15 鬨の声


         *


 『かん』に似せた拘束具くらいならば、黄師こうしの高官にも作り出せる――とは、以前捕らえた虜囚からも聞き及んでいた事である。


 移送馬車の中、保食うけもちは自らの身でその質を体感していた。後ろ手に回された両手首と、それから両足首がその拘束具によっていましめられている。半端な研磨でれたのか、右親指の付け根がひりひりと痛かった。それにしても、ずいぶんとしっかりした物をこしらえたものである。そうまでして『環』を再現したかったのかと、その執念に呆れの吐息を禁じえない。

 詳しい製法は知らない。ねばったがあの黄師は吐かなかった。最後まできちんと聞き出しておければ良かったかな。分かっていれば面白かったのに、と、不謹慎にも少し本気でそう思う。


 他人の支配に『環』ほど手っ取り早く合理的なものはない。姮娥こうが代替品だいたいひんたるそれを欲したとしても無理からぬ事だろう。


 保食うけもちを運ぶ馬車は、恐ろしい程に頑丈な造りをしていた。窓にめられた鉄格子が、安易な逃亡はたくらむものではないと無言の内に主張する。根本的に自分達と姮娥こうがの間には、文明文化の点で大きなへだたりがあるのだ。そんな事、改めて見せつけてこずとも知っている。

 酷く揺られながら、保食はゆっくりと眼を閉じた。



 今回の蓬莱ほうらい入り直前――麻硝ましょうせんざんの全幹部を大本営に招集した。

 それは、愈々いよいよ策が大詰めに差し掛かっている、という事を意味する。

 一堂に会した面々の前で、麻硝が立ち上がった。その頭髪は短く刈り上げられている。左腕は肘より先が失われ、更に左眼には眼帯が巻かれていた。



「『真名まな』の安置されている場所が分かった」



 麻硝の第一声が、そう高らかに告げる。ざわめきが満ちる中、保食と、その隣に座す白髪短髪の姮娥こうがの民の二人だけが、静かだった。

「皆も知っての通り『真名』は方丈ほうじょうと共にあるが、帝壼宮ていこんきゅう内部のどこに安置されているのかまでは掴めずにきた。――それが、このたびようやくその報を得た。ひとえに、彼の方のご尽力によるものだ」

 麻硝が示した人物こそ、保食の隣に座す姮娥の民だった。皆の視線が向く中、彼はやや酷薄とも受け取られかねない笑みを浮かべて軽く手を上げるに留まった。


 彼、というのも当然仮定に過ぎない。これは姮娥の民なのだから。


 その彼の視線が保食に向けられる。どことなく、つるりとした冷たい視線だ。無関心――というのとは違う。そこには、どうでもいい、という強い意思が明白に含まれている。それを正確に表現するならば、恐らくこうだろう。


 お前の命など、どうでもいい――と。


 これにとって、己は微塵びじんなのだ。それは、姮娥から見れば五邑など全てそうだろうよ。彼等から見れば己等など、生まれたところでまたたく間に消え去る陽炎かげろうのようなものだ。璋璞しょうはくでもあるまい、こころまじわろうなどと普通思いはすまいさ。……それでも、この姮娥はやはり違った。どうでも良さそうな目線の更に奥に、本音らしきものがちらつくのだ。――即ち、「どうせすぐに死ぬのだから、さっさと死ねばいいのに」と。

 保食は、彼には目もくれず、ただ麻硝の顔だけを見ていた。その視線を感じるだけで、どうしても背筋にざわりとした悪寒が走るのだ。

 麻硝が「すぅ」と息を吸い込む。



「これでやっと、白玉奪還作戦を実働に移す事が出来る。方丈の『真名まな』。蓬莱ほうらいには『かんばせ』。えいしゅうには要であるさんぽう合祀ごうしの『玉体ぎょくたい』『子宮しきゅう』『御髪みぐし』。この三体に分かれた白玉を夫々それぞれ『環』から解放し、一体に収束することが今回の必達目標となる」



 麻硝の言葉に、一堂に会した全てが首肯した。総勢十五名。その内には――紅江こうこうも名を連ねている。ただし、この内に保食の隣席の男は含まれない。これは飽くまでも客人なのである。

 蓬莱の『色変わり』なき娘である保食の下へは、半年に一度、七日間、必ず禁軍右将軍である璋璞しょうはくが訪ねてくる。今正に仙山は、今回のこの訪問を機に白玉奪還に動くと、そう号令をかけているのだ。

