は白浪はくろう! 禁軍大将軍様麾下きかかん様のひきいる隊を撃破!」

「まさか! ありえん! かん殿がおめおめと敗れるはずがあろうものか⁉」

「白浪のつかわし大隊の多くは妣國ははのくにの者であり、悪鬼あっき跳梁ちょうりょう跋扈ばっこ様相ようそうでした。彼奴きゃつは心身を変幻せしめ、民を食らいます!」



 璋璞しょうはくの全身に電撃が走る。そうか。近年国内で多発していた異常な惨殺も、妣國ははのくにの民が変幻したものの仕業しわざとすれば合点がてんが行く。

「いや、しかし……」

 戦慄と共に、璋璞しょうはくには承服しかねる何かがあった。

 白浪はくろう帝壼宮ていこんきゅうへ使者を送り込んでより一月ひとつきも流れていない。現在宮中にある宇迦之うかのとその近衛は実質人質も同然である。妣國ははのくにの関与が背後にあれど、こちらの領土の州城をとされたとあらば停戦破棄と同義だ。そんな状態で使者が無事で済むと考えるだろうか。否、そんな事は断じてあり得ない。

 まさかそんなはずはない。誤報か、もしくは虚偽なのではと璋璞しょうはくいぶかしんだ。しかし、使者は両膝を地に着けて頭を垂れたまま動かない。その表情は――見えないままだ。璋璞の両肩りょうけんに、疑心の焦燥しょうそうがずしりとかる。



 しかし状況は瞬く間に変わった。



 新たに璋璞しょうはくの元へ駆けこんだ兵の報せに、さしもの璋璞しょうはくどうもくした。――あってはならぬ第二報だった。

 その報せもって駆け付けたのは、瓊高臼にこううす付きの黄師だった。きむ慈琳じりん、と名乗りを上げたその一兵は、の隣に並んで拱手した。同じく、そのこうべは下げたままである。

 いわく――白浪はくろう白玉はくぎょくの器の殲滅せんめつ目論もくろんでおり、更なる一大隊が現在、危坐きざ鬼射きいる県のえいしゅうへ向かっているのだという。

 国土の監視にたずさわる高臼こううすの黄師の網目に掛かったのだ。これを疑えという方が難しい。先に国土深部であるせいかいじょうを陥としたのは、えいしゅう陥落を確実のものとし、さんぽう合祀ごうしを奪取する事がその目標であるからだと璋璞しょうはくは読んだ。



 つまり――白皇はくこうの遺児は実の母親を捨てごまにしたのだ。



 禁軍の大隊は、現在仙山せんざん殲滅せんめつするべく氷珀ひょうはくへと向かっている。現在は阿閉殷あえいん山脈の只中ただなかにある頃だ。そこから危坐きざ州へ回り込む事は出来ない。大隊であるが故に、山間部の悪路を渡る装備ではないのだ。未だ雪が残る地帯である。早馬を飛ばしても間にあうまい。さんぽう合祀ごうし奪取だっしゅされる方が先だ。

 璋璞しょうはくの中に去来きょらいしていたいやな予感というものは、恐らくこれだったのだ。

 白玉は『かん』につながれている。『環』はついを繋いだ者の要請があれば、その場へ引き戻す事が可能だ。当然、えいしゅうの白玉もこの『環』によって繋がれている。尾椎の先は――方丈ほうじょうの『真名まな』だ。

 『真名』が呼び戻せば、最悪奪取はまぬかれる。しかし、引き戻しを阻止する方法が一つだけある。



 『環』の断切である。



 これをし得るのもまた不死石しなずのいし寶刀ほうとうのみだ。現在わずかながら知られているのは、寶刀はこの世に一振りしか存在せず、それは帝壼宮ていこんきゅう内に納められているという事。

 しかし、それは真実ではない。



 ほうとうは、正しくは三振り存在する。

 その内、「しん」の寶刀があるのは、帝壼宮ていこんきゅうではなく高臼こううすだ。

 そして、それを保持しているのが、黄師こうし大師長――げっとうである。



 この本物の一振りにしか、器の切り分けは出来ない。そして「真」の寶刀は、月桃に断りなく瓊高臼から持ち出す事が赦されない。

 つまり白玉の切り分けは、必ず瓊高臼で行われるのだ。

 如艶じょえんが手にしているのは俗に「まがい」と呼ばれる物だ。「まがい」の寶刀にもしうるのは『環』の生成、にえの切除、そして『環』の黄泉返りだけだ。つまり『環』の断切には「擬」で事足りる。



 「しん」と「まがい」の違いは、神の切断の可不可。この一点にかかる。



 沙璋璞さしょうはくは歯噛みした。

 三振みふりのほうとうの内、最後の一振りは先帝が手にしていた。しかし、それは弑逆しいぎゃく以降行方が知れずにいる。追ったが掴めなかった。

 が、今回白浪はくろう斯様かような暴挙に出た事で、璋璞しょうはくは確信した。否、せざるを得ない。

 もう一振りの「まがい」は、間違いなく白浪はくろうが手にしている。

 間違いなく、断切によってさんぽう合祀ごうしを奪われる。そうなったら取り返しが付かない。

 璋璞の内腑がぎりぎりと痛んだ。



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