14 鬼射へ

         *


 荒野の只中、馬から降りた一人の男があった。

 すいどろである。

 ゆっくりと数歩進んでから、静かに土へ膝を突いた。手を伸ばして転がっていた物を拾い上げる。灰と白の筋と光沢が浮かぶ丸い玉。それは鷹目たかめいしの玉だった。

 水泥の視線は、そのまま地面の上をゆっくりと這う。

 あたりには複数の玉が転がっている。その一々を拾い上げると、丁寧に懐に仕舞った。


 仙山せんざんの者は左手首に数珠を巻く。なるべく各自が人とは種類の異なるものを選ぶようにと指示されている。こういった非常時に、自身の身に異変があった場所を仲間に知らせる為だ。鷹目石は――くぐいのものだ。

 立ち上がりつつ、水泥は辺りをゆっくりと見渡す。大丈夫だ。騎影は見当たらない。

 ふわりと微笑んだ。



保食うけもち、当たりだったよ」



 数珠玉の代わりに、懐に入れていた紙と木炭で作った硬炭棒を取り出した。それで文字を書き付けると、肩に捕まらせていた巌雅がんがの脚に結わえ付ける。一時せつに貸与し、寝棲ねすみが使っていたのだが、今は無事、本来の主である水泥の元へ戻ってきていた。拳の先に下ろすと、巌雅がんがの飛び立ちやすいように勢いを付けて数歩進み、天へ向けて腕を振るった。

 遠く遠くへ羽ばたいてゆく翼を見送ると、水泥は再び馬上へ戻った。



 璋璞しょうはくの訪いの四日目の朝、保食は鵠を邑長邸へ使いに出した後、水泥一人を密かに離れへ呼びつけ、単刀直入に言い放った。


璋璞しょうはくに疑われている」


 にやりと笑う保食に、水泥は苦笑を返した。彼女がそう言うならば、それで正しいのだろう。保食は昔から勘が鋭く、否な予感がすると言うもの程よく当たった。

「うん、そうだね」

 保食は庭へ視線を向けた。朝霧のけぶる中、彼女は真顔で言葉を続ける。

 七日の滞在を終えた禁軍が去った後、保食は大本営へ、鵠は第二拠点へ向けて走らせるという。


「ぼくはどうすればいい?」

「予定通りだ。――が、少し寄り道を頼みたい」


 言いながら保食は、かさりと一枚の紙切れを懐から取り出した。璋璞しょうはくにはしたと言ってたばかったが、残しておいたものだ。

「密書、だね」

「こちらの動向を誘導するための偽装だ。第二拠点へ向かう道中でこちらからの追手を待ち受ける手筈だろう。だから、お前には鵠の後から距離をあけて付いて行ってほしいんだ」

「鵠をおとりにして、その結果を報告する、ということだね」

 微笑みながら問う水泥に、保食は庭へ向けていた視線を戻し「そうだ」と断言した。

「鵠には知らせていないの?」

「まさか、戻り次第言うさ。七日の夜の内に、あたしが馬を乗り換える中継拠点まで先に馬と荷を運ばせる。あいつは夜目が人一倍利くからな」

「注目されにくい下男にふんしたぼくじゃなくて。あえて鵠に?」

「――ああ」

 水泥は腕を組むと、ふふ、と声に出して笑った。

「本当の理由は?」

 保食はちらりと水泥に目をやってから、「いやな奴だよほんとに」と背を向けて頭をばりばりと掻いた。

「五日六日は璋璞しょうはくはこちらへ姿を見せない。浩宇との会議と下がりの品の確認業務があるからな。今回は三日目で少したぶらかしたから、もしかしたらこのままここへは来ないで蓬莱をつかも知れんが――場合によっては逆に作用するかも知れん」

「七日目の昼にいつも来るのが変わるかも、と?」

 腕組みをした保食は、濡れ縁の障子に、とん、と肩を預け、頭を僅かに傾けた。


「上手く事が運べば、璋璞しょうはくに抱かせる。――愚物なら抱くだろうさ。器の候補に手を出したとなれば、じょえんに対する反逆と取られても仕方がない。そうすれば、奴は余計にこちらの計略通りに動かざるを得なくなる」


「だから、くぐいをここから出しておくの?」

「――わかった上で聞かせる事になれば、こくだろう。それくらいの思慮は持ち合わせてる」

 水泥は一つ溜息を吐いた。

「ねぇ保食。君にも自分の命と体の使い道を選ぶ自由があるはずだよね」

「それは前にも聞いた」

「君の本心はどこにあるの」

「あたしが選んだのは仙山だ」

「自分の望む事くらい、自分自身には認めさせてやりなよ」

「――水麒すいき



「ねぇ保食。麻硝ましょうが言ったのは、沙璋璞に抱かせるかどうかは君が決めて良いんだってことだ。君が望むならば、そうすればいいって、彼はそう言ったんだよ。――策を優位に運ばせるために、君自身を道具にしろと言った訳じゃない」



 ぎり、と保食が歯噛みしたのが聞こえた。

「――わかってる。そんなことは」

「保食」

「わかった上で、あたしは決めてる」

「……うん」

 ふっと、強い息が保食の唇から吐き出される。さらりとおくれ毛が揺れた。

「鵠が禁軍につかまった場合は、手筈通りその場に数珠を残すだろうから、数珠を見つけたら、鳥だけ飛ばしてちょうだい。――それが済み次第、あんたは予定通りにえいしゅうへ向かって」

 保食の言葉に、水泥はふわりと笑った。言葉の意味を理解する。

「わかった」

八咫やあたから頼まれた通り、奴の妹や仲間達に仙山の状況を伝えてほしい。あとは――手筈通りに。よろしく、頼む。……ごめん」



 ――苦しい顔をしていたな。

 

 ごめん、としぼり出すように言った女の震える肩を、苦笑交じりに水泥は思い出す。一体何度謝らなくていいと言ったか。彼女は結局、それをまともに受け取る事はしなかった。

 

 自分に対しては、もっと心置きなく傲慢でいてくれて良かったのに。

 

 水泥は保食の言葉通り、一人馬にまたがると、危坐きざ州の鬼射きいるを目指して馬を走らせた。

 保食は、それ以上自身の本心に付いて何も答えなかった。

 だから、水泥ももう、それ以上考える事はよしたのだ。


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