 長きに渡り禁軍においては璋璞しょうはくがその最高位に就いていたが、一昨年、その状況が変わった。

 彼の上位である大将軍位が埋まったのだ。

 この新たな大将軍というのが曲者くせものだった。そもそもはせきぎょくいただきたる高臼こううす黄師こうし大師長の傍近くに仕えた男だという。珍しくもたい輿姮娥こうがの混血の身を名乗りながら、その立場にまで昇り詰めたと言うのだ。更に加えると、これは戦場には決して姿を現さないのだという。帝壼宮ていこんきゅう内の玉座がある太陰たいいん殿でんに多く留まり、作戦を立て指示を出しては尋常ならざる速度で数々の勝利を挙げてきたという。



 その名を、らん成皃せいぼうという。



 四年前、仙山と瓊高臼の間に激しい戦闘が起きた。その折に、寝棲ねすみ首印くびじるしを上げた事を戦果とし、名を上げたのが鸞成皃である。その後、黄師こうし大師長よりの推挙を経てこれは禁軍へと降りた。

 当時、仙山はまだ世に名を知られていなかった。皮肉にもらん成皃せいぼうが成果を挙げると共に、仙山はその伝説の始まりとして語られ、周知されてゆく。両者の因縁深かりし事限りなし。鸞成皃を語る時に仙山の名を省く事は、最早不可能の域に達していた。

 麻硝の現在の不具ふぐも、この四年前の戦闘にいんする。

 とまれかくまれ、この大将軍は帝壼宮ていこんきゅうの外へは絶対に出ない。故に、如艶じょえんの最側近と呼んで障りない璋璞しょうはくが確実に帝壼宮ていこんきゅうを離れるこの七日間こそが、奪還決行の最良の好機なのだった。

 事態に気付いた璋璞しょうはくが近隣に駐屯ちゅうとんする黄師こうしへ救援要請を求めた所で、管轄が異なるゆえ上層部の裁可さいかが必要と、事は遅々として進むまい。宮城の同属たる禁軍へ救援を要請したとて、追加派兵に最速を極めても現地へ至るまでには大きく時間がかかる。蓬莱ほうらい並びにえいしゅうは、それほどまでに遠い。その時の、自らの手勢で何とかするしかないのだ。


 白玉奪還成功のためには、沙璋璞さしょうはく如何いかに足止めし、その手足をぐかに全てが掛かっていると言っても過言ではなかった。


 麻硝は再び全員の顔を見渡した。

「皆も既に承知してくれていると思うが、にえとなり『かん』を外せるのは完全に『色変わり』をしない生きた男に限られる。かつ、その者の同意が必須。我々仙山の中には、この『色変わり』をしない男の数が非常に少なかったが、必要数は満ちた。誰が選ばれたのか、そしてどの白玉の贄に割り当てられたかは、極秘事項として明らかにしない。当人とは既に話が付いている事だからね」

 しん、と議場が静まり返る。

「当然の事だが、この中で最も難関となるのは方丈の『真名』だ。帝壼宮ていこんきゅう内部にあるため侵入が難しいというのが大前提だが、全ての『環』のついが繋がれているのがこの『真名』である以上、蓬莱とえいしゅうの『環』を外す事で予測のつかない事態が発生する事を考慮する必要がある。その為に、本作戦は蓬莱の『かんばせ』とえいしゅう

さんぽう合祀ごうしを奪還する〈春〉と、方丈の『真名』を奪還する〈夏〉の二期に分けて実行する事とする」



 議場内よりときの声が上がる。



 がたん、と、一際大きく馬車が揺れた。

 保食はゆっくりと唇を引き結ぶ。

 そうだ。長き雌伏しふくの時が終わりを告げるのだ。

 本当に、たくさんの人に、たくさんのものを失わせた。そんな中で自分一人だけが一抜けたはできない。梨雪りせつから寝棲を失わせた事実は消せないのだ。

 かつて、この言葉を最初に口にしたのは寝棲だった。

 麻硝が約束通りに梨雪に自由を与えた結果、保食かえいしゅうの娘が犠牲になる事が確定した。俺等だけ一抜けたはできないのだと。それに何より――。

 ふっと、保食は薄く瞼をあける。寝棲の背中が鮮明に思い浮かぶ。あの時、彼は確かこう続けたのだ。



 ――俺は、八咫やあたを巻き込み犠牲を強いた。



 うつらうつらと夢現の中、保食は項垂うなだれながら微かに笑った。



「――本当に、そんなところにまで上り詰めてしまったんだな、お前は」




